彼の場合、人の顔の知覚は、われわれが窓のそばに坐り、波立っている川波を見ている時に、観察することができる、常に光陰が変化しているものの知覚に近いものになっている。揺れ動いている川波を誰が「覚える」ことができようか?
(A・R・ルリヤ、天野清訳)
ところであんたに貰ったこのタバコ、これは本当はわしの物ではない。諸霊の物なんだ。カミ様方の身代わりにタバコを受け取る、ただそのためにこのわしは、この地上に召されたんだ。
(エルシー・パーソンズ、神徳昭甫訳)
彼は生涯を通じて現役の商人であった。ヒューマニストとしてつねに「甘美な哲学研究」を夢みながら、他方で生地ラグーザ(現ドゥブロヴニク)、ナポリ、フィレンツェ、バルセローナを結ぶイタリアと西地中海の貿易に従事しつづけた。こうしたヒューマニストと商人の二面性がコトルリに、ラテン語と俗語の間で迷い引き裂かれる自己を意識させたのであろう。
(大黒俊二)