Sunday 29 March 2015

アメリカ比較文学会の発表終了

シアトルで開催中のアメリカ比較文学会、われわれのセミナーは「日本のエコクリティシズム」です。土曜日は第2日。ぼくも発表を終えました。

きょうはぼくが「2011年3月11日以後の写真」と題して、畠山直哉さん、笹岡啓子さん、露口啓二さんにお借りした写真を見せながら、人間社会と自然の関係について話しました。ついで、もともと参加予定だったけれど都合で断念した赤阪友昭さんが福島を撮影した写真を、ぼくがスライドショーで紹介。

そのあと、華道家・みささぎ流家元の片桐功敦さんが、 この3年ほどのご自分の福島での創作活動を、写真と短い言葉で提示してくださいました。比較文学会への華道家の参加は異例中の異例でしょう。あまりに美しくまた悲しいイメージと、きらめく短詩のような言葉が、聴衆の深い沈黙を誘いました。

高校と美大をアメリカで過ごした片桐さんは、英語も完璧。ぼくとはまったく同時期にここシアトル(ニルヴァーナのデビュー期です)に住んでいたこともあって、ちょっとした意図せぬ同窓会的雰囲気にもなりました。

そのあと、英語で詩を書いている高野吾朗さんが、福島を主題にした長い作品を朗読。これもパワフル。こうして学会というよりはアートのイベントみたいだった2日めが終了。参加者それぞれが大きな、予想もつかなかった刺激をうけたはずです。

次は、この線をどう延長してゆくかにかかっています。それが学会の存在意義。

「ヘテロトピア通信」第4回

昨年からはじまった鉄犬ヘテロトピア文学賞では、Sunny Boy Booksのホームページに間借りして、選考委員によるリレー連載のエッセー「ヘテロトピア通信」を発表しています。木村友祐、温又柔、小野正嗣とつづいて、第4回め、ぼくの文章がアップされました。ぜひお読みください。

http://www.sunnyboybooks.com/heterotopia-news-4/

以後、高山明、林立騎、山内明美、そして第1回受賞者の下道基行、中村和恵とつづく予定です。

われわれがどんな暗い心をもってこの賞を設立したか、どんな希望を作り出そうとしているのか。そのあたりのことを、みんなで少しずつ書いています。

Thursday 26 March 2015

ACLA

シアトルに戻りました。明日、27日(金)から29日(日)にかけて、アメリカ比較文学会の年次大会が開催されます。場所はダウンタウンのシェラトン。ホスト校はぼくの出身校、ワシントン大学です。

http://www.acla.org/annual-meeting

ぼくは結城正美さん(金沢大学)、和氣久明さん(ベイツ・カレッジ)とともに Eco-Criticism in Japan というセミナーを組織しました。12人の発表者が毎日4人ずつ発表し、全員でそれを議論するという形式。これはアメリカ比較文学会独特のもので、しばしば一過性のものに終わりがちな学会発表が、持続する対話になって、非常に得るところが大きいと思います。

中村和恵さんを初めとする何人もの友人たちが、きょう日本から到着する予定。充実した週末になりそうです。

Wednesday 25 March 2015

「地形と気象」の展開

左右社サイトでのウェブ連載詩「地形と気象」が4巡めをむかえ、いよいよおもしろくなってきました。暁方ミセイ、ぼく、大崎清夏、石田瑞穂の順に進んでい きます。追いかけ、ずらし、ゆらし、先に進めて。Jeff Johnsonによる英訳(まだ決定稿ではないけれど)も順次アップされています。今年いっぱいかけて全52篇の、画期的なバイリンガル詩集に育てていくつもり。ぜひお読み ください!

http://sayusha.com/webcontents/c11

Thursday 19 March 2015

ベイツ・カレッジ図書館にて

アメリカのいちばん北東の端にあるのがメイン州。むかしからなぜか興味のある土地でした。この州のルイストンにあるベイツ・カレッジを訪問中です。気温はマイナス9度、快晴。気持ちのいいキャンパスはまだまだ雪景色。

