Friday 26 April 2013

新領域創造特論

オムニバス授業、今日はぼくの回。全体は3部構成でした。

1)生命と言語をめぐる簡単な考察
2)2011年3月11日以降を扱う3冊の本。畠山直哉『気仙川』、志賀理江子『螺旋海岸』、遠藤水城『陸の果て、自己への配慮』
3)東京事典「Uncovering / Walking」

以下に、1のノート(30項目)を転記しておきます。

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新領域創造特論 2013年4月25日                     
メディア、生命、言語、世界をめぐるノート

1 Medium, media. 媒質、媒体。情報媒体は、みずからは変形をこうむることなく情報を伝える。
2 テクノロジーは共有されることを前提とする。新たなメディア・テクノロジーへの適応は一瞬だ。
3 テクノロジーは人の生活と感受性を同時に変える。その変化は大部分、不可逆的に経験される。
4 メディアはそれ自体としては内容を(数位内容を!)支配しない。
5 しかしメディアがもたらす内容の流れに、われわれの心は大きな影響を受けずにはいない。
6 心とは何か(後述)。それをふりかえるために、生命の誕生以来の歴史を考えてみよう。
7 ミラーの実験。単細胞生物の成立。構造と機能の生成。First-order autopoiesis.
8 多細胞体制、細胞社会の成立。Second-order autopoiesis. 構造的カップリング。
9 有性生殖、2つの<個>のカップリング。種社会の成立。Third-order autopoiesis.
10 種社会は他のすべての種社会と構造的にカップリングされ、すべてが環境を構成する。
11 生命の個は外部環境を解読し、その反応によってみずからの行動を調整して生存を図る。
12 この観点からするならば生命現象とはsemioticな適応だといっていい(後述)。
13 ふたたび、心とは何か。われわれの心はイメージと言語を素材としてできている。
14 一方、それは身体の経験とつねに接触し、そこから全面的な影響を受けてもいる。
15 心とは個の生存のために世界を解釈しつつ、心みずからを作り替えてゆくものでもある。
16 心の目的とは生存であり、そのつどの時点における適応のための解の創出だ。
17 心はつねに新しいイメージ=言語流にさらされ、<世界>と<自己>を同時に像として制作する。
18 心にとって、すべての変化への契機は外から到来する(イメージ、言語、身体的経験)。
19 生命とセミオーシス(記号過程)。パースによる記号分類。Index / icon / symbolの区別。
20 Indexiconはおそらく他の哺乳動物も解読している。Symbol (conventional sign)は?
21 言語とは不在物をめぐる行動の調整(同種間)のために生物が編み出した様式のことだ。
22 ヒトの言語は不在物指示の機能を極端なまでに高めている。非在の現前。
23 詩的言語と供儀の関係。花と不在の花、鹿と不在の鹿。
24 不在物を特徴づけるのはその取得可能性であり、財としての潜在的価値だ。
25 財を測る指標として発明されたのが貨幣だが、貨幣は最初から言語の裏打ちを受けている。
26 共同体間の財の交換をめぐる媒体としての貨幣は、始めから言語の翻訳可能性に直面している。信用。
27 不在物を含んだ総体としての<世界>は想像力による以外到達しえない。
28 イメージ=言語複合としての世界=私カップルを制作し改変しながら生きてゆくのがわれわれ。
29 ヘレン・ケラーによる世界制作ほど言語の驚異的な力、不気味な力を証明するものはない。
30 彼女が作った世界像がcompatibleであること。完全に想像的な世界。創造は想像に始まるしかない。 

大学院授業の進み具合

毎週木曜日、中野の新キャンパスで、ぼくのゼミその他が進行しています。きょうは東京造形大4年のGさんが見学に来てくれました。慶應4年のYさんも、いまでは準ゼミ生待遇。新領域創造の名のもとに新しい仲間が増えてゆくのは、ほんとうに楽しいことです。

