Wednesday, 2 April 2008

青森2006(メモ)

ちゃんとしたノートを持ち歩かないので、いつもありあわせの紙にとりとめなくメモをとっている。おととしの夏の旅行のメモが出てきたので、紙を破り捨てるまえに、ここに記しておく。また行きたい、青森。次は冬に?

青森は森。
空から見ると家々のカラフルな屋根が目立つ。
青、水色、レンガ色、赤。
でも市街地はまるで森に反抗するかのように灰色の塊。
陸奥湾というが「陸奥」が「むつ」であるわけはない。
その名は何を意味する?
早速、三内丸山遺跡に向かう。
ちがう。市内に向かうつもりでいたら途中で案内板を見たから。
自動車免許センターとして使われていた?
三内丸山の名は大字三内、字丸山から。
大規模スポーツ施設建設工事の途中で見つかり計画変更。
5000年前から? 当時は海進期でここが海岸(標高20〜30m)。
道幅はそのままで道より高いところが墓地。
「日本人はお墓が好きだから」
年に3㎜位、降りつもる。何が? 有機物。
栗の木。ロシアの栗の木をシベリア鉄道で運んだって。
遺構はすべて水平的に理解されている。
高さはわからないし屋根の素材もわからない。土葺きが魅力的。
とにかく、いい高台。森の生活だったのか?
昼食は発掘丼(来て良がった丼、海鮮丼)。
はまぐりが出てくると栗のソフトクリーム。あ〜、ばかばかし。
それから津軽半島を北上した。陽射しが明るい、子供がいない。
人がそもそも少ない。
下北汽船のフェリー「かもしか」。車は3台のみ。
フェリー乗り場のわきが海水浴場。
子供たちはTシャツを着たまま泳いでいる。
それから1時間の航海。美しい海、しずか。イルカいない。
対岸に着く。ときおり妙に白人的な顔だちの女の人がいる。
それからすぐ恐山にむかい、さらに展望台に。強風。
むつ市のニュ―グリーンホテル泊。

朝出てヒバ埋没林にむかう。
太平洋から打ち上げられた砂の砂丘、いまはクロマツの林に。
しずかで美しい防風林。
猿ヶ森の集落。
それから南下して原発PR館、トントゥ・ビレッジに。
施設がすごいところにある。ビオトープ。
さらに南、松楽で昼食。二色丼、うに丼、いくら丼。
うには紫うにと馬ふんうに。
海岸をゆくと老部と書いてオイッペと読む。
海岸では老婆が昆布を拾っていた。
やどかりを拾う。
六ヶ所村はスポーツ施設の村。誰も使っていない。
そこから太平洋を後に陸奥湾の側へ。
キツネが轢かれている。
浅虫はサンセットビーチ。
そこから青森市街地はまだかなりある。
ぐるりと裏道を通るようにして青森公立大学へ。
国際芸術センター青森はそこに隣接。すばらしい建物。
イラン人のおじさんがすばらしかった。
イラン・パンにサフランで書いた文字。
小枝の読めない文字。JALシティ泊。

朝は早い。青空、快晴。港はくらげが多い。
青森駅は本数が少ない。東北本線と奥羽本線とも
1hにつき2本位しかない。
ここもカラスが多い。
二つの半島を見わたす美しさ。これも噴火湾?
コンビニでは「週刊ポスト」「現代」「SPA」が18禁。
三つの海を同時に見たい。太平洋、陸奥湾、日本海。
それにしても「むつ」とは何。帆立貝の白い貝殻の
すさまじい量の山がある。
再利用のためシェル・サンドをこれで作っている。
どうやって作るんだろう、使うんだろう。

(以下、紛失)