17日は聖パトリックの日でしたが、それを記念して(?)朗読会と映画上映を行うことができました。まずぼくの単独朗読会。「Agend'Ars」連作から計8片を、日本語、英語、フランス語、スペイン語で朗読。ついで宮澤賢治の話を少しして、ぼくを招いてくれた和氣久明さんと「雨ニモマケズ」のバイリンガル朗読(そう、いつも柴田元幸さんとやってるヤツです)。さらにわれわれの朗読劇『銀河鉄道の夜』の劇中詩「二つの夜、おなじ夜」を英訳で読んでしめくくりました。ここで教えるフランス文学、ラテンアメリカ文学の先生、また音楽を教える作曲家の三浦先生も来てくださり、いい会になりました。

夜は『ほんとうのうた』(河合宏樹監督)の上映会。観客のほとんどは日本語をとっている学生だったものの、背景や賢治についての知識がまるでないと、ちょっとむずかしかったかもしれません。すでに引退されたもののこの大学の先生で、賢治の「銀河鉄道の夜」の英訳者でもあるセイラ・ストロングさんに観ていただけたのが、大きなよろこびでした。

アメリカのリベラルアーツカレッジの良さがよく感じられるキャンパス。火曜日の夜はセミナーの夜で、夜の授業も多いようです。ほとんどの学生がキャンパスに住んでいる、独立した小宇宙。図書館も充実し、勉強するにはもってこいの環境です。こういうキャンパスに住みついて、創作に専念できたら!

フランスの小説家マルグリット・ユルスナールは、この州の大西洋岸の島にずっと住んでいました。こんどは夏にゆっくり来て、そんな場所も訪ねてみたいと思います。

Wednesday 18 March 2015

Introduction to the screening at CU



     First of all, I’d like to thank conference organizers to give us this opportunity to show you a very interesting and moving documentary film on Levy Hideo. I firmly believe that Levy is one of the most interesting novelists writing in Japanese today, and that is already an understatement. Because what he has been attempting to do is something that no one else in history has even dreamt about. An American writer who grew up in Taiwan and Hong Kong as a child, choosing Japanese as his language of expression and writing obsessively about China, about the US and Japan, about his own radically threatened sense of belonging that results in his self-fashioning through an almost compulsive self-exile.
      Levy started his career as a scholar of Man’yo shu, Japan’s earliest imperial anthology of poetry, and his perspective on the historicity of this language is overwhelmingly broad. He made his debut as a Japanese-language novelist in 1987 with 『星条旗が聞こえない部屋』A Room Where the Star-Spangled Banner Cannot be Heard, and with his subsequent novels, essays and travel writing established his singular place in the current configuration of Japanese-language literature. Not only transnational but also highly trans-lingual in nature, his works offer unprecedented moments where different dialects of Chinese and Japanese mutually provoke critical thinking. And this film, that you will be watching shortly, will shed a light on what was hidden beneath his intimidatingly keen linguistic sensibility. Now let me tell you how this film came about.
     In the Spring of 2013, Sasanuma Toshiaki, who is the author of the first monograph written on Levy Hideo, organized a symposium called “East Asian Contemporary Literatures and Language of the Periphery” at Tunghai University in Taichung, Taiwan. Levy Hideo was invited to this symposium as a keynote speaker and I as a discussant. Now, if you were a reader of Levy’s work, you would immediately know what the name of Taichung meant for him. It is the town that he grew up between the ages of 5 and 10 before relocating to Hong Kong with his mother. He left Taichung in 1960 and didn’t once return. In fact, in spite of his obsessively repeated trips to Mainland China (I think he’s been there more than a hundred times by now) he had avoided any return to Taiwan before this with one single brief exception in 2005 that took him to Taipei and Taitung as a Japanese writer. But even at that time he avoided going to Taichung. And of course there was a deep psychological reason for this avoidance of half a century.
     So this trip to Taichung in March 2013 would be Levy’s first return to his childhood hometown in 52 years. As a child, he used to live in an area called “model village” (mofanxiang) in a house built by colonist Japan and was taken over by the Kuomingtan officers. So the place is rife with the traces of modern East Asian history, too. Sasanuma and his colleagues at Tonghuan University offered to help Levy find his old home. On hearing this, I immediately suggested that we should film and record the whole process. I asked my friend,filmmaker Okawa Keiko, to accompany us on the journey. She agreed on the spot and followed Levy around like a shadow or a woman ninja dressed in black. This documentary is essentially a work of Keiko alone; cinematography, recording, editing are all hers. And then there is Wen Yuju, a young woman novelist and a former graduate student of Levy’s, herself a Taiwanese raised in Tokyo and speaks and writes Japanese as a (quote-unquote) “native” speaker and writer of Japanese, joined us to witness everything that happens on the trip. The result is this film.
     Here is a quote from my friend Doug Slaymaker of the University of Kentucky that concisely describe the nature of this documentary:

