Monday 29 June 2009

真夏のおおみそか

いよいよ今年も前半終了間際。大きな仕事がぜんぜん進んでいないので、じりじりと焦り。だが焦りとは、時間との最悪の関係だ。とにかく少しずつ進めていこう。

土曜日(27日)の夕刊に掲載されていた、若田光一さん撮影の上空337キロからの千島列島の火山爆発の写真は、ほんとにすごい。どんな写真家だって撮れない、究極の1枚。こうした科学写真の研究をするヤツ、誰かいないかな。航空写真の歴史だけだって、相当におもしろいはず。

ついで日曜日、軽井沢へ。初めての軽井沢は、御代田のメルシャン美術館。このあたりに武満徹が住んで作曲をしていたんだと聞き、へえっと思う。浅間山が見えて、いいところだ。

展覧会は「もうひとつの森へ」。すばらしかった。彫刻の三沢さん、写真の津田さん、ビデオ・アニメーションのマイさん、みんなすごくいいし、会場設営の豊嶋さんのセンスにもひたすら感心。そして今回のお目当ての、佐々木愛さんのインスタレーション=壁画。

強烈だった! 大きな壁面いちめんに、白一色のメレンゲの森が描かれている。森は倒立している。まるで夕日のような、斜めからの光を浴びる森の前を左右に行ったり来たりすると、陰がどんどん変わる。同時に、メレンゲのエッジが銀色に輝き、茫然とする美しさ。倒立しているということは、この壁は、いわば水面。するとわれわれの頭上に、反映以前の実在の森がひろがっているわけか。建物にはそれはない、建物の外にも。だがこの区域の全体が、じつはまるごと森に属しているのか。

4人のアーティストのバランスが見事。キュレーションのよさを感じた。ユーモアあり、遊びあり、そしてめざしているものの凝縮度が、きわめて高い。展示期間が終わると、愛さんのこの絵は壊されてしまう。惜しいなあ。惜しいけど、それを含めての制作なんだろうか。

その日曜の夜、自宅のそばでひさびさにハクビシンに遭遇。深夜の道路をわたって、金網のフェンスを苦もなく上り、下りて、近所のマンションの庭に消えていった。尾の長さが見事。がんばって繁殖してほしい。

おなじく日曜日で、日本経済新聞の月間連載「半歩遅れの読書術」終了。はじめはまるでちがう主題で準備していたのだが、現在品切れの本を取り上げるのは避けたいとのことで、急遽、高校時代の読書の思い出話にした。西脇順三郎、林達夫、吉田健一、植草甚一という、ぼくが強い影響を受けたジーサン4人について、順次(かれらの生年は順に1894、1896、1911、1908。ぼくの祖父たちも、いずれも19世紀人)。いい機会だった。長いあいだ忘れていたことを、いろいろ思い出した。

読書はけっして本の内容だけの問題じゃないなと改めて思う。読書の時空の周辺にあった記憶が、どうやら本の思い出に重ねられるかたちで組織されているらしい。要は、そのときどきに、自分が周囲の世界をどう把握し構築していたかということ、そのまるごとの問題なんだろう。

本はいい、ハクビシンはいい、森はいい、噴火はいい、宇宙もいい。そして佐々木愛の絵と心意気は、とてもいい。

なお、メルシャン美術館そばの浅間縄文ミュージアムも、非常に興味深かった。軽井沢に行ったら、みんな、ぜひ寄りましょう。結局、われわれは縄文をレファレンスとして現代生活を考え直すのがいちばんいいと思う。2000年前、列島の人口が推定59万人(たしか展示にそうあった)だったころを思い出しながら。

Friday 26 June 2009

さようならマイクル

おととい見たばかりの『ミスター・ロンリー』の主人公がマイクル・ジャクソンのそっくりさん(あまり似てない)だったので、彼のことを考えていた。すると今日、マイクルの逝去。先週は英語の授業でキース・ヘリングの話をし、ぼくの「1958年生まれのともだち」(といってもただ歳が一緒なだけ)としてキースとマイクルをあげたばかりだった。みんなが笑った。すると今日。

ぼくは彼のファンだったことはないけれど、思えばいつも、彼はそこにいた。ジャクソン・ファイヴのころからはじまって(何年前?)。同い年の、最初のメディア・スターだった。

