Monday 28 February 2011

「プロムナード」第7回

日本経済新聞夕刊、2月28日。「マリアのマラサーダ」です。

2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


ビブリオテックで

土曜日、ビブリオテックでの西山雄二さんとの対談。デザイン会社の一部を使ったここはほんとに瀟洒な空間で、ほぼ満員のお客さんを前にかなり実のある対話ができた。

というのも西山さんが「あと2ヶ月で40歳、これは30代最後の仕事」とつぶやいたからで、それを受けるかたちでぼくもその年齢のころのことを思い出した。ぼくにとっては1998年、ちょうど第3エッセー集『トロピカル・ゴシップ』を出してもらったころの話だ。

思い出話はいつも泥臭いもの。ましてや、他人のそれは他所の子の運動会写真のように退屈だったはずだが、寛大に笑って許してくださった聴衆のみなさんにお礼を申し上げます。そしてビブリオテックの軽部さん、勁草書房の関戸さんと鈴木さん、ありがとうございました。

西山さんとの会話にいくつものインスピレーションを得たのは、今回もおなじ。たとえば哲学と文学の関係は、互いが互いを包み込もうとしている、といった点。右手は掌で左手を包み込もうとし、その逆もまたしかり。この握り合いにおいて、二つのジャンルが闘争する。

ぼくはエドゥアール・グリッサン追悼詩5編を朗読した。追悼なんて柄ではないが、偉大なるエドゥには言葉の花を手向けなくてはならなかった。この詩は10篇の連作が、まもなく明治大学文学部の論集に発表される。

Agend'Ars 6

La poesía se halla en la ciencia y la poética en la técnica
La poesía se encuentra en la superficie de contacto entre el saber y los objetos
La poética nace en un punto donde se encuentran el arte y el material
Mi poesía se halla en las persistentes antenas de la abeja de mayo
Y mi poética no es sino una imitación de la arquitectura de los castores
Ni siquiera es un incidente verbal
Ni siquiera es verbo, posiblemente
