Wednesday 30 April 2008

スキル・アップ、キャッシュ・バック、タックス・イン

ぼくの商売は英語教師。すると困ったことに、困った日本語が、このごろあまりに目につく。「スキル・アップ、キャッシュ・バック、タックス・イン」。これはぜんぶ日本語。日本語に対応させた英語の単語を借りてきて、勝手にくっつけたもの。こうした造語がここまで通用しているとは、驚きだ。

別に日本語だと思っているから、それで意味が通じればいいようなものだが、学生の作文の中にそうした表現が使われると、さすがに直さない訳にはいかない。いちどは、こうして言語警察を演じることになる。ああ、いやだ。でもほっとくと、かれらはそれをふたたび英語綴りにすればそのまま英語として通用すると思いこむから困る。絶対に通じないよ。

一方で、ぼくはむかしからピジン言語礼賛の立場をとってきた。単語ごとの置き換えは、ピジン言語創出のメカニズムの基本。それ自体は、むしろ、どんどんやっていいと思う。ところが「言語教育」は必ず規範を教えるし、その規範とはその言語の「ネイティヴ」に対する通用範囲をひろげるということだし、また言語自体の「美」的水準を考えないわけにもいかない。

何が美しく美しくないかなんて、よくわかりもしないし、どんどん変わっていいものだが、その都度の判断としては「こっちのほうがいい、美しい」ということをしめさなくてはならない。

さあ、困った。でもさしあたっては、自分では絶対に使わない、こういう表現は。そして学生が作文で使ったら、これからもたぶん直す、直させると思う。

そしてさらに思う、こうしたことだって結局は「詩」の問題じゃないか? ある言葉をある場面や文脈で使う使わないの判断をつきつめていったものが詩なんじゃないか? 詩が実用性と離れたところにあるなんて、誰がいった?

川上未映子さん

大阪のブックファースト梅田店で開催中の「川上未映子の本棚」を構成する20冊のうちに、『わがままなやつら』も選ばれている。

川上さんのホームページ「純粋悲性批判」から。

http://www.mieko.jp/

「現代の樋口一葉」とも呼ばれはじめた川上さんだが、富岡多恵子以後最大の関西出身女性作家であることはまちがいないし、その恐るべき言語感覚は、少しでもふれるたびに大きな歓びを与えてくれる。だって「純粋悲性批判」だよ。他の誰が考えつく、考えついた?

川上さんの芥川賞と桜庭さんの直木賞が重なった今年は、日本文学史上、近年例を見ない重要な年として記憶されることになるだろう。その彼女たち二人がエイミーを真剣に読んでくれたと思うと、ほんとうにうれしい。

ちょっとまえ、朝日新聞に4回くらいに分けて連載されていた川上さんのおかあさまの談話が、またよかった。

Tuesday 29 April 2008

『わがままなやつら』書評、さらに

「週刊金曜日」4月18日号に陣野俊史さんが、「日本経済新聞」4月27日(つまり昨日)に桜庭一樹さんが、すばらしい書評を書いてくれた。

「批評にはお礼をいわない」(お互いに必要があれば自由に批判できるよう)という原則にしたがって、お礼はいわないけど、大変に勇気づけられました。

原著者エイミーに、書評の内容をきちんと伝えてあげなくちゃ。

北島敬三「Portraits 1992-2007」

新宿にひさびさに行き、Photographers' Galleryで北島敬三さんの写真展を見てきた。展示されているのは二人の男性のポートレート。経年的に、ほぼ毎年一枚の肖像写真が並べられ、かれらの風貌の変化をあますところなく見せてくれる。

写真。時の芸術。人生の証言者。真実を暴露するもの。

北島さんの持続力もすごいが、この被写体になることを承諾してくれた人たちの精神もすごい。もはや、何も隠せない。すべてがあらわになっている。それはヌードどころじゃない。おそろしいまでの露出だ。

北島さんには今年度後期から、DC系で写真論の授業を担当していただく。みんなには現役の第一線の写真家の迫力に、この機会に間近にふれてほしい。

『声とギター』ついに!

以前お知らせした港大尋の新作CD『声とギター』がついに完成し、きょう新宿でもらってきた。これはいい! ライブツアーのチラシにある言葉を引用しよう。

「シリアスだがユーモラス。チンピラだが癒し系。ボサノヴァみたいでブルースで、島唄っぽいけど、どこかアフリカ。意表を突いた言葉遊びと、隠しきれないロマンティック。愉快な仲間たちとともに、はじけます、うたいます!」

そして今週金曜日、神楽坂でのツアー初日、ぼくも演奏後のトークショーのために舞台に上がります。ぜひ! 都合のつく人は来てください。

他のメンバーはギターの沢和幸さん、スライド・ギターのTeerさん。レコーディングに参加のShanti Snyderさんはざんねんながらツアーには参加できない模様。でもそんなことはなんでもない。

日程は以下のとおり。

5月2日  シアターイワト(東京・神楽坂)
5月6日  ガットネロ(大阪・上本町)
5月7日  ココルーム(大阪・新今宮)
5月8日  フチューロ(大阪・北堀江)
5月9日  カフェ・パルル(名古屋・新栄)
5月10日 ライフタイム(静岡)
5月17日 中国茶芸館Blue-T(東京・下高井戸)

購入その他のお問い合わせは
http://homepage3.nifty.com/siam-oikos/
まで。

ぜひ、聴きにきてください。

Monday 28 April 2008

新聞から

新聞からの話題、ふたつ。

「朝日」の土曜日のBeにおもしろい写真があった。谷川岳の山開き。これから登山しようとする人たちが数人かたまっている。そばには達筆な毛筆で、以下の文字。「登山の方に鳩を貸します 無料 但し箱代 三十円 財団法人日本鳩通信協会」。

遭難した場合の連絡のために、鳩を持って登山する! これは1958年の写真だという。思ってもみなかった話で、非常に興味深い。朝日新聞社では、1966年まで鳩を通信用に飼育していたのだそうだ。ぼくの子供時代も、まだ年上のいとこたちが鳩を飼っていた。はたして通信に成功したのかどうかは、知らないけれど。

もうひとつは日曜の「読売」。「日本の知力」という連載記事によると、ハーバード大学では親の年収が6万ドル未満だと学費が免除されるのだという。同大学の学費は、年間およそ5万ドル、大部分の家庭に、払える額ではない。でもたぶん大学院レベルではほとんど全員になんらかのかたちの奨学金や授業料免除が出るはずで、そのへんのシステムは日本ではぜんぜんありえない作り方。

先日、スタンフォード大学の博士課程に入るという知人が、下見に招待されて行ってきた。優秀な大学院生はいくつもの学校から入学許可をもらうことが多いので、その先は大学同士による取り合いになる。それで各大学は旅費・宿泊費つきで入学候補者をキャンパスの下見に招待する。さあ、見てくれ、選んでくれ、ということだろう。これは知っていたが、太平洋をわたる旅費まで出してくれるとは、さすがに驚いた。