さようならマイクル! スーパースターダムからの転落をもう見なくてすむことになったファンたちの妙に陽気なお祭り騒ぎが、さびしい、悲しい。不滅は完成された。ぼくはそんな風には祝わない、祈らない。でもきみのCDをひっぱりだして、ひさしぶりに今夜は聴いてみよう。

Wednesday 24 June 2009

ハーモニー・コリンのすばらしさ

映画との関係が断続的なので、ときにはある作品の存在に気づかないまま、何年も過ぎてしまうことがある。ときには名前を知っても、ただそれだけで何年も経ってしまうことがある。それでハーモニー・コリンの作品を見たことがなかった自分が、とても信じられない。許しがたい愚行。

この3日、『ガンモ』(1997年)、『ロバ少年ジュリアン』(1999年)、『ミスター・ロンリー』(2007年)を続けて見て、あまりの驚きに茫然としている。信じがたい想像力、身震いするほどの感覚。3本の中では『ジュリアン』が永遠の傑作。『ミスター・ロンリー』もすごくおもしろいが、妙に大人の作品になってしまっている。

そして『ガンモ』の「アメリカ」は、ぼくがすれちがってきたアメリカ。貧しく、狂気が平等に分ちもたれた、田舎の白人たちのアメリカ。

すごい監督だが、多くが作れる人ではなさそう。『ジュリアン』と『ミスター・ロンリー』では、俳優としてのヴェルナー・ヘルツォークの怪演が光る。

Monday 22 June 2009

木曜英語の課題曲(2)

今週から、新しい歌です。

http://www.youtube.com/watch?v=3t4g_1VoGw4&feature=related

いわずと知れた、ボブ・ディラン初期の代表作。このなんともいえない暗さのあるPPMのヴァージョンで覚えてきてください。

Sunday 21 June 2009

おめでとう、夏至

今年も、はや夏至。ミッドサマー。信じられないけど、次は冬至まで、しっかりやろう。

さて。夏至を祝うため、数人で集まって勝手にドキュメンタリー映画祭を開催。見たのは、「食」をめぐる以下の3本。

フーベルト・ザウパー『ダーウィンの悪夢』(2004年)
ニコラウス・ゲイハルター『いのちの食べ方』(2008年)
マーク&ニック・フランシス『おいしいコーヒーの真実』(2006年)

見ると、いずれも、さすがにしゅんとする。なんともいえない後味。苦い、苦い。自分たちが住んでいる世界とか狂気に近い消費の体制とかいわゆる「先進国」が世界の他の地域に強いるむちゃくちゃな負荷を思い知らされて。

3本とも、基本的なドキュメンタリー作品として、日本中の高校生たちの必見リストに加えていい。

これから「これは見るべきだ!」というドキュメンタリーのリストを作成していこうと思う。これに付け加えるとしたら、ステファニー・ブラックの『ジャマイカ、楽園の真実』か。「必見のドキュメンタリー101」、まずはこれで4本。

Wednesday 17 June 2009

きみは人を食うのか?

ぼくが小学校の6年生だった1970年(大阪万博の年)、世界の人口は37億くらいだった。それが現在、68億とか。そして2050年には95億を超えると予測されている。

当然、食料不足が懸念される。それできょうも総合文化ゼミの時間に、みんなの意見を聞いてみた。

「食料不足になると、いちばん有効な解決法はヒトがヒトを食うことだろうね。2050年、きみたちが60歳をちょっと越えたころそんな事態になったら、どうする? 人間を食えるか?」

驚いたことに、何人かはためらいなく「食える」に手をあげる。別にかれらを責めるつもりはない(実際に食わないかぎりは)が、これほどヒトの道徳観は歯止め無く変わりうるのかと思うと、愕然とする。

その一方で、「ヒトを食うくらいなら自分は生きていたくない」という人が、「食える」よりもちょっと多いくらいの割合でいる。ぼくはそれにほっとするが、現在のかれらが下す判断と、いざそんな事態になったときに下す判断は、おなじではないと考えるほうが自然だろう。

ようやく20世紀をかけて多くの地域でカニバリズムの地獄に別れを告げたのもつかのま、ヒトの本質に根ざす行動を、そう簡単に根絶やしにすることはできなさそうだ。

なんという動物であることかわれわれは。何も学ばず、ただ、太陽の膨張により地球が併呑されるのを、ヒトを食いつつ待つというのか。悲しいことだ。せめて人食いはやめよう。やめましょう。ヒトを食わずとも生きていけるレベルの人口に、低位安定することをめざそう。

