ぼくが小学校の6年生だった1970年(大阪万博の年)、世界の人口は37億くらいだった。それが現在、68億とか。そして2050年には95億を超えると予測されている。
当然、食料不足が懸念される。それできょうも総合文化ゼミの時間に、みんなの意見を聞いてみた。
「食料不足になると、いちばん有効な解決法はヒトがヒトを食うことだろうね。2050年、きみたちが60歳をちょっと越えたころそんな事態になったら、どうする? 人間を食えるか?」
驚いたことに、何人かはためらいなく「食える」に手をあげる。別にかれらを責めるつもりはない(実際に食わないかぎりは)が、これほどヒトの道徳観は歯止め無く変わりうるのかと思うと、愕然とする。
その一方で、「ヒトを食うくらいなら自分は生きていたくない」という人が、「食える」よりもちょっと多いくらいの割合でいる。ぼくはそれにほっとするが、現在のかれらが下す判断と、いざそんな事態になったときに下す判断は、おなじではないと考えるほうが自然だろう。
ようやく20世紀をかけて多くの地域でカニバリズムの地獄に別れを告げたのもつかのま、ヒトの本質に根ざす行動を、そう簡単に根絶やしにすることはできなさそうだ。
なんという動物であることかわれわれは。何も学ばず、ただ、太陽の膨張により地球が併呑されるのを、ヒトを食いつつ待つというのか。悲しいことだ。せめて人食いはやめよう。やめましょう。ヒトを食わずとも生きていけるレベルの人口に、低位安定することをめざそう。