課題の書評、第1回を見た。みんな苦闘のあとはよくわかるが、あえて全員「書き直し」とする。書評になっていない。
批評を構成する3つの要件を、まえに説明したのを覚えているだろう。
(1)Notation つまりどんなジャンルであれその作品の中で起きている「動き」を、できるかぎり再現可能なかたちで(言語による批評の場合には)言語的に記述する。
(2)Contextualization その作品がジャンルの歴史の中でどういう位置にいるのかを見極め、解説する。
(3)Evaluation その作品が、「現代」の「自分」にとってどう現われどう評価できるのかを述べる。
もちろん、現実の批評はすべて折衷型だ。場合によっては以上のうちのひとつだけでも、批評文として成立させることはできる。だがその場合でも、受け手の意識としては必ず以上の3つのポイントをおさえているはずだ。
今回の課題を見て思ったのは、みんな「書評」の型がぜんぜん見えていないということ。こんなものは、だが、見抜けるようにするのは簡単だ。毎週、日曜日に新聞に掲載される書評を、100本読みなさい。100本なんてすぐだ、1本あたり原稿用紙2枚程度なんだから。1枚のものだってある。
われわれの課題は「3枚」の長さで書くことに決めた。3枚はあっというまだ、つまらないことに字数をムダにするわけにはいかない。だがみんなあまりにムダ遣いがすぎる。ムダ遣いとは、逆にいえば、どうでもいいことをうんと引き延ばして、水増ししたスープみたいな文を書いているということ。その影には「何を書けばいいのかわからない」という悲鳴が聞こえてくる。
コツを教えよう。1冊の本。おもしろいと思える点を3つ、探しなさい。その3つを自分がなぜおもしろいと思うのかをよく考えて、共通する部分を抜き出しなさい。その上で
(起)本の紹介、著者の背景。250字。
(承)本の主題だと自分に思えるものの簡潔な紹介。150字。
(転)その主題にからめて部分1、2、3を、引用をまじえて記す。200字×3。
(結)その本から得られる認識を、社会・文化の全般的状況と重ねて述べる。そして、この本が勧められるか勧められないかを述べる。200字。
さきほどの3つの要件がどうあてはまるか、ちょっと考えればわかるだろう。
すぐれた書評家は、こうした判断や構成を瞬時に、ほとんど意識することもなく行なっている。だがわれわれとしては、それを徹底的に意識化することによって、「論ずる」ということの本質すら見極められるようになる。
さしあたっては書評のお手本として、紀伊國屋書店のウェブサイトにある「書評空間」から、大竹昭子さんの文を勧めておきたい。どれもずばりとまっすぐ本質を語っている。ストレートで、正直で、的確に、3つの要因をついてゆく。ぜんぶ読みたまえ。
今学期は「合格」つまり「印刷に付すことができる」という段階まで、すべての文を何度でも書き直してもらうので、そのつもりで。