Sunday 14 June 2009

マオリ講座、終了

土曜日、明治大学リバティアカデミー「世界文化の旅・先住民編」で「マオリ」についての話をする。

いわずとしれた、アオテアロア=ニュージーランドの先住民。そして同時に、太平洋に広大な三角形を描き出すポリネシア言語文化圏の、要ともなる人々だ。

映画とは本当に強力な表現手段なので、マオリについて知りたいという人にはいつも勧めてきた2本の映画を、またこんども勧めた。Once Were WarriorsとWhale Rider。もっとも前者は、あまりの強烈な暴力描写に教室で見るのもはばかられたため、後者の、北島東海岸ギズボーン周辺の美しさがわかる場面をちょっとだけ。何度見てもジンとくる、信じがたい美しさ。

前にもいったけど、「アフリカ編」「島めぐり編」「先住民編」と3年かけて続いてきたこの講座も、今年かぎりでおしまいだ。コーディネーターの中村和恵さんが来年度は在外研究に出るためだが、本当に学ぶことの多いシリーズだった。講師の側が他の講師の話をぜんぶ聞くというかたちは、なかなかできない。その成果の一端を、岩波の新刊『世界中のアフリカへ行こう』でごらんあれ。

またいつか、さらに新たな課題を見出して、別の主題で続行したいもの。

終わって、今日は大阪。着いてみると、まるで中国のような熱気。ふらふら歩いているうちに、偶然、天満に出た。天満? 松本健二さんの本拠地か、ここが! ラテンアメリカ文学者(詩人セサル・バジェホの研究者)の松本さんは、まちがいなく、スペイン語の短編小説を誰よりもたくさん読んでいる人(何があっても1日1編を自分にノルマとして課しているのだ)。そうか、ここが天満か。こんなことなら、あらかじめ松本さんに連絡しておけばよかった。

http://bar-trilce.no-blog.jp/

ところで日本経済新聞・日曜日の「半歩遅れの読書術」は、先週の西脇順三郎に続いて今日は林達夫。残る2回も、どうぞお楽しみに。

Monday 8 June 2009

写真日和

曇っていて、だからというわけでもないが、新宿で写真展をいくつか。

東京写真月間の関連企画。まずコニカミノルタプラザで「風の旅人」写真展。対面する壁面にかけられた、二頭の牛に胸を打たれる。

写真がそこに映っているものの興味にしたがって見られるのは仕方のないことで、人間のあふれる新宿では、牛に興味が集中しても許してください。いい牛だった。とてもかわいい、立派だ。ヒトを寄せ付けない(一頭は人を舐めているけれど)。

それから西口に出てペンタックスフォーラムでの片岡義男さん「撮る人の東京」。小説家のスケッチ帖みたいな写真展で、近い過去にどんどん失われて来た東京の風物・景色が並ぶ。

ぼくにはまったくノスタルジアがもてない世界だが、錆びたり、どことなくみすぼらしかったりする街の風景には、これでじゅうぶんだったのに、という気にさせられる。

小説家の写真展といえば、堀江敏幸さんの写真展が来月から日本橋の森岡書店ではじまる。これは楽しみ。ディテールに強い堀江さんならではの、奇妙な味のあるオブジェの写真が、たくさん見られるにちがいない。

倉石さん企画の箱山直子写真展「New Gardens」は先週土曜日まで、見逃してしまい残念。もう少し、自由に動ける時間を作りたい。

Sunday 7 June 2009

たぶん100マイルごとに

500 Milesの歌詞で、わかりにくいかなと思える点をふたつ。

You can hear the whistle blow a hundred miles.

これはね、「100マイルむこうから汽笛が聞こえてくる」という意味じゃないよ。確認できずにいるんだけど、おそらく鉄道が起点(たとえばシアトル)から100マイル、200マイルといった節目ごとに、汽笛を鳴らして通過を知らせていた、ということだと思う。それで「ほら、100マイルが鳴った、ああ、こんなに遠くに来ちゃったんだなあ」と思いにふけるわけ。

Lord, I can't go a-home this a-way.