日本の大学にとって、緊急課題のひとつは奨学金制度の整備。特に大学院生、留学生に対する授業料全額免除や、TA、RAなどによる給与支払を確立しなければ、どんなにやる気と能力があってもとても通えない人は多いと思う。すると困ったことに、大学という制度自体がどんどん階級再生産の場となって、社会そのものについても考えずにすませる部分が肥大してゆく。

大学院生のみんなが、バイトで忙しいのはよくわかる。疲れて勉強する時間もなくなるだろう。それでは本末転倒だが、逃れがたいことでもある。いろいろ工夫していきたいが、どう進めればいいのやら。

まずは小刻みに、あらゆる機会をとらえて、発想の種となるような知識を身につけてほしい。役に立たない知識、ムダになり失われるものなんて、何もない。20代前半のあいだに、思い切り、むりやりにでも、思考の地平をひろげておいてほしい。

Sunday 27 April 2008

アフリカ文庫講演会

明治大学図書館アフリカ文庫では、5月1日に、以下の講演会を開催します。

駿河台の明治大学中央図書館にて。講演者は元コンゴ民主共和国政府和平委員会顧問、エル・ハジ・ムボッチさん。アフリカの紛争の要因と解決策、アフリカでの紛争解決にむけてのAU(アフリカ連合)の政策などについてお話しいただきます。

1 日時  2008年5月1日(木) 
  午後2時00分開場 
  午後2時30分開演(午後4時00分終了予定)
2 場所  多目的ホール(明治大学中央図書館地下1階) 
3 テーマ  「アフリカが直面する課題」
4 講演者 エル・ハジ・ムボッチ氏  
(セネガル・ダカール シェイク アンタ ディオプ大学教授、
 元コンゴ民主共和国政府和平委員会顧問) 
www.elhadjmbodj.com

※ 講演は仏語、日本語通訳あり
 入場無料

アフリカに関心のある方は、ぜひご参加ください。(ぼくは授業日なので行けず、ざんねん。)

まず見渡す、丘に上って DC系コラム(3)

本を読むこと自体に、あまり慣れていなくて、とまどっている人がいるみたいだ。それはそれでいい。そしてそれを克服する道はただひとつ。本を手にしている時間を飛躍的にふやすことだ。

読書は線的に構成されている。つまり、本は(いちおう)最初から読んで最後までいくように構成されている場合が多い。でも、本という形式(ランダムなアクセスを許すかたち)は、みずからそんな線的な発展を裏切っている。どこから読んで、どこでやめてもいい。行きつ戻りつでもいいし、まったくの一点読みだっていい。

そもそも書き手の側を想像するなら、はじめの着想では本のどこに何がちりばめられるかわからないし、書き、また書き直していくうちに、どんどん姿を変えてゆくのはあたりまえ。つまり、本はけっして線的に書かれたためしがないし、本が語る内容は、すべて時間の混乱の上に成立したものなのだ。

旅をするとき。どこでも知らない土地に行ったら、まず高いところに上って、その土地に対する見当をつけるのがいい。おなじように、新しい本を手にしたら、自分がちょっと高い丘にいることを想像して、本のあちこちを拾い読みし、見当をつけてみることだ。そして、気を引かれたところから読み始める。あっちへ、こっちへ。しるしをつけ、ページを折り、線を引いていい。本を買うこと、私有することの意味は、そこにある。

見当をつけながら、その本の性格、気温、湿度、地形、植生などを見抜き、これから進む経路を決める。あとはそこに分け入り、獣道を作ってゆくこと。そして「書評」を書く時には、あとからくるだれかのために枝を折ったり草を結んだりして、目印を作っておくつもりでやればいい。

とにかく、たくさんの本を手にし、たくさんのページをめくってみること。それ以外の方法はない。

できれば「抜き書き集」を作るといいのだが、それはまた未来の課題にしようか。生田の図書館に行くと、各社の新書ばかりが並んだコーナーがある。そこでちょっとでも目にとまったタイトルを片っ端から、「瞬時に読む」練習をしてほしい。やっているうちに、どんどん勘ができてくる。これはようするに、野球でいえばキャッチボール、テニスでいえば壁打の段階。避けるわけにはいかない作業だ。

健闘を祈る。

Saturday 26 April 2008

「グラヌール」10号

札幌で発行されている小さな雑誌「グラヌール」10号に、エッセー「落穂=グラフィティ」を書きました(pp.1~7)。

この雑誌の名の由来でもあるアニェス・ヴァルダ監督の傑作ドキュメンタリー『落穂拾い』(2000年)からはじめて、連想の糸によって「らくがき」の意味を語ろうとしたもの。

「グラヌール」は182ミリかける201ミリという正方形に近いかたちをした16ページのきれいな小冊子で、さとう絹恵さんの美しい植物画が表紙を飾ります。版元は石塚出版局。

DC系でも、そろそろなんらかの「紙」の表現媒体を作ろうという声が上がったところ。

あちこちで、小さな声が草花のつぶやきのようにそっと流通しはじめるのもおもしろいかも。

なんという緑、光(北城貴子)

この春からDC系修士課程の学生になった宇野澤くんのお勧めにしたがって、北城貴子「holy green」を見てきた。INAXギャラリー。

言葉を失った。その緑、降ってきたような光、流れ輝く水。茫然と立ちつくす。水彩などの小品もすべてすばらしいが、三つ並べられた油彩の大作に圧倒される。

絵を見てここまで感動したのは、ひさしぶり。こっちが日ごろ注意を払っていないだけで、いいものすばらしいものはどんな分野にもたくさんあるんだろうなあ。

北城さんの作品世界に、今後はずっと注目していきたい。

わくわくアフリカ!

横浜市金沢区ではどうも「アフリカ月間」を企画しているらしく、5月にはこんな連続講座がある。

http://www.station.li/yashizakenomi/kouza.html

行きたいなあ。でもこっちはこっちでいろいろ予定が。

横浜方面に住んでいる人でアフリカ全般に興味がある人、講座に行ったら話を聞かせてください。

書評のレッスン DC系コラム(2)

課題の書評、第1回を見た。みんな苦闘のあとはよくわかるが、あえて全員「書き直し」とする。書評になっていない。

批評を構成する3つの要件を、まえに説明したのを覚えているだろう。

(1)Notation つまりどんなジャンルであれその作品の中で起きている「動き」を、できるかぎり再現可能なかたちで(言語による批評の場合には)言語的に記述する。

(2)Contextualization その作品がジャンルの歴史の中でどういう位置にいるのかを見極め、解説する。

(3)Evaluation その作品が、「現代」の「自分」にとってどう現われどう評価できるのかを述べる。

もちろん、現実の批評はすべて折衷型だ。場合によっては以上のうちのひとつだけでも、批評文として成立させることはできる。だがその場合でも、受け手の意識としては必ず以上の3つのポイントをおさえているはずだ。