見学希望の人は、遠慮はいらないので、木曜日の13時に明治大学中野キャンパス511教室に直接来てください。

毎週の展開は以下のとおりです。

1)ゼミ発表。各人12冊のリーディングリスト(それぞれの分野)。それについての発表とディスカッション。

2)ダニエル・ラノワ『ソウル・マイニング』輪読。この驚くべき着想にみちたテクストを精読している。

3)ドキュメンタリー映画を見て、議論。これまでのところ取り上げた作品の対象は、コルシカ島の男性合唱ポリフォニー、建築家フランク・ゲーリー、そしてアンディ・ウォーホル。

その後少し休んでから

4)コンテンツ批評。ただしディジタルコンテンツというよりは、各自の興味にしたがった文化史/批評の短時間口頭発表の連続。これでも驚くほど発表技術が向上します。

そしてきょうは

5)として、オムニバス授業『新領域創造特論』を担当。これを終えると夜も9時10分、さすがにちょっと疲れました。

それでも毎週、充実の日々です。くりかえします、興味がある人はぜひ受験相談に来てください!


Uncovering / Walking

昨秋11月15日にAITで収録した「東京事典」。ぼくのプレゼンテーションの全文を掲載します。

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Uncovering. 覆われたものから覆いを取り除き、光と風にさらす。覆われているのは土、そして水。人間たちの都市はアスファルトとコンクリートという鉱物的な素材によって、地下と地表の世界を分断し、水と水を分断してしまった。舗装は交通に奉仕し、物資や人の流れの管理を容易にする。でも命は? 閉ざされ固められた水路がどれほど水を流しても、そこに美しさが生じる余地はない。命の場所がない。

 覚えている人はたくさんいるはずだ。半世紀前、東京にも未舗装の道路や空地がいくらでもあった。土地は少しずつ覆われていった。排水と汚れを呑みこみながらも、さらさらと流れる川もたくさんあった。川は暗渠とされていった。人工物の非情な面に覆われて、地水火風の流動はせきとめられ、都市は生命に敵対する。

 みみずたちの活動を、チャールズ・ダーウィンは造山運動に喩えた。土を作ったのはかれらだ。みみずたちがいなければこの地表では、現在のようなかたちで生命が営まれることはなかった。だがかれらの活動も、舗装された街の下では、きびしく制限されている。もぐらが死んだ。蛇もとかげも住めない。

 水が流れるところ、樹木と草が育ち、魚が住み、鳥が集まる。けれどもその流れに対して、太陽の光や新鮮な風にふれる権利を奪うとき、そこで生きることのできる生命はごく限られたものになる。生命とはわれわれの想像をはるかに越えてしぶといものなので、どんな環境であれ何かが生きてゆくだろう。だがわれわれが親しみ、われわれをその共同体の一員として迎えてくれたような、多くの哺乳動物や鳥類を擁する土地は、ヒトの自己規制と意識の改革がないかぎり失われてゆく一方だ。

 けさ、神田小川町を歩いていた。ここはかつて元鷹匠町と呼ばれていた。鷹匠が住み鷹を飼い小動物や鳥を狩る。その狩猟のマトリックスとなる草原があり、湿原があった。かつて日比谷は入江だった、海だった。整備される以前の水辺は当然、葦やすすきが茂る湿原であり、ひしめく生命のための広大な場所だったはずだ。江戸を忘れて、さらに千年を、二千年を遡ろう。そこにひろがるこの土地のかつての姿をすべて忘却によって舗装し、そこに貨幣と商品をしきつめ、われわれはいったいどんな生き方をしようとしているのか。

 ぼくはuncoveringを提唱したい。都市の一定区域から覆いを取り除き、エレメンツの循環を確保することだ。ヒトでありヒトでしかないわれわれも、土を踏む権利を主張しよう。舗装された歩道ではなく、なまなましく露出した赤土や火山灰を踏みながら日々を暮らそう。森を回復し、落葉を踏みしめよう。舗装道路の総面積を現在の6割以下にまで縮小し、一定以上の面積を占めるすべての都市建築のマージンに露出した土と樹木の地帯を義務づけよう。植林しよう。多種多様な植物が織りなす土着の植生を回復しよう。森を作ろう。

