Saturday 29 November 2008

桃のピクルス、カレー味

建築学科の田中友章さんが招いて講義をお願いした、現代美術家の真部剛一さんが、宇野澤くんにみちびかれて、ふらりと研究室に立ち寄ってくださいました。

真部さんは岡山をベースにして、中国の黄土高原でも持続的に活動しているアーティスト。

http://www.artlinkcenter.net/

きょう手みやげにといただいたのが、このアートリンクセンターで作っている桃のピクルスで、これが「おっ!」と思うほどうまかった。遊びにきていたポルトガル人英文学者のダニエラ・カトーさんも、これはすごいと感動していた。

岡山は桃の産地。大きな実をならすために、成長途中で摘み取られてしまう実がたくさんある。梅干し大のそれを酢漬けにし、スパイスを加えてカレー味に仕上げたのが、「モモピク(カレー味)」。

実の大きさのちがいが可憐。すべてがあるインドにはあるかもしれないけど、それ以外の土地から見れば斬新きわまりない味だ。

真部さん、ありがとうございました。いつか瀬戸内海にも、中国の沙漠にも、お訪ねしたいものです。

Tuesday 25 November 2008

アフリカ系

こないだうち「オランダ」の黒人女性シンガー、ジョヴァンカ(Giovanca)をよく聴いていた。軽くて、さわやかな感じ、いい声。彼女は1977年、キュラソー生まれ。ABC諸島と呼ばれるカリブ海のオランダ領のひとつだ。

するとパコからブイカ(Buika)を教えられた。コンチャ・ブイカ、彼女は「スペイン」のアフリカ系歌手。といっても生まれも育ちもマジョルカ島で、1972年にパルマ・デ・マジョルカで、赤道ギニア出身の両親から生まれた。強烈な火がある、灼けた鉄の声。

このコンチャを教わったのは、仙台の宿で。3人でYouTubeを開けて、次々にお勧めの歌を聴いていった。パコがコンチャを出せば、宇野澤くんが友部正人とどんとのデュオ、それを受けてこんどはニール・ヤングとか。これで一晩くらいは遊べるのがうれしかった。

「思想」12月号

「思想」12月号は、まさに今週、満100歳を迎える人類学者クロード・レヴィ=ストロース特集号。

ぼくは彼の『悲しき熱帯』の原型といわれる短いテクスト「小説『悲しき熱帯』」の翻訳(pp.41-46)と、エッセー「<重力>がほどかれるとき 紀行、リズム、ブラジル」(pp.47-51)を寄稿しています。

来年の総合文化ゼミ(学部1、2年むけ)のひとつは、『野生の思考』を読む、にしようかと考えているところ。ちょっとむずかしすぎるか。でもthe real thingにふれるのに、早すぎるということはないし。さらに迷ってみます。

北上川、北上川、広瀬川、太田三郎

連休を利用して、DC系ゼミ旅行(学外実習)へ。東北4都市巡歴の、すごい旅になった。参加者は宇野澤くんとパコ。

なんといっても、川がすごかった。花巻で、イギリス海岸めざしてテクテクと歩いた北上川の土手。盛岡で、早朝の北上川を泳ぐ白鳥の優雅さ美しさ。仙台で、西公園から紅葉の雰囲気のたちこめる中を青葉城めざして歩く途中の広瀬川の美しさ。

仙台は、ほんとにいい。モントリオール出身のパコが、ここはいい!と感動するほど。山も森もいいし、仙台メディアテークは、しばらくいてもぜんぜん飽きない。ぼくが高校生なら、あるいは東北大の学生なら、毎日通う。そして毎日、太白山に登る!

仙台にひっこそうかなあ、この際。(だが、盛岡もいい、あの川沿いに住めるなら。)

それからバスで山形に出て、山形美術館で切手アートの太田三郎展。アーティストご本人の解説にしたがって作品を見て、お話しすることもできた。種子の葉書、被爆樹の切手に強い衝撃を受ける。いかにも実直なお人柄で、またゆっくりお話をうかがいたい。