今回の課題を見て思ったのは、みんな「書評」の型がぜんぜん見えていないということ。こんなものは、だが、見抜けるようにするのは簡単だ。毎週、日曜日に新聞に掲載される書評を、100本読みなさい。100本なんてすぐだ、1本あたり原稿用紙2枚程度なんだから。1枚のものだってある。

われわれの課題は「3枚」の長さで書くことに決めた。3枚はあっというまだ、つまらないことに字数をムダにするわけにはいかない。だがみんなあまりにムダ遣いがすぎる。ムダ遣いとは、逆にいえば、どうでもいいことをうんと引き延ばして、水増ししたスープみたいな文を書いているということ。その影には「何を書けばいいのかわからない」という悲鳴が聞こえてくる。

コツを教えよう。1冊の本。おもしろいと思える点を3つ、探しなさい。その3つを自分がなぜおもしろいと思うのかをよく考えて、共通する部分を抜き出しなさい。その上で

(起)本の紹介、著者の背景。250字。
(承)本の主題だと自分に思えるものの簡潔な紹介。150字。
(転)その主題にからめて部分1、2、3を、引用をまじえて記す。200字×3。
(結)その本から得られる認識を、社会・文化の全般的状況と重ねて述べる。そして、この本が勧められるか勧められないかを述べる。200字。

さきほどの3つの要件がどうあてはまるか、ちょっと考えればわかるだろう。

すぐれた書評家は、こうした判断や構成を瞬時に、ほとんど意識することもなく行なっている。だがわれわれとしては、それを徹底的に意識化することによって、「論ずる」ということの本質すら見極められるようになる。

さしあたっては書評のお手本として、紀伊國屋書店のウェブサイトにある「書評空間」から、大竹昭子さんの文を勧めておきたい。どれもずばりとまっすぐ本質を語っている。ストレートで、正直で、的確に、3つの要因をついてゆく。ぜんぶ読みたまえ。

今学期は「合格」つまり「印刷に付すことができる」という段階まで、すべての文を何度でも書き直してもらうので、そのつもりで。

Thursday 24 April 2008

畠山直哉/石川直樹

写真展のお知らせ二つ。

クール・ロマンティックの巨匠、もっともサブライムな写真家・畠山直哉さんの新作展は「シエル・トンベ」と題されている。タカ・イシイ・ギャラリーにて、4月30日から5月23日まで。この崩れた石の風景を見て、それがどこだかあてられる人はまずいないだろう。これは必見。

ついで昨年DC研の講師に来ていただいた石川直樹さんの新作は「VERNACULAR 世界の片隅から」と題されている。案内葉書の写真は西アフリカ(たぶんベナン)の村か。5月1日から28日まで、INAXギャラリー2で。初日にはアーティスト・トークがある。ちょうど木曜日。ぼくは先約があって行けないが、アキバでのゼミに出席するみんなには、ぜひ授業後に行ってみることを勧めたい。あ、でも6時からだ。それに行く人は、早めに出ていっていいことにします。

ウィキペディア礼賛

学習院英文科の授業日。受講者は8名で、たぶんこれで確定。1年間よろしく。

トラヴェル・ライティングのアンソロジーを読んでゆくため、いろいろ調べるべきことも出てくる。まずは分担することなく、各自が調べてくることにした。すると自動的にネット検索になるので、「ウィキペディアは信頼できるか?」という話になる。

結論からいうと、ぜひウィキペディアを参照してほしい。ただし英語版(充実度がぜんぜんちがう、もちろん項目によりけりだが)。誤った情報もあるのかもしれないが、それは従来型の紙版の権威ある百科事典だっておなじこと。むしろ、多くの人の知識をもちよって作るというスタイルを支持したい。

とはいえ、可能なときには複数のソースを点検することは欠かせないし、思想や文学の分野では「原典主義」をできるかぎり貫くに越したことはない。これも、いうまでもないこと。

ぼくがこれまでにウィキペディアの威力を痛感したのは、特に植物名に関して。植物はローカルな名前が翻訳不可能なことが多いし、画像がなければどんなものかもわからない。

そこで英語版で、たとえばkhat とか peyoteとかを引いてみる。はあ、なるほど。こういう姿をしておられるのか。一発でわかる。

かつて「総合的翻訳」を夢想していたことがあった。テクストを読んでゆき、たとえば人名や地名や植物名や鳥の名が出てくると、それをクリックすれば即座に画像と注釈が出てくるような。そしてそんなテクスト体験は、いまではたやすく実現できる。

ところで、辞書に関しては、やはり紙の辞書が捨てがたい。これは言葉の森、そのもの。それに対して電子辞書は、あらかじめ決まった道をゆく、言葉の大規模遊園地でしかない。作り物くささ、予定調和の匂いがぷんぷんする。さっきもスペイン語辞書を見ていて、こんな表現があって、しばしたたずんだ。紙の辞書はすばらしい。

No todo el monte es orégano. (山じゅうにオレガノが生えているわけではない。)

この諺、「人生楽あれば苦あり」の意味だそうだ。ということはオレガノが香る焼きたてのピッツァを食べることこそ人生の至福なのか。いわれてみると、どうもそんな気がしてくる。この諺、しばらく使ってみよう。

Tuesday 22 April 2008

作文について DC系コラム(1)

これからDC系のみんなのために短いコラムを通し番号で書いていきます。勉強の上での参考になれば。

作文について。いつもいうのは、だいたい以下のようなことだ。

(1)3枚書ければいくらでも書ける。
(2)「起承転結」は永遠の真理。
(3)引用がスパイス、結晶の核。

説明する。

(1)小見出しをつけて3枚(1200字)の文を書く練習をするといい。これは新聞の1面コラム(「天声人語」など)の約2倍の長さ。この長さで扱えない話題はない。3枚に収めようとすると、それでも相当に切り詰める必要がある。逆に3枚を、5、6枚までふくらますのはむずかしくない。3枚単位で書いて、あとは並べ替えることができる。このユニットを建築ブロックとして、論文を構想していくといい。

(2)どんな文章でも、書き出しとむすびには細心の注意を払うべし。最初、ちょっと興味を引くように。最後で、未来への展開を予想させるように。残るのはまんなかだが、ここで少しでも「動き」を出そうとすれば、いやでも「承」「転」になる。3枚を、この4つの部分で構成していくのがいいと思う。

(3)文の着想の9割までは、外から借りてきたものだ。この9割を延長して、1割の新しい発想を出せるなら、大成功。どんな文章を書くときにも、必ず先達をたずね、そこからキメのフレーズを探すことだ。これが、たとえば3枚の文で2つあると、文章がビシッとしまる。必ずヒトの力を借りてかくことを学ぶべし。独自性なんて、30年早い。先行する人々の考えを、きちんと要約し説明できるようにすることが肝要。

ということで、がんばろう。木曜日の最初の課題提出を楽しみにしている。

「真夜中」創刊!