 プエブロ・インディアンのある村では、村の中の地面にいくつかの聖なる地点があるのだという。子供たちは遊びながらでも、それらの地点をなるべく多く踏むことを勧められて育つ。踏めば踏むだけ、それはその子の命にとって、力になるからだ。踏めば踏むだけ、土地の力も増す。踏むことは感謝の表現であり、祈りの一形式だ。すべてを人工物で塗りつぶしたわれわれの都市は、そんな地点をふたたび想像し、その実在をつきとめなくてはならない。そこに小さな森を作り、日々その森をめぐりながら、その地点を足で踏みながら、暮らしてゆくことにしよう。そのとき「東京」が取り戻すのは、失われ、ないがしろにされてきた聖性の感覚であり、生命の循環に対する、必要な意識の覚醒だ。


Walking.

海が上陸してくる、その海岸で
波が立ち上がり歩いてくる、その海岸で
波が打ちつける岩に埋もれた火山弾に手をふれた後
ぼくも歩いた、かつての誰かの後を追って
ぼくは歩いた、数人の幽霊をひきつれて
海猫のにぎやかな歌声を聴きながら
強い風を浴び
明るい光を浴び
初秋のある謎めいた午後を
北の村にむかって
無口な鮫たちの村にむかって
広大な芝地がひろがる海岸を
重力に逆らって
時間に逆らって
ヒースの藪が燃えるように踊っている
太陽がくるくると回り世界を陰画にした

The sea comes landing, to the shore,
The waves stand up and come walking, to the shore,
I touch a volcanic bomb in the rock beaten by the waves,
And I, too, walk on the shore, following somebody from the past.
I walk, accompanied by several ghosts,
Listening to the gay songs of the seagulls (that we call “sea cats” in Japanese).
Exposed to the strong wind,
Basking in the bright light,
In an unknowable afternoon at the beginning of this autumn,
Heading towards a northern village,
Heading towards the village of the wordless Shark,
On the coast where a vast grassland spreads out,
Against gravity,
Against time.
The heath bushes are dancing as if they were burning.
The sun keeps spinning and turns the world into a negative.

秋が歩いてくる、風の無謬の足で
すすきの湿原を、すすきの隙間を
早すぎる秋を出迎えるつもりで
私たちも無言で歩いていた
狭い、狭い木の道を行けば遠い山の姿が見える
高い、高いすすきの影に快活な知識をもつトンボが乱舞する
物陰に潜むのはどんな日の生者たちか
ここで氷を割ったのかい
石を焼いたのかい
どんな季節のオレンジ色の太陽やどんな雨雲の下で
歌があったの
笛と弦を知っていたの
群れなす鳥を捕ったの
すすきが隠す古い旋律には耳が届かないけれど
ざわめく雲のような希望を捨てることはない
私はきみたちに語りかける

Autumn comes walking, with the infallible feet of the wind,
Through the shallow marshland, through the narrow openings of the tall silver grass.
We, too, are walking, speechless
With the intention of welcoming this autumn that has come too early.
Walking on this narrow wooden boardwalk, we see the shapes of the faraway mountains.
In the shade of the tall silver grass, dragonflies with cheerful knowledge dance wildly.
Hiding in the shades are the living of what past periods?
Did you break ice here?
Did you burn stones here?
Under the orange sun of which season, and under what kind of rain clouds?
Did you sing songs?
Did you play the pipes and strings?
Did you capture flocking birds?
My ears cannot reach the old melodies buried under the silver grass
But there’s no need to give up your hope that’s humming like clouds.
I am addressing all of you.

いかにしてみずからを生んだのか
どんな成長の痕跡を留めているのか
森は究極的には水の色をしている
雲の色だ、花崗岩の色だ
雨と雪の色だ、腐葉土の色だ
きわめて多量の水に島のごとく浮かぶかたちで
この森が、この土地で、ゆらゆらと揺れている
霧の色だ、霜柱の色だ
そのすべての水の色から
自然の音階をたどるようにして
あらゆる色調の緑が成長する
葉緑素の呼吸と振動につれて
潜在する緑はエイの尾のように先鋭化し
咲き出す、舞い出す、狂い出す
そのどんな動きが自然の蓄音機に移しとられるのだろう
ほら、この蔓はぼくのつむじとまったく同型だ
生命の螺旋を貝殻のように力強く踊っている