東北はいい。強烈に魅力的。住みたい土地。近いうちに、また行こう、きっと。

Wednesday 19 November 2008

偉大なYouTube

で、Gong LinnaがいないかどうかYouTubeに訊いてみたら、ありました、いました。「山中問答」というこの曲だけでも、まずは聴いてみてください。

http://jp.youtube.com/watch?v=orKB3AkHVi0&feature=related

彼女と張燕(Zhang Yan)のおかげで、今年は年末まで気合いを入れてやれそう。

Gong Linna

人間の歌のおもしろさは、文化や言語や曲のジャンルがちがっても、いい歌手は一瞬でわかるということ。

地球にこれだけ人がいるのだから、めぐりあえる歌手なんて、すべてのすばらしい歌手のごくごくごくごく一握りでしかないだろう。

いちばん最近、飛び上がるほど驚いたのが、中国の民謡歌手ゴン・リンナ。ゴンは「龍」の下に「井」という一文字、リンは「琳」でナは女偏に「那」の字。

まったく知らずに聴きはじめて、最初の「走西口」(陜北民歌)にガッツンとやられた。すごい。思わず目が丸くなり、涙が出そうになる。

「西の峠を越えながら」といった意味らしいが、いったいなんという不可解な情感だろう。引き裂かれる思いだろう。これを、ニューメキシコのプエブロにもってゆき、村人たちとともに、岩山の上で大音響で聴いてみたいもの。

Sunday 16 November 2008

近藤一弥さんとの夕べ

土曜日の夜はBOOK 246で、グラフィック・デザイナーの近藤一弥さんとのトークセッション。過去10年あまりの近藤さんの代表作をスライドで拝見しながら、その充実したお仕事ぶりの一端をうかがうことができました。

美術、音楽、舞踊、パフォーマンスなどのポスター、そして本。そのつど作品の魂を踊るように立ち上がらせる近藤さんのマジックと強烈なヴィジョンに、まるで映像作品を一本見終えたような深い感動。その後の質疑応答も楽しく進み、あっというまの2時間でした。

安部公房、武満徹という、ふたりの天才の徴のもとに、形態と色彩の冒険を重ねてきた近藤さんの足跡。ぼく自身、「え、これも近藤さんだったの?」と思うものも多くて(大好きだった展覧会アントニー・ゴームリーの「アジアン・フィールド」とか)、微妙な匿名性の中で仕事をするデザイナーという仕事に改めて感じ入りました。

DC系トークセッション、次回は文学・音楽批評の陣野俊史さんです。日時は未定ですが、たぶん2月。

Fringe Frenzy No.1

ゼミ新聞Fringe Frenzyの創刊第1号、ついに発行されました!

プレ創刊ゼロ号から半年経ってしまいましたが、今回も充実の内容。安全学系の中心人物であるファジー理論の向殿政男先生へのインタビュー(by 宇野澤昌樹)、中文コラムニスト新井一二三(林ひふみ)さんによるエッセー「母語からの自由」、そして山田緑さんの衝撃の傑作7コマ漫画「アルパカの夜」など。ぼくの「リスボン日記」第2回も。

英文記事はパコによる鷲田清一『夢のもつれ』の書評と、ぼくの中西夏之展評。

今後、会う人に順次わたしてゆくつもりです。気楽に声をかけてください。

そして第2号は、すぐそこ。もう原稿は集まっています。ご期待ください!

Friday 14 November 2008

「夜来香」再説

ぼくが家に持っていた唯一の「夜来香」はおおたか静流のそれ。さすがの実力派ですが、歌詞は日本語。

有名曲だけあっていろんな人が唄っていて、日本語ヴァージョンには青江三奈とか都はるみとか、思いがけない人たちがいます。

YouTubeでしばらくあれこれ聞いて、たどりついた最高の歌手は、この人。

http://jp.youtube.com/watch?v=MCPYNcijVkE

思わず知らずぞくっとするその声と美貌。でも、この彼女でさえ、武漢のあの女の子たちの合唱にはかなわないと思うのは、なぜ?