リトルモアから創刊されたばかりの新雑誌「真夜中」を、編集の藤井豊さんが届けてくれた。

季刊の文芸誌。創刊号を見ても、堀江敏幸、いしいしんじ、保坂和志、大竹昭子、小野正嗣、宇野邦一といったみなさんをはじめ、すごい豪華メンバー。アートディレクターを務める服部一成さんのデザインが、工夫に富み恐るべき手間ひまをかけながらもすっきりしてて、とてもいい。

巻末近くに紹介されている高木紗恵子さんの絵もぐっとくる。

同時期に、柴田元幸さんを編集長とする「モンキー・ビジネス」も創刊されるようだ。文学って、美術って、写真って、おもしろい、というあたりまえの事実を、さらに発見しつづけていきたいと思う。

「たまや」4号

装訂家の間村俊一さんたちが発行している「詩歌、俳句、写真、批評」などの同人誌「たまや」の4号ができあがった。インスクリプト発売。同人誌とはいっても、こんなに美しい雑誌は珍しい。簡素で瀟洒な装訂、選び抜かれた紙、洗練のきわみのようなデザインが、ビリビリと電気を発している。

ぼくは16行詩連作Agendarsのローマ数字IからVIまでを寄稿。刊行が前後したが、札幌の書肆吉成が出している「アフンルパル通信」にこれまでに発表したアラビア数字1〜9の前に来るのが、これ。当面、ローマ数字系列とアラビア数字系列で発表していくが、いずれはまとめて256編で1冊の詩集にするつもり。5年くらいかかるだろうか。

6編単位で掲載していただける媒体を、つねに求めています。

Sunday 20 April 2008

『わがまま』その後

ふたたびエイミー・ベンダー『わがままなやつら』について。

アメリカ文学者の都甲幸治さんによる書評が「文学界」5月号に掲載された。丁寧な読み、彼とおない年の作家エイミーに対する理解と共感がよくうかがえる、みごとな書評。励まされます。

かの「ほぼ日」(ほぼ日刊イトイ新聞)の「担当編集者は知っている」コーナーでは、角川書店の安田沙絵さんがちょっとだけ訳書制作の裏話を。

http://www.1101.com/editor/index.html

原作者=編集者=翻訳者がこれだけチーム感をもって仕事を進めてこられたのも、すべては安田さんの気配りのおかげ。二〇〇六年の夏の東京で、浴衣姿の彼女たち二人とユッス・ンドゥールのコンサートを前から2列目で見たのは、楽しい思い出だ。そして「ほぼ日」でこの作品を取り上げてくれたのは、元・青山ブックセンターの小川紘枝さん。ABCでのイベントでお世話になり、またエイミーを地元・浅草に案内してくれた人でもある。本当にありがとうございました。

きょうもエイミーは、太平洋のむこうで、新しい作品を書いている。次回作が楽しみだ。

Saturday 19 April 2008

セゼール

カリブ海マルチニックの詩人・政治家エメ・セゼールが17日亡くなった。94歳。20世紀フランス語の、もっとも偉大な詩人のひとりだった。

ぼくの日本の大学での初仕事は1999年夏、東大駒場での「カリブ海文学」集中講義。初日の夕方、授業を終えて出るとどしゃ降りで、どしゃ降りの中で江藤淳の自殺が報じられていた。

その集中講義で輪読したのがセゼールの代表作Cahier d'un retour au pays natal(「故郷への帰還の手帖」)だ。読んでは解説しながら、自分の目の前にその場で風景と歴史が開けてゆくような、すごい経験だった。

そのとき出席してくれた人の中で、工藤晋や中村隆之とはいまでもよく会っている。でもそれがもう9年前の話。人生は恐ろしく短い。

セゼール詩集の翻訳をいつか出したいとも思うが、まずはその教え子グリッサンの小説を。そして何年も前から予告している「セゼール、ファノン、グリッサン」を、今後数年のうちに書いてみたい。

ジュンク堂で

木曜日。午後の3コマ連続授業を終えたあと、池袋へ。ジュンク堂4階のカフェで、フランス文学者の工藤庸子さん、ブックデザイナーの鈴木一誌さんとの鼎談。

いま岩波ホールで上映されているジャック・リヴェット監督の『ランジェ公爵夫人』。

バルザックによるその原作を工藤さんがあまりにも華麗な筆致で訳した『ランジェ公爵夫人』。

そして工藤さんご自身の着想と戦意にみちたすばらしい評論集『砂漠論』。

この三作品を主題として、ぼくが進行係を務めた。

カフェは満席で、聴衆のみなさんの反応も最高で、楽しい90分をすごすことができた。かけつけてくれた友人たちにも感謝。

『砂漠論』の装幀をなさったのが鈴木さん。それがまた、すごい。日本のブックデザインの水準の高さ、工夫と美しさの極みを、よく見せてくれる。

お二人の共通点は、誰よりも繊細でありながら誰よりも大胆な選択をする、ということにあると思う。繊細とは、要するに、あらゆる差異が見えてしまい、その数多のヴァリエーションの中で、表現において「断定」することを回避しないということ。

文学と歴史の読み手としての工藤さんからは非常に多くを教わってきたが、一方の鈴木さんの硬質でパワフルな批評文にも、つねに戦慄を覚えてきた。その印象からこの上なくシャープでコワい人を想像していたのだが、今回はじめてお目にかかった、現実の鈴木さんの、温かさとこまやかさに感動。

たとえば、鈴木さんはこう書く。「どんなに断定口調にみちた文章でも、文章には問いかけの構造が潜んでいる」(『重力のデザイン』47ページ)。そうそうそうそうなんだ! とぼくは机を叩く。このひとことだけで、何か救われた気持ちになる。

帰りは電車が止まっていて、帰宅は午前1時。でもそんな疲労がなんでもない、充実の一夜だった。

学習院

水曜日。はじめて学習院大学に行き、駅からのあまりの近さにびっくり。

今学期は英文科で「トラヴェル・ライティング」のコースを担当する。アメリカで出版されたアンソロジーを教材として、旅行記のおもしろさと、その「言葉の勝負」的側面を、いくつかのサンプルから読みとっていきたい。最大の目的は、英語そのものを体験すること。

小人数で、相当に充実した授業ができそうだ。

明治以外に、火曜日に早稲田と水曜日に学習院に行くのはちょっと苦しいんだけど、この中から近未来に明治のディジタルコンテンツ系の大学院に来る人が出てくるのが、夢といえば夢。そしてそれは、けっして「夢物語」ではない。

中世以来、学生とは遍歴の中で学んできたもの。どんどん大学を変わり、流動の中で習得するという傾向は、これからごくあたりまえのものになるだろう。

Tuesday 15 April 2008

早稲田

早稲田の文学部・文化構想学部合同科目である「カリブ海地域文化研究」がきょうからはじまった。きょうは例によって1980年代はじめのニューヨークではじまったヒップホップ文化(ラップ、グラフィティ、ブレイク・ダンスを構成要素とする)が、いかにカリブ海からの移民集団を背景としてもっているか、という話。

ぼくの大好きなジャン=ミシェル・バスキアの絵をいくつか。それに加えて、ボブ・マーリーとハリー・ベラフォンテの歌と言語についてもふれる。そしてラップのドキュメンタリー『フリースタイル』をちょっと見る。

きょうは英語圏の話題に終止したが、カリブ海のおもしろさはその多言語性にある。来週以後、スペイン語圏、フランス語圏のいろいろな表現形態を、順次探ってゆくことにしたい。

ギャラリー・ゼロ完成!