これはいずれもa-が「その状態にある」ということを表している。現在の文章語ではあまり使わないけれど、たとえば形容詞のadriftとかalightなんかに残っているa-とおなじこと。だから「こんな状態では家に帰れない」、つまりI can't go home this wayとまったくおなじで、this a-wayといっても「こんなに遠くからでは」とはちがいます。

以上、補足として。

Friday 5 June 2009

半歩遅れの読書術(日本経済新聞)

日本経済新聞の日曜・読書欄に掲載されるエッセー「半歩遅れの読書術」。5月の松浦寿輝さんに続いて、6月はぼくが担当します。7日から4回連続。

本の世界はあまりに広大なので、どんな入口から入るのも、どう進むのも自由。いくつかのやり方を考えていたのですが、結局、気まぐれで、30年以上前の高校生のころの読書をふりかえりつつ書いてみることにしました。

未成年のぼくが大きな影響をうけた4人の著作家をひとりずつとりあげます。第1回は西脇順三郎。第2回は? これから書きます。いずれにせよぼくは、いつになってもかれらの拙劣な模倣者にすぎない、かも。

この小連載では以前に保坂和志さんがミシェル・レリスの日記について書いていたのが強烈でした。そうか、たとえばレリス、バタイユ、カイヨワ、ブルトンだってよかったわけだ。でも今回は日本語の詩人・作家ばかりです。

500マイル

木曜英語の課題曲の訳詩。対応がわかるように、直訳にしています。

「500マイル」

ぼくが乗っている列車をきみが逃したなら、ぼくが行ってしまったのだときみにはわかるだろう、
100マイルを汽笛が告げるのが、きみには聞こえる。
100マイル、100マイル、100マイル、100マイル、
100マイルを汽笛が告げるのが、きみには聞こえる。

神さま、ぼくは1、ぼくは2、ぼくは3、ぼくは4、
神さま、ぼくは500マイル、家から離れています。
500マイル、500マイル、500マイル、500マイル、
神さま、ぼくは500マイル、家から離れています。

着替えを背負っているわけではなく、自分のものといえるお金は1ペニーもない。
神さま、こんな風では家に帰れません。
こんな風では、こんな風では、こんな風では、こんな風では、
神さま、こんな風では家に帰れません。

ぼくが乗っている列車をきみが逃したなら、ぼくが行ってしまったのだときみにはわかるだろう、
100マイルを汽笛が告げるのが、きみには聞こえる。

ゲストたち

アキバの木曜日、ときどき外部からのゲストのみなさんが訪ねてきてくれて、ほんとにうれしい。学生のみんなにも、つねに刺激になる。

きょうも大洞くん(2回め)に加えて、安西洋之さんが参加してくれた。

『ヨーロッパの目 日本の目』(日本評論社)の著者。ミラノ在住のビジネスプランナーだが、17年間のイタリア経験に基づき、いかにも自前で考えてきたという感じが、迫力を生んでいる。

文化とは大きく茫洋として、考えれば考えるほどその実態が曖昧になってゆくもの。それを相手取るには、いちばん役立つのはいろいろな専門家たちのコトバの寄せ集めよりも、むしろ「Aさんのイタリア」「Bさんのスウェーデン」といった、等身大の、「擬人化されている」といってもいい有機的な知識だ。

安西さんのお話は、たとえばうちの大学院の安全学系の学生・教員にも、示唆するところが大きいだろう。いつか、本格的なセミナーをお願いしたいもの。

安西さん、ありがとうございました! 

Wednesday 3 June 2009

そろそろ大学院入試

ディジタルコンテンツ系の入試、募集要項の頒布が6月1日からはじまっています。

一般入試の試験日は8月1日。出願期間は7月2日から8日まで。出願の前に、予定する指導教員(倉石さんか、宮下さんか、ぼく)に一度相談に来てください。研究室の取り組みの内容を説明します。連絡は明治大学理工学部事務室大学院係まで。

3年目の顔ぶれで、いよいよ方向性が決定するのも確実。五感の体験をめぐる読み書きの冒険に、真剣にとりくむ仲間を求めたいと思います。

最近、いちばんかわいいと思うのはツバメ。駅のそばの軒先に巣があり、子ツバメが並んでいるのがわかり、とてもかわいい。

台湾かフィリピンかオーストラリアからやってきたのか。ツバメが町中に営巣するのは、蛇やカラスといった天敵を避けるため、ヒトをガード役に利用しているのだそうだ。

路上を低く飛ぶ姿に、いいしれぬスリルを感じる。

Tuesday 2 June 2009

リボニア語最後の話者、ユルギ

「朝日新聞」の6月1日の夕刊に、「30歳、一人で伝える言語」という記事。あまりに、あまりに感動的。

ラトビアのバルト海沿岸の漁村のことば、リボニア語。フォーク歌手のユルギ・スタルテさんが、その最後のスピーカーだそうだ。リボニア語は「ウラル語族に属し、印欧語族のラトビア語とは構造は全く異なる」。