Thursday 13 November 2008

渋谷にて

中国から帰って、成田空港から渋谷に着くと、見慣れた東京がもはや中国の一地方都市にしか見えず。漢字文化圏のfringeでかろうじてわずかな言語的・生活習慣的独自性を保ってきた日本列島民の苦境を、改めて思いました。ほっとけばあっさり飲み込まれる、巨大な存在を前にして。

中国でもっとも感動したのは、大学のキャンパスで、夜、4人の女子学生が歩きながら合唱していた「夜来香」。すばらしい歌声でした。

名曲中の名曲だけど、テレサ・テンや李香蘭の歌でも、あまり満足できず。あの4人の声は、あまりに美しく、すばらしかった。

ともあれこれからしばらくは、中国語のカタコト習得に全力をあげます。

Sunday 9 November 2008

武漢にて

中国・武漢に来ています。

台湾、香港、マカオには行ったことがあるけど、大陸中国ははじめて。乗り換えの上海空港のでかさからはじまって、とにかく驚きっぱなし。中学生のときはじめてアメリカに行って、いろんなもののでかさに茫然としたけれど、それ以来の衝撃。

旅行の目的は「文学与環境国際学術研討会」(ただし文字は簡体で)出席のため。初日に、エコクリティシズムの中心人物であるスコット・スロヴィック(ネバダ大学)がチェアを務めるパネルEcocriticism, Public Consciousness, and Social Practiceで"Hidden Under the Water, History"という発表をしたところです。

話したのは、ダムによる水没をめぐる映画・写真作品について。最近の中国映画2つ(ドキュメンタリーの『水没の前に』と『長江哀歌』という邦題で公開された『三峡好人』)からはじめて、日本では岐阜県の徳山ダム建設で水没した徳山村の写真を撮りつづけた増山たづ子さん、そして広島県の灰塚ダム建設を背景におこなわれた壮大なアート・プロジェクト「船、山にのぼる」について話し、最後に既設ダムの破壊によるもともとの生態系復元の試みについて話して、おしまい。

この主題は、ヒトによる都市化と自然の関わりについての中心的問題になりうるもので、これからいろいろ見たり考えたりしていきたいと思ってます。

夜は、同僚の波戸岡さんとともに、大学院生の女の子たちに案内してもらって、武漢の百貨店やスーパーマーケットを見てまわりました。消費生活は、日本とぜんぜん変わらない。百貨店での衣服や化粧品の品揃えなどは、たとえば扱うスニーカーの銘柄をとっても日本より品目が多いくらいだし、スーパーの巨大さはアメリカの大スーパーマーケット以上。地方都市とはいっても、周辺を入れた人口は1000万以上なのですから、消費者数の多さもあたりまえか。

スターバックスに寄ると、外のデッキにあるテーブルの隣のグループはイタリア人数名で、どこにいるのかまったくわからなくなる。

大学院生の彼女たちには「明治大学」が一発で通じたのでびっくりしたら、それはジャニーズ系のタレント学生のおかげでした。木村拓哉も、すごい人気でした。

案内してもらった上に、武漢の名物「周黒鴨」(アヒルの首を辛く味付けしたもの)をプレゼントしてくれて、どうもありがとう。なかなかおいしい。強烈な匂いがする臭豆腐も名物みたいですが、そっちはまだ試していません。

明日はEcocritical Studies of World Classics: American Literatureというセッションのチェアを務めます。街をもっと歩いてみたいけど、時間があるかどうか。

Thursday 6 November 2008

BOOK 246で

DC系トークセッションの第2弾、デザイナーの近藤一弥さんの回が、いよいよ来週です。


BOOK246×明治大学DC系 連続トークセッション

見えるもの聞こえるもの ― What We See, What We Hear

第2回 近藤一弥 × 倉石信乃 × 管啓次郎「いま、デザインとは何か」


美術展ポスターから文学全集まで、幅広いデザイン活動を展開する近藤一弥さんを迎え、デザインの可能性を探ります。
近藤一弥 Kazuya Kondo:グラフィックデザイナー、アーティスト。www.kazuyakondo.com

倉石信乃 Shino Kuraishi:批評家、詩人。明治大学DC系准教授。

管啓次郎 Keijiro Suga:翻訳者、エッセイスト。明治大学DC系教授。


2008年11月15日(土)18:00~20:00
会場:BOOK246店内 入場料:500円 定員:30名(要予約)