明治大学生田キャンパス図書館の入口わきに設けられたギャラリー・ゼロの設備がすべて整い、きょう業者の方から機材の説明をうけた。プロジェクターから映写される画像の位置がちょっと高すぎる点を除けば、すべて満足できる。5月から、月代わりで、いろいろな企画を準備してゆくつもり。ここから新しい動きが出てくるような場に育てていきたい。学生のみんなには、ぜひときどきのぞいてほしい。

Monday 14 April 2008

『いのちの食べ方』と「桜狩」

木曜日のゼミでステファニー・ブラックのジャマイカ・ドキュメンタリー『ジャマイカ、楽園の真実』についての話をしたとき、さらに二つの作品を上げた。『ダーウィンの悪夢』と『いのちの食べ方』。後者は友人から勧められただけでまだ見ていなかったので、きょうイメージフォーラムに行って見てきた。

言葉を失った。ナレーションも字幕もなく、食料生産(つまりは動植物の殺戮)の現場が淡々と映し出される。人間、いつ地獄に堕ちても文句はいえないと、改めて思った。それでも事実を事実として、きちんと映像記録をとらせる企業の側も立派だ。

それから青山のラットホール・ギャラリーで、はじまったばかりのリー・フリートランダーの「桜狩」。すばらしい。いくつかはすでに「アサヒカメラ」で見ていたが、プリントで見るとまたぜんぜんちがう。

『いのちの食べ方』でいちばん驚いたのは、岩塩の採掘鉱。すさまじい深さだ、おそらく地下50階よりも深いだろう。そしてそこに広がる巨大な白い空間。これはたしかに想像を超えていた。

さあ、試練の週がはじまる。

Sunday 13 April 2008

若さ?

本屋で雑誌(「ベース・マガジン」?)の表紙にTal Wilkenfeldが出ているのをちらりと見た。まだ22歳の、天才的な女性ベーシスト。時間もお金もないので雑誌は買わなかったが、彼女とジェフ・ベックが昨年のクロスローズ・フェスティヴァルに出演している映像はYouTubeで見られる。これが、なかなか。

http://www.youtube.com/watch?v=mIFFRHBCPzA&feature=related

ジェフ・ベックはたしか1944年生まれだから、今年で64歳! それにしてはなんだこの永遠のギター小僧ぶりは。そして生物学的年代からいっておじいちゃんといってもぜんぜんおかしくない年齢のベックとステージに立ち、度胸満点のソウルフルな演奏を聴かせてくれるタルのかっこよさ、かわいさ。

バンジョーも欲しいし、ベースも欲しいし。でも練習する時間もないし、上達の見込みもないし。残念だが、何かのはずみで、そのうちふらりと楽器屋からとんでもないものを持って出てくることになるかも。

お茶の水を歩くときには気をつけたい。

Friday 11 April 2008

書物復権

人文書出版の老舗8社が共同でおこなっている「書物復権」という企画=運動がある。岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社。いずれも、この一社を欠けば日本の出版はどれほど貧しくなることかと思える、着実に良書を出しつづけてきた版元ばかり。

各社とも5、6点、品切れになっていた、読者からの要望の多い名著を少部数復刊し、また「東京国際ブックフェア」(7月10日から13日)に共同出展するという企画だ。

昨年秋の、佐藤良明さん、坪内祐三さんとぼくの紀伊國屋ホールでの鼎談も、この「書物復権」の一部。

このたび「書物復権」共同復刊XII第2号と題する小冊子ができた。ぼくは「教養と生存」と題した短い文章を寄稿。大手の書店でただでもらえるので、ぜひ入手して読んでみてほしい。

課題図書決定

「コンテンツ批評特論」の課題図書を以下のように決めた。

鷲田清一『夢のもつれ』(角川ソフィア文庫)
赤瀬川原平『芸術原論』(岩波現代文庫)
港千尋『映像論』(NHKブックス)
小沼純一・編『武満徹対談選』(ちくま学芸文庫)
原広司『空間 機能から様相へ』(岩波現代文庫)
松岡正剛『フラジャイル』(ちくま学芸文庫)

いずれも、もちろん新刊で入手可能だし、古書店をこまめに回ればときどき申し訳ないくらい安い値段でいい状態の本が買える。早め早めに入手しておいてほしい。

今学期はこの6冊について3枚以内の書評。ついで各自の関心に沿った主題で7枚以内の自由な批評文を学期末に出す。合計25枚程度の作文で成績を評価する。

ということでがんばろう!

授業開始

10日(木)、授業初日。秋葉原サテライトキャンパスが初めて正式に授業に使用されることになった、記念すべき一日。これから毎週、木曜日には3・4・5限をぶちぬきで、ゼミおよび「コンテンツ批評特論」を開講する。

ゼミは映画論で、教科書として指定したのは、以下の2冊。

村山匡一郎編『ドキュメンタリー』(フィルムアート社)
ナタリー・ゼーモン・デイヴィス『歴史叙述としての映画』(岩波書店)

「コンテンツ批評特論」は基本的には各自の関心に沿って主題を選んで短い批評文を執筆する練習をおこなうが、交替で行なう要約発表の材料として指定したのが以下の本。

岡崎乾二郎編著『芸術の設計』(フィルムアート社)

そしてこれ以外に5冊、基本的には文庫・新書から、ディスカッション用の本を選ぶ。最初のものは鷲田清一『夢のもつれ』(角川ソフィア文庫)。その後の4冊は、近いうちに決める。

ゼミの構成員は宇野澤くんとパコの二人だが、他の人たちも自由に出席してくれていい。「批評」のほうは他専攻・他研究科の各1名を含め、9名でのスタートとなった。

終了後、デジタルハリウッド大学院での演習科目のオリエンテーション。デジハリでの授業も、学生たちには大きな刺激になりそうだ。

Wednesday 9 April 2008

セットアップ

きょうはDC系のアトリエ(共同のコンピュータ部屋)のセットアップ。午後を使って、宮下さんの指揮下、みんなてきぱきと動いてくれた。機材を運び込むと(まだ未完成だが)さすがに立派。スペック的には、これだけのものを準備しているところは日本中見渡してもそうはないだろう、とのこと。

一段落ついたところで改めて全員の自己紹介セッションをした。それぞれの興味や個性が、だいぶはっきり見えてきた。そのまま生田駅前の中華「味好」に移動して、懇親会。ここは餃子がおいしい。いろんな話題が飛び出して、やがては鹿児島合宿、パプア・ニューギニア合宿が実現するかもしれない。

新しい部屋からどんな作品が生まれるか。今後の2年間の展開が楽しみだ。明日から、アキバでの授業をはじめる。

Tuesday 8 April 2008

サラ・ステティエ

現代レバノンの代表的な詩人(フランス語で執筆する)サラ・ステティエが来週、来日。以下のように、東京日仏学院で、氏を囲む夕べが催される。詩人の肖像フィルム「サラ・ステティエ:バラとジャスミン」(監督:モナ・マッキ/1990年/26分/フランス語/同時通訳付)も上映。

またとない機会だ。詩、フランス語、レバノン、ジャスミン、あるいは薔薇、のうちひとつにでも興味がある人は、ぜひ行こう!