How did it give birth to itself?
What traces of growth does it retain?
The forest, ultimately, is the color of water.
It’s the color of clouds, the color of granite,
The color of rain and snow, the color of rotten leaves.
Floating like an island on an enormous amount of water,
This forest, in this land, is gently swaying.
It’s the color of mist, the color of ice needles.
From all the colors of water
As if following the musical scale of nature
Green of all hues grow.
Along with the breaths and vibrations of chlorophyll
The latent greens sharpen themselves like the tails of rays.
They bloom, they flutter, they go mad,
What movement from that process could be registered by nature's gramophone?
Look, this vine is exactly isomorphic with my hair’s whorl,
Strongly dancing the spiral of life, like a seashell.

Tuesday 23 April 2013

よしもとばなな『さきちゃんたちの夜』

よしもとばななさんの新著『さきちゃんたちの夜』(新潮社)の書評を「週刊現代」の「今週のイチオシ」として書きました。5月4日号。

小説の書評ではストーリーには一切ふれないことにしているので、どうしても雲をつかむような書きぶりになってしまいましたが、心からお勧めします!

Sunday 21 April 2013

「コロンブスの島犬たち」

本日(4月21日)の「日本経済新聞」にエッセー「コロンブスの島犬たち」を書きました。ドミニカ共和国の旅、そしてハイチの思い出です。ごらんください。

Monday 15 April 2013

ImaginAsia 2013

今年のImaginAsiaの概要が決まり、6月にむけて学生たちと準備を開始しました。政治大学(台湾)、チュラロンコン大学(タイ)との共同ワークショップ。今回は政治大学をホスト校として、台湾の離島で中国大陸にほど近い馬祖で開催します。学生たちの共同作業からどんな作品が生まれてくることか、ほんとうに楽しみです!

「熱々! 東南アジアの現代美術」

横浜美術館で展覧会「熱々! 東南アジアの現代美術」がはじまりました。シンガポール美術館のコレクション展。ASEAN地域の強烈な熱がよくうかがえる好企画です。横浜におでかけの際には、お勧めします。

ぼくはカタログにエッセー「プラナカンの島へ/から」を寄稿しました。英訳もぼく自身によるものです。

「東京事典」

昨年11月15日にAITで行った「東京事典」のプレゼンテーション、ビデオで見られるようになりました。

http://tokyojiten.net/

ぼくの発表は Uncovering / Walking と題されています。各地で撮影したビデオ映像を背景に、散文と詩の朗読。ごらんください。

おなじ「東京事典」に参加した演出家の高山明さんと、昨日の日曜日、奥入瀬渓谷から十和田湖を見てくることができました。これはこの秋のための下調べ。

秋、春、秋、時間はどんどん過ぎていきますが、その刻みになるような手仕事をつづけなくてはなりません。


Sunday 7 April 2013

読売書評#32

4月7日掲載、竹内恵子『廃墟のテクスト 亡命詩人ヨシフ・ブロツキイと現代』(成文社)。ぼくにとっては英語詩人だったブロツキイの全貌への糸口を、やっとつかめました。といってもこれからロシア語を学ぶことはできないな、残念だけど。ぼくらの子供時代、ソ連は遠いもっとも遠い国でした。

「旅ときりぎりす」第5回

「すばる」5月号の「旅きり」は「蘭嶼」です。訪れたのはちょうど一年前。昨秋の台風被害を思うと、親切だった島のみなさんが気の毒でなりません。

まずは同誌をぜひごらんください。

Thursday 4 April 2013

旦敬介『旅立つ理由』出版記念イベント

旦敬介くんの、ほとんど20年ぶりの小説(短篇連作)が『旅立つ理由』(岩波書店)。全体にわたって門内ユキエさんのパワフルでカラフルなイラストがふんだんに入った、とてもいい本です。その出版記念イベントとして、旦くんと門内さんの対談があります。下北沢のB&Bにて、4月9日。

新学期のキック・オフ代わりに、ぜひみんなで行きましょう。ビールを飲みながら、楽しい旅の話が聞けるはず。

http://bookandbeer.com/blog/event/20130409_bt/