予約・問合せ先:03- 5771- 6899(BOOK246)/info@book246.com



BOOK246

〒107-0062 東京都港区南青山1-2-6 Lattice青山 www.book246.com

東京メトロ半蔵門線・銀座線、都営大江戸線「青山一丁目」駅より徒歩1分


近藤さんの代表作である「安部公房全集」他の本も、たぶん当日、書店で買えますよ。ぜひ予約して、遊びにきてください。

友だちの木

このところ、増山たづ子さんが遺した写真を集めた『増山たづ子 徳山村写真全記録』(影書房)をくりかえしくりかえし見ている。

そして「友だちの木」のページ(見開き)にくるたびに、胸がどうにも苦しくなる。

言葉だけ、転写。116ページと117ページ。

「イラの友だちの木は、嬉しい時も悲しい時も、いつも慰めてくれた。若い時は至らんもんで、グチをいうと「何をトロクサイことをいうのじゃ、このワシを見よ、大水が出れば根を洗われ、大風がきて枝を折られてもこうして何百年も立っておるのじゃあど」といって力づけてくれた。「イラも頑張ろう」。子どもと一緒に歌を唄いながら洗濯物を干した」

「雪が止んだので友だちの木はどうしているかなーと思って川に降りてみた。「イラも年とったがお前も年をとったような気がする。長いつきあいじゃが、これからも話し相手になってクリョー。ここがダムで沈んでしまうとイラはだれも話し相手がのうなってしまう。イラも死にたいくらいだ。お前と別れるのは本当に辛いコッチャー。残るのはお前の写真だけだもんなー。寒さにも暑さにも悲しみにも負けないお前の勇気を見習わなくてはなー。情けない。水に沈むお前をどうしてやることもできない」

写真という不思議なモノのすべての意味は、結局、ここに率直に語られる、それだけでいいのではないかと思えてくる。

ついに

オバマ大統領が現実になるのか。

自分より年下の合衆国大統領が生まれるのも、驚きつつ、楽しい。日本でも、首相は50歳未満といった不文律ができれば、ずいぶん変わるだろう、いろいろ。

アメリカがふたたび「試みの国」に戻ってゆくところを見たい。

Wednesday 5 November 2008

「元社長」とか、「プロデューサー」とか

小室哲哉氏が逮捕されて、NHKはアメリカ大統領選関連の数倍の時間を使って、この件を報道していた。

時間配分を誰が決めるのか知らないが、そしてこの時間配分はまったく無用だと思うが、それはともかく。

報道で一貫して同氏を「小室プロデューサー」と呼ぶのは、どういう感覚だろう。

故・三浦和義氏に関しては「元社長」とか。

そうした奇怪な称号をすべてヤメて、ただ「〜氏」というのでは、なぜいけないのか。

あるいはまた、一般には「男性」「女性」と報道し、犯罪者になると「男」「女」になるのも気に入らない。「男」「女」は蔑称だとでも考えているのか。

そしてこうしたすべてに「国語学者」たちは、なぜ疑念を呈さないのか。

Tuesday 4 November 2008

Saudade do futuro?

11月12日、以下のような催しがあるそうです。ぼくは大学の業務で行けないけど、おもしろそう。誰か行ったら、ようすを聞かせてください。


未来への郷愁——21世紀の文芸を切り拓くために
多和田葉子さんを迎えて
——トーク・朗読・シンポジウム——

日時 2008年11月12日(水)午後3時30分〜6時30分 (開場午後3時)
場所 東京大学(本郷キャンパス)
法文2号館1階 文学部3番大教室(定員300名)

キャンパスマップ: http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
交通: 地下鉄丸ノ内線・大江戸線「本郷3丁目」、南北線「東大前」、千代田線「根津」などからいずれも徒歩10分。法文2号館は、東大正門から安田講堂(時計台)に向って直進し、右側二つ目の建物です。
入場無料・事前登録不要。どなたでも聴講できます。

プログラム

15:30-16:15 多和田葉子 トークと朗読「声と文字のはざまで」

16:30-18:30 シンポジウム「越え行くもの/ととどまるもの」
パネリスト 多和田葉子
      細川周平(国際日本文化研究センター/音楽学・ブラジル移民文化研究)
      沼野充義(東京大学/ロシア東欧文学・現代文芸論)
司 会  楯岡求美(神戸大学/ロシア演劇・文化)

共催 日本学術振興会人文社会科学振興プロジェクト「越境と多文化」/科研費研究グループ「グローバル化時代における文化的アイデンティティと新たな世界文学カノンの形成」/東京大学文学部現代文芸論研究室