サラ・ステティエ(作家)を囲んで

日時:2008年4月18日(金)19:00  同時通訳付き 入場無料 

会場:東京日仏学院エスパス・イマージュ(定員 108名 先着順)

問い合わせ:東京日仏学院 電話 03-5206-2500

住所:新宿区市谷船河原町15(飯田橋西口 徒歩8分)

サラ・ステティエは1929年、ベイルートに生まれる。外交官のキャリアの中でも、特にユネスコのレバノン常任代表、モロッコ大使などを歴任し ている。平行して執筆活動も行い、ランボー、マンディア ルグ、マラルメに関した数多くエッセイや格言集などを書いている。今日では彼は、フランス語で表現する最も偉大なレバノンの詩人の一人として広く認められ ており、1995年のフランコフォニー大賞に輝いている。近著にはDécomposition de l’éclair en brindilles(Les petites vagues社刊2007年)、 Fluidité de la mort(Ed. Fata Morgana, 社刊2007年)がある。

Monday 7 April 2008

『声とギター』完成間近!

Voz e violão というと、ブラジルの天才歌手ジョアンゥ・ジルベルトの、弾き語りによる傑作アルバム。

ジョアンゥに対する敬意からそのタイトルを継承し、港大尋が製作中のじつに意欲的なギター弾き語りアルバムが『声とギター』だ。

「ボサノヴァみたいでブルースで、島唄っぽいけど、どこかアフリカ。意表を突いた言葉遊びと、隠しきれないロマンティック。港大尋渾身の、新しい弾き語りのかたち」とプレス資料にはある。

実際、ピアニストでパーカッショニストでサックス吹きで詩人で歌手の彼にとって、ジャンルはまるで関係ない。ただ、このアルバムでは、形式は雑多でも心はボサノヴァ。遊びにみちた歌詞がときおり、鋭く空気を切り裂き、波間の石のように輝く。驚くべき作品だ。海伝いに人は地球のどこにでも行けることを、改めて確信させられる。

アルバムの完成と同時にツアーがはじまるが、その初日は5月2日(金)、神楽坂のシアターイワトで。さあ、チケットを予約しよう。

このアルバム、ライナーノーツを書かせてもらった。そのためにまだアレンジの固まらない段階の曲を、何度もくりかえし聴いた。すばらしい経験だった。

この夏もトヨダヒトシ

ニューヨーク在住の友人、写真家のトヨダヒトシさんが、この夏もスライドショーを開催する。

上映が終わればなんの痕跡も残らず白い壁だけがそこにあるという、スライドという形式のみで作品を発表してきたトヨダさん。彼の映像日記の気が遠くなるようなしずけさと美しさを、ぜひ体験しよう。

「闇に挟まれながらスクリーンに現れる”像”は手を伸ばしても掴むことは出来ず、日々の中での失敗やよろこびのように、やがて時間に押し流されて消えていく」(トヨダヒトシ)

いまのところ決まっている上映会は以下のとおり。

5月24日(土) 東京綜合写真専門学校
An Elephant's Tail (1999, 35m.)

5月31日(土) 多摩川河川敷(丸子橋付近)
Nazuna (2005, 90m.)

6月13日(金)旧新宿区立四谷第四小学校校庭
spoonfulriver (2006-2007, 80m.)

昨年は明治大学生田キャンパスのメディアホールで、7月3日、感動的な上映会を開催することができた。今年もなんらかのかたちでやりたいなあ。DC系のイベントとして。

でもそれ以前に、上記の上映会へと出かけることにしよう。屋外上映は、なんとも魅力的だ。

デジハリにご挨拶

きょうの大仕事は、この春から協定関係がスタートしたデジタルハリウッド大学院へのご挨拶。場所は秋葉原ダイビルの7階。明治のサテライトキャンパス(6階)の真上で、学生たちはこの二つのフロアを自由に行き来することになる。

あいにく校長の杉山先生はアメリカ出張中で、事務の猪野さん(明治の卒業生でもある)にお相手していただいた。こちらは新専攻(新領域創造専攻)主任の北野大先生と、DC系専任教員3名(管、倉石、宮下)。

デジハリは授業開始まえのこの時期、すでに学生たちの活気にあふれ、グラフィックやTシャツ、美術史の課題などの作品も展示されて、いかにも学校らしい楽しい雰囲気。

特に大学院はほとんど全員が社会人経験者で年齢層も高く、明治の学生にとっては非常に刺激になる交流をのぞめそうだ。

短時間ではあったけれど、猪野さんありがとうございました。わたり歩くことで学ぶ、という姿勢を唯一の合意としてスタートするわれわれDC系、学生のみんなにはぜひ積極的にこのご近所校を訪れ、多くを吸収してほしい。

ところできょうの音楽。Teresa SalgueiroのVocê e eu。マドレデウスのヴォーカルである彼女の落ち着いた歌声が、大西洋をわたったブラジルの歌をたっぷり聞かせてくれる。やっぱりいいなあ、いつもいつも、ポルトガル語は。それが大西洋のどちら側のヴァージョンであっても。

Facebook

大学生を中心に世界的に急成長を続けているというSNSがFacebook。そのうたい文句にはこうある。

Facebook is a social utility that connects you with the people around you.