ラトビア語に包囲されながら、彼女は幼稚園にも行かず、ひたすらおじいちゃんの話を聴いて育った。いまは10歳の長男と3歳の長女に、彼女が毎日リボニア語で話しかける日々。

1から3へ。ぜひ復活をかけて、その習慣をつづけてほしい。そうすればいつかは白水社のエクスプレス・シリーズで、リボニア語入門が発売される日が来るかも。そして日本の中学校では、英語に代わってリボニア語を履修することが認められるようになるかも。

Monday 1 June 2009

篠塚起己央の36冊

現在、群衆論と群衆表現をテーマに修士論文を準備している篠塚くんの36冊です。

今年になってから「文転」しぼくの研究室所属に変わった篠塚くんですが、就職活動のかたわら、隙のない粘り強さで論文にとりくんでいます。きっといいものが書けるはず。また昨年度やっていたアニメ制作もぜひ続行して、論文と両立させてほしい。他のみんなにもいい刺激になるでしょう。



自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

1.森三樹三郎『老子・荘子』(講談社学術文庫、1994年)
2.『孫子』(金谷治訳注、岩波文庫、2000年) 
3.『十八史略』(市川任三訳注、明徳出版社、1968年)
4.『マタイによる福音書』(新約聖書翻訳委員会・佐藤研訳、「新約聖書」<1>岩波書店、1995年)
5.中村元『ブッダのことば—スッタニパータ』(岩波文庫、1958年) 
6.ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(野矢茂樹訳、2003年)
7.木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫、200年) 
8.マルクス『資本論』(向坂逸郎訳、岩波文庫、1969年)
9.アポロドーロス『ギリシア神話』(高津春繁訳、岩波文庫、1953年)
10.トマス・ブルフィンチ『新訳アーサー王物語』(大久保博訳、岩波文庫、1993年)
11.『Nam—狂気の戦争の真実』(同朋舎出版、1990年)
12.佐藤卓己『現代メディア史』( 岩波書店、1998年)


自分が専門と呼びたい分野の12冊(群衆について)

1.港千尋『群衆論—20世紀ピクチャー・セオリー』(リブロポート、1991年)
2.エドガー・アラン・ポー「群集の人」(巽孝之訳、『ポー短編集』(2)、新潮文庫、2009年) 
3.ヘルマン・ブロッホ『群衆の心理—その根源と新しい民主主義創出への模索』 
4.オルテガ『大衆の反逆』(神吉敬三訳、ちくま学芸文庫、1995年) 
5.ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』(桜井成夫訳、講談社、1993年) 
6.デイヴィット・リースマン『孤独な群衆』(加藤秀俊訳、みすず書房、1964年) 
7.ヴォルター・ベンヤミン『ボードレール』(野村修訳、岩波文庫、1994年)
8.阿部良雄『群衆の中の芸術家—ボードレールと十九世紀フランス絵画』(中公文庫、1991年) 
9.セルジュ・モスコヴィッチ『群衆の時代—大衆心理学の史的考察』(古田幸男訳、法政大学出版社、1984年)
10.ジョルジュ・ルフェーブル『革命的群衆』(二宮宏之訳、岩波文庫、2007年)
11.今村仁司『群衆—モンスターの誕生』(筑摩書房、1996年) 
12.エリアス・カネッティ『群衆と権力』(岩田行一訳、法政大学出版局、1971年)


<現代性>を主題とする12冊

1.ジョン・J フルーイン『歩行者の空間—理論とデザイン』(長島正充訳、鹿島出版会、1974年)
2.ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(橋本一径訳、平凡社、2006年) 
3.小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫、1953年) 
4.ナタリー・ゼーモン デーヴィス『歴史叙述としての映画—描かれた奴隷たち』(中條献訳、岩波書店、2007年)
5.グレゴリー・ベイトソン『大衆プロパガンダ映画の誕生—ドイツ映画『ヒトラー青年クヴェックス』の分析』(宇波彰・平井正訳、お茶の水書房、1986年)
6.アンソニー・プラトカニス エリオット・アロンソン『プロパガンダ—広告・政治宣伝のからくりを見抜く』(社会行動研究会訳、誠信書房、1998年)
7.山田奨治『文化としてのテレビコマーシャル』(世界思想社、2007年)
8.ハワード・ラインゴールド『スマートモブズ—“群がる”モバイル族の挑戦』(NTT出版、2003年)
9.荻上チキ『ウェブ炎上——ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書、2007年) 
10.遠藤薫『インターネットと〈世論〉形成』(東京電機大学出版局、2004年)
11.スコット・マクラウド『マンガ学—マンガによるマンガのためのマンガ理論』(岡田斗司夫訳、美術出版社、1998年)
12.馬場保仁、山本貴光『ゲームの教科書』(ちくまプリマー新書、2008年)