This documentary chronicles the author’s anxiety-filled return from the Tokyo where he now writes in Japanese to the childhood home of English and Chinese in Taiwan. This journey takes us across five decades to a “home” that has lived only in memory, a child’s unreliable memory at that, and has long enlivened Levy Hideo’s imaginative landscape. It is a space that he has written of, across various languages, but has avoided returning to.

     Now is the time for you to witness what the video camera has witnessed and recorded. I, as the producer of this film, sincerely hope that you’ll like it. The film lasts 53 minutes. We’ll discuss about it after the projection. Thank you, and let’s begin.

Saturday 14 March 2015

3月13日、コロラド大学

コロラド大学での学会 Transnationalism and Its Discontents のためにボウルダーに来ています。高原リゾートと大学町が一体化した、気持ちのいいところ。アメリカにおけるチベット仏教の中心地でもあります。先週はまだ雪が降ったそうですが、温かく、高原の強い日射しが、残る雪もどんどん溶かしています。

学会は土日ですが金曜日の夜、ぼくがプロデュースしたドキュメンタリー『異境の中の故郷』(大川景子監督)の上映会を行いました。初めにぼくが説明し、53分の映画を上映、ついで作品の主人公(?)であるリービ英雄さんと観客のみなさんとの対話。とんちんかんな質問もありましたが、概して非常に的確な発言と批評があいつぎ、充実したひとときになりました。

ニューヨークから飛んできた多和田葉子さんもぶじ上映にまにあい、観ていただくことができました。明日はお昼にリービさんと多和田さんの対談。そして夕方、多和田さんの基調講演と進みます。

日本におけるふたりの代表的トランスナショナル作家のお話を存分にうかがうことのできる週末になりそうです。

レキシントン劇場で

4年めの3月11日。ケンタッキー州のレキシントン劇場で『ほんとうのうた』(河合宏樹監督)の上映を行うことができました。ダウンタウンの歴史的劇場、改装されたばかりで、新しい座席、新しい映写機、音響も最高。70名ほどのお客さんに、われわれの朗読劇『銀河鉄道の夜』を追体験しつつ、東日本大震災の意味を考えていただく機会になりました。

終了後、中国系アメリカ人の女子学生がやってきて、ふるえながら「こんなに感動したことはなかった」といってくれたのが印象的でした。当地に在住の日本人の方たちも何人か観てくれて、それぞれに丁寧な感想をくださいました。

4年まえの気持ちを忘れず、 私たちの社会の今後を構想していきたいものです。

Sunday 8 March 2015

「北海道新聞」3月5日

3月5日(木)の北海道新聞夕刊にエッセー「山川草木鳥獣虫魚のために」を寄稿しました。昨秋、美術家の岡部昌生さんとともに奔別の炭鉱跡を訪れたときの記憶から生まれた小文です。ぜひお読みください。

「読売新聞」2月22日

2月22日(日)の読売新聞読書面の特集「とっておきの恋愛小説」にエッセーを寄稿しました。ごらんください。

http://www.yomiuri.co.jp/book/column/honline/20150223-OYT8T50143.html?from=ytop_ymag

Thursday 5 March 2015

「動物のいのち」シンポジウム記録

「すばる」4月号、完成しました。特集「動物のまなざし」の一部として、シンポジウム「動物のいのち」の全容が報告されています。ああ。感無量。ま ちがいなく、これまでにぼくが企画したすべてのイベントで、もっとも充実した、きわめて重要な内容をもつ、形式としても画期的な、ものでした。

今後、動物について語るにあたって避けては通れない記録。ぜひ、買って読んでみてください。発表者のみなさん、今後も生涯をかけて、対話をつづけましょう。

ディスカッサントの石倉さん、波戸岡さん。原稿をみごとにまとめてくれた田井中さん、関さん。編集の羽喰さん。ありがとうございました!