とりあえず参加してみたら、うれしい驚きがあった。むかし(91、2年ごろ)シアトルの大学で日本語を教えていたときの学生のひとりが、連絡をくれたのだ。いやあ、うれしかった。ぼくにとっては最初の「教え子」のひとり。

連絡が途絶えてしまった友人たちとの連絡の復活は、過去10年ほどのあいだにインターネットを通じて何度かあったが、いよいよそれが簡単になってきたようだ。

もちろん、莫大な個人情報がまるで原始大洋のような曖昧模糊とした電子の海に浮かんでいるということでもある。でも、こんなことでもなければ完全に切れたままだった糸がふとつながることのよろこびは、ちょっと他には得難いものがある。

ありがとう、K。あのころのきみの同級生たちと、また会ってみたいね。あのころはたち前後だったみんなが、いまでは30代後半というのにも驚くが。そしてシアトル、なつかしいシアトルを、ぜひまた訪ねてみたい。

われわれは外国語教室に住んでいる

きょうは午前7時から東京駅にいた。駅中の店、Burdigalaで朝ごはん。東京駅のエキナカは、いまちょっとすごい。こういうところは世界的に絶対にない。お店でコーヒーを頼むと、女の子が"Un blend M, s'il vous plaît"と声をかけるので、つい笑いをこらえる。

こないだは下北沢のイタリアン・カフェSegafredoに友人と行くと、いきなり「Buona sera! いらっしゃいませ」と声をかけられて面食らった。こっちも意地悪く「おっ、いきなりイタリア語できたね」というと、さすがにお店の子も照れ笑い。

まあ、ばかばかしいといえばばかばかしいけれど、それをいうならすべての語学の授業はばかばかしいことを大真面目にやってるわけだから。

それに昔から町の中華料理店などでは、「ちゃーはんイーガー(1ヶ)、ぎょうざリャンガー(2ヶ)」といった言い方を使っていた。いまの気持ちは、それもこれもよし。外国語の広大な世界を思い出させてくれるだけで、こうした演出には効果があるといっていいだろう。

春は新しい語学の季節でもある。今年はNHKラジオの担当が、ロシア語は黒田龍之助さん、フランス語は清岡智比古さん。もういちどかれらの教えにしたがって、言葉の密林を歩いてみようか。

Sunday 6 April 2008

小池桂一『ウルトラヘヴン』イタリア語版+韓国語版

これから取り組もうと思っているあるプロジェクトの打ち合わせのために、ひさしぶりに古いともだちの小池桂一さんに会った。かつて史上最年少で手塚賞を受賞した天才漫画家。その寡作ぶりと完成度の高さは、すでに伝説。そして意識のトリップを一貫して追う作風には、熱狂的なファンがあちこちにいる。

まだ詳細を明かすわけにはいかないわれわれのプロジェクトは、たぶん来年の夏ごろまでにははっきりしてくると思うので気長に待ってもらうとして、うれしいのは彼が手みやげ代わりにくれた傑作『ウルトラヘヴン』のイタリア語訳と韓国語訳。さらにフランス語訳も、すでに発売されているそうだ。

おなじ絵、おなじ展開でも、字面がちがうだけでずいぶん雰囲気が変わる。ハングルが読めないのは残念だけど、イタリア語版をしばらく楽しむことにしたい。その驚くべき展開と緻密な絵が、これからも世界中にひろまっていくことはまちがいない。

ところできょうの音楽はÖykü-Berk のKismet。

http://oykuberkgurman.blogspot.com/

トルコ人兄妹のフラメンコのデュオ。でもトルコ語をぜんぜん知らないので、ファンクラブのブログを見ても何もわからなかった!

Friday 4 April 2008

「考える人」2008年春号

雑誌「考える人」の第24号は「海外の長篇小説ベスト100」特集。129名の人たちの投票から、100作品がリストに選ばれた。ぼくも回答を寄せている(77ページ)。

堂々第1位に選ばれたのはガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。ぱちぱちぱち。

こうしたランキングは、もちろん較べようのないものを較べ、順位などありえないものに順位をつけてみるお遊びでしかないが、「あ、これは読みたい、あれは読んでない」と読書欲をかきたててくれるかぎりにおいて、それなりに楽しいものだ。

しかし、まあランキング自体はまるで無意味だし、何を選ぶかによって浮かび上がるのは選び手の趣味でしかないというばかばかしさも否定できない。また、翻訳で読めるものをあげるというのがほとんど唯一の拘束だったが、たとえば上位にあがっているジョイス『ユリシーズ』などは、翻訳で読んでもほとんど意味はないとぼくは思うし(なぜなら「英語ってこんな風に書けるんだ」ということが興味の中心でストーリーは割とどうでもいい、特によくいわれるギリシャ神話との対比なんて単なる口実にすぎない作品なので)、最低500時間くらいはその作品空間に滞在しなければおよそ何もわからないはずだ(その割にみんなあまりに安易にその名を口にしているが)。

人の性癖とは仕方がないもので、プルーストが大作家であることを知りつつ、ぼくには何度試みても通読できない。部分を読んでその文体のテクスチャーを知れば、それで「もういいや」という気になってしまうのだ。

各選者がつける短いコメントはそれぞれにおもしろいが、なかでは「フランスの現代小説も実はカミュとサルトルが頂点」と断言する作家の松浦壽輝さんのそれがとりわけ印象に残った。

おもちゃカメラの真実

池田葉子『マイ・フォト・デイズ』(えい文庫、「えい」の字は木へんに「世」だが出ないのでごめん)を読んで、すっかり感心してしまった。まだ写真をはじめて5年という女性が、ロモやホルガといったおもちゃカメラで世界を撮りまくる。その絵が、すごい。

彼女は、たとえば花よりは錆びた機械や潰れた空き缶を撮る。景勝の地ではなく、ご近所の誰も気づかない一角を撮る。そこから生まれる写真の、目をみはるばかりの美しさ。

たとえば46と47ページ、ぺしゃんこのキューブに固められた空き缶をロモとホルガで撮り較べたものを見ると、この二つのカメラそれぞれの魂が一目瞭然。感動した。いろんな工夫を凝らして、技法を開発する。その心意気もすごい。

誰でもシャッターを押せばそこそこきれいな絵が撮れるデジタル技術の時代、フィルムカメラがもつ恐ろしいまでの個性と魅力を改めて教えてくれた池田さんに感謝。たとえばこういう方も、いつかぜひディジタルコンテンツ学研究会にお呼びしたいものだ。

Thursday 3 April 2008

4月17日

以下の催し物のお知らせが回ってきた。ドキュメンタリー制作に関心のある人は、ぜひどうぞ。残念ながら、ぼくはその日行けず。誰か、行ったら、内容を教えてほしい、ぜひ。


         「未来型コンテンツ創造研究会」
〇趣旨(発足の狙い)
  現在、放送と通信の融合や映像による次世代アーカイブスのあり方やコンテンツ産業育成強化及びコンテンツ人材育成が今後のコンテンツ産業にとって重要になっています。
 特に、映像コンテンツの未来像を考えるうえで、制作能力の課題とともに、「多視点からの映像制作」の研究は、コンテンツの将来や国際競争力を高める上で、極めて重要になってきました。
 そこで、時代の先端を作った傑作を素材にして、分野の異なる多視点からの映像分析を
 行い、未来型コンテンツの創造という視点で読む解く研究会を発足しました。
〇参加予定者:
 映像コンテンツ産業関係企業、映像コンテンツ関係大学、映像研究者、次世代アーカイブ関係者、自然科学者・社会科学者・文化研究者等さまざまな分野の専門家、学生他