星埜恵の36冊

外部ゼミ生・星埜さんの36冊です。黒人音楽が大好きな彼女、最近は沖縄に通っているとか。今後どんな活動をくりひろげることか。つねに地球大の視野でがんばってほしいと思ってます。

そうか、『マルコムX自伝』はアップリンクが出してたのか。おまけにうちのセンパイ教員だった浜本先生の訳だったのか。ぜんぜん知らなかった!


1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』(講談社、1979年)
大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソウル』(メディアファクトリーダヴィンチ編集部、2002年)
森達也著 デーブ・スペクター監修『放送禁止歌』(解放出版社、2000年)
淀川長治『私のチャップリン』(PHP研究所、1977年)
白石嘉治/大野英士『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論、2005年)
マルコムX、アレックス・ヘイリー『マルコムX自伝』(浜本武雄訳、アップリンク、1993年)
ミリアム・マケバ『わたしは歌う』(さくまゆみこ訳、福音館書店、1994年)
ドクター・ジョン/ジャック・レメル共著『フードゥー・ムーンの下で』(森田義信訳、ブルース・インターアクションズ、1994年)
チェ・ゲバラ『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行記』(棚橋加奈江訳、現代企画室、1997年)
ヌーラ・オコナー『アイリッシュソウルを求めて』(茂木健・大島豊訳、大栄出版、1993年)
デカルト『方法叙説』(落合太郎訳、岩波書店、1967年)
ピーター・バラカン『魂のゆくえ』(アルテスパブリッシング、2008年)


2.自分が専門と呼びたい分野の12冊(音楽−言葉−ディアスポラ)

野田努『ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ』(河出書房新社、2001年)
『アジア・アフリカ詩集』(高良留美子訳、土曜美術社、1982年)
山之口獏『山之口獏詩文集』(講談社、1999年)
平井玄『暴力と音-その政治的思考へ』(人文書院、2001年)
東琢磨『全-世界音楽論』(青土社、1993年)
鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン ディアスポラの響き』(青土社、2000年)
目取真俊『魂込め』(朝日新聞社、1999年)
栩木伸明『アイルランド現代詩は語る-オルタナティブとしての声』(思潮社、2001年)
コーネル・ウエスト『人種の問題-アメリカ民主主義の危機と再生』(山下慶親訳、新教出版社、2008年)
ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』(上野俊也ほか訳、月曜社、2006年)
ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』(林田ひめじ訳、早川書房、1990年)
シドニー・W・ミンツ『アフリカン・アメリカン文化の誕生』(藤本和子訳、岩波書店、2000年)


3.「現代性」を主題とする12冊

高祖岩三郎『新しいアナキズムの系譜学』(河出書房新社、2009年)
石牟礼道子『苦海浄土』(講談社、1972年)
辺見庸『愛と痛み 死刑をめぐって』(毎日新聞社、2008年)
矢部史郎/山の手緑『愛と暴力の現代思想』(青土社、2008年)
酒井隆史『暴力の哲学』(河出書房新社、2004年)
岡真理『アラブ 祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波書店、2005年)
渋谷望『魂の労働』(青土社、2003年)
デヴィット・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)
アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート『帝国』(水嶋一憲ほか訳、以文社、2003年)
ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社、2008年)
ジョージ・オーウェル『1984年』(新庄哲夫訳、早川書房、1972年)

木曜英語の課題曲(1)

すでに2回を数えたDC系木曜英語。最初の課題曲を、いろいろ迷った末、こう決めました。

http://www.youtube.com/watch?v=GXOmSlcG3I0

ゆっくりで歌いやすく歌詞も簡単でしかも情感にあふれて。これ以上にふさわしい歌があるとも思えないので!

早速、今週から合唱します。歌は月替わりで考えようか。まずは60年代フォークの世界に、まっしぐら。