問い合わせ先 東京大学文学部現代文芸論研究室
  〒113-0033 東京都文京区本郷7−3−1 電話・ファックス 03-5841-7955



パネリスト紹介

【外に出る】この世界にはいろいろな音楽が鳴っているが、自分を包んでいる母語の響きから、ちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか。それは冒険でもある。(多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』岩波書店、2003年)

【間を漂う】亡命者は故郷というユートピアを追われ、もう一つのユートピアを求めてさすらうのだが、決して究極の目的地に行き着くことはなく、「間」を漂い続ける。(沼野充義『徹夜の塊 亡命文学論』作品社、2002年)

【内に囚われる】私が考えたいのは、知識人にしか見えない「真のヴィジョン」には無頓着で、故郷に囚われている多数者のこと、(中略)彼らの故郷への思いである。(細川周平『遠きにありてつくるもの 日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』みすず書房、2008年)

Sunday 2 November 2008

スタッズ・ターケルを讃えて

スタッズ・ターケルの逝去が報じられた。96歳。10月31日に亡くなったそうだ。アメリカの、もっとも偉大なオーラル・ヒストリアンだった。

http://www.chicagotribune.com/news/local/chi-studs-terkel-dead,0,2321576.story

彼のインタビュー本は、どれもすべてが、全ページがおもしろい。ひとりの歴史家の著述ではなく、多くの人々の生の語りの中に歴史の真実が露呈することを教えてくれたのは、彼。翻訳もいくつか出ているので、ぜひ読んでみてほしい。

「アメリカ」という集合体について、他の誰よりもよく教えてくれた。もちろんそれはスタッズひとりの力ではない。彼において収束する、すべての人々の心の力。

そしてぼくにとっては、シカゴのあの独特に自由な空気が、ターケルにむすびついている。ニューヨークにもLAにも似ていない、あのブルーズィーな空気が。たぶん、もっとも「アメリカ的」な。

彼に倣った仕事は、どんな国のどんな集団を相手にしても試みられていい。

Saturday 1 November 2008

トビウオ、おむつ

夜、なんとなくテレビを見たら、日放協でトビウオ漁のドキュメンタリーをやっていて、これがすばらしかった。ミクロネシア、インドネシア、台湾、日本。すごく充実していると思ったら、やはり門田修さんの作品で、文化人類学者の後藤明さんも協力していた。

台湾の離島の漁民たちが、卵のみならず大きな目玉も、「さしみ」と称してたっぷり生で食べているのが印象的。そのおかげで、目が悪くならないのだそうだ。一理あるかも。

ところで太平洋の漁労文化の研究者である後藤さんは、ぼくのハワイ大学人類学科での先輩。ハワイでのぼくの愛車の前オーナーでもあった。アパートのまえは坂道なのだが、走り出しは上り方向には行けない。まず坂を下りて、しばらく平地を走ってエンジンを温めてから、おもむろに上り坂に戻った。それは楽しい儀式みたいだった。車は500ドルで後藤さんから買い、半年ほど乗って、ハワイを去るとき中国系タヒチ人のルネに250ドルで売った。

もうひとつ、最近びっくりしたニュース。昨日(木曜日)の朝日新聞の朝刊だが、おむつを使わずに子育てをしている人たちがいるそうだ! 考えてもみなかった。生後まもないころからおまるを使わせ、ころあいをよく見計らっていれば、特に汚さなくてもすむらしい。

紙おむつを使い捨てにし、しかもその製品の性能がよければよいほど、おむつがとれる時期は遅くなる。もともと日本でも昭和20年代までは、おむつは2か月でとることが勧められていたのだそうだ。「2歳以前に無理にはずそうとすることは赤ちゃんの心理的負担になる」という考え方は昭和40年ごろあらわれ、紙おむつの登場と軌を一にしていたとのこと。

これは根本的な発想の転換。ますます、すべての生活上の慣習は疑ってかかるべきだ、と思う。紙おむつは当然、アメリカから来たものだったろうし、その導入を支えた心理学主義も、やはりそうだったろう。おむつの使用といった根本的な問題ですら、ほんのわずかな期間でがらりと変わるものだ。

ぼくなんかは、「布おむつの末期に育ち、紙おむつで子育てをした世代」だということになる。そしてこの世代すら、歴史上のあるごく限られた一時期のスタイルだった、ということになるのだろう。