〇内容:「時代の先端を作った傑作ドキュメントシリーズ」
    (3回シリーズで映像と解説及び討議)
   第1回「新宿」(工藤敏樹氏制作)を素材にして
       今後の予定:第2回「エンデの遺言」(河邑厚徳氏制作)を素材にして
             第3回「ガン宣告」(河邑厚徳氏制作)を素材にして
   講師:河邑厚徳氏(NHKエデュケーション総括エグゼクティブプロデューサー)
(略歴)東京大学(元)・女子美術大学非常勤講師 
NHK代表作:インド心の旅、アインシュタインロマン、チベット死者の書、地球法廷、エンデの遺言、世界遺産他。著書多数。
〇日時:2008年4月17日(木曜日)  18時から20時
〇会費:実費 3000円
    *終了後懇親会等は自由参加
〇場所:青学会館アイビーホール 3F ダイチ
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷4丁目4番25号
電話03(3409)8181 代表 
地図:www.aogaku-kaikan.co.jp/access.html
〇申し込み先:Mail:asahioka@sircjapan.com
または FAX:045-541-1525
(株)社会インフラ研究センター  (代表取締役 旭岡勝義)
          〒222-0002
           横浜市港北区師岡町1146-15
           TEL:045-307-8305
  申し込みは、氏名、所属、連絡先を連絡ください。

Wednesday 2 April 2008

『<場所>の詩学』

昨年の夏、金沢で開かれた日韓合同文学・環境学会シンポジウムの論文集が出版された。

生田省悟・村上清敏・結城正美編『<場所>の詩学』(藤原書店)

高銀、ゲイリー・スナイダーという二人の現代の大詩人をお迎えしての、大変に充実した集いだった。

「ゲイリー・スナイダーとアジア」と題するパネルでのぼくの発言も収録されている。

「<古き道>をしめす指先に」(pp.248-263)

これまでにあちこちで書いてきたことの語り直しにすぎないので、これ自体に特に新しさはない。すみません。スナイダーの詩作品の詳細な分析を、いずれは試みなくてはならないと思っている。

青森2006(メモ)

ちゃんとしたノートを持ち歩かないので、いつもありあわせの紙にとりとめなくメモをとっている。おととしの夏の旅行のメモが出てきたので、紙を破り捨てるまえに、ここに記しておく。また行きたい、青森。次は冬に?

青森は森。
空から見ると家々のカラフルな屋根が目立つ。
青、水色、レンガ色、赤。
でも市街地はまるで森に反抗するかのように灰色の塊。
陸奥湾というが「陸奥」が「むつ」であるわけはない。
その名は何を意味する?
早速、三内丸山遺跡に向かう。
ちがう。市内に向かうつもりでいたら途中で案内板を見たから。
自動車免許センターとして使われていた?
三内丸山の名は大字三内、字丸山から。
大規模スポーツ施設建設工事の途中で見つかり計画変更。
5000年前から? 当時は海進期でここが海岸(標高20〜30m)。
道幅はそのままで道より高いところが墓地。
「日本人はお墓が好きだから」
年に3㎜位、降りつもる。何が? 有機物。
栗の木。ロシアの栗の木をシベリア鉄道で運んだって。
遺構はすべて水平的に理解されている。
高さはわからないし屋根の素材もわからない。土葺きが魅力的。
とにかく、いい高台。森の生活だったのか?
昼食は発掘丼(来て良がった丼、海鮮丼)。
はまぐりが出てくると栗のソフトクリーム。あ〜、ばかばかし。
それから津軽半島を北上した。陽射しが明るい、子供がいない。
人がそもそも少ない。
下北汽船のフェリー「かもしか」。車は3台のみ。
フェリー乗り場のわきが海水浴場。
子供たちはTシャツを着たまま泳いでいる。
それから1時間の航海。美しい海、しずか。イルカいない。
対岸に着く。ときおり妙に白人的な顔だちの女の人がいる。
それからすぐ恐山にむかい、さらに展望台に。強風。
むつ市のニュ―グリーンホテル泊。

朝出てヒバ埋没林にむかう。
太平洋から打ち上げられた砂の砂丘、いまはクロマツの林に。
しずかで美しい防風林。
猿ヶ森の集落。
それから南下して原発PR館、トントゥ・ビレッジに。
施設がすごいところにある。ビオトープ。
さらに南、松楽で昼食。二色丼、うに丼、いくら丼。
うには紫うにと馬ふんうに。
海岸をゆくと老部と書いてオイッペと読む。
海岸では老婆が昆布を拾っていた。
やどかりを拾う。
六ヶ所村はスポーツ施設の村。誰も使っていない。
そこから太平洋を後に陸奥湾の側へ。
キツネが轢かれている。
浅虫はサンセットビーチ。
そこから青森市街地はまだかなりある。
ぐるりと裏道を通るようにして青森公立大学へ。
国際芸術センター青森はそこに隣接。すばらしい建物。
イラン人のおじさんがすばらしかった。
イラン・パンにサフランで書いた文字。
小枝の読めない文字。JALシティ泊。

朝は早い。青空、快晴。港はくらげが多い。
青森駅は本数が少ない。東北本線と奥羽本線とも
1hにつき2本位しかない。
ここもカラスが多い。
二つの半島を見わたす美しさ。これも噴火湾?
コンビニでは「週刊ポスト」「現代」「SPA」が18禁。
三つの海を同時に見たい。太平洋、陸奥湾、日本海。
それにしても「むつ」とは何。帆立貝の白い貝殻の
すさまじい量の山がある。
再利用のためシェル・サンドをこれで作っている。
どうやって作るんだろう、使うんだろう。

(以下、紛失)

Tuesday 1 April 2008

いよいよ始動!

はや四月、花冷え、強い風。でも気持ちのいい晴れた一日、われわれの大学院のオリエンテーション第1部が行なわれた。

「新領域創造専攻」は「理工学研究科」の一部だが、駿河台地区(明治では文系の拠点)でも授業をするため、文系大学院のオリエンテーション日であるきょうも全員が参加した。「理工学研究科」そのもののオリエンテーションは一週間後の8日。

われわれディジタルコンテンツ系の修士課程第1期生は13名。かれらと一緒に説明を聞き、明治の建物をまわるうちに、新たな出発の気分がいやでも高まる。どんな組織でもそうだが、その創設期には途方もないことが起きる。創造性が爆発する。みんなが実力以上の何かを実現する。この際、その化学反応を最大限に高め、思いがけない発想が次々に生まれてくる場を組織していきたい。

終了後、アカデミー・コモンそばの「ナポリの下町食堂」で、ピザとビールの簡単なパーティー。この店はまずくはないし手頃なのだが、サービスの面では、もう少し努力を望みたい。それでも地理的に「お隣さん」なので、今回も流れ着いた。そして新しい学生たちとの話は楽しく、それですべてはよし。探求に至上の価値を置くわれわれとしては、食べ物屋の店がどうこうなどということは、ほんとにどうでもいいのだ。

熱に浮かされたように、たとえ吹きさらしの路上でも、着想を話しつづける。そんな空気にみちたプログラムを作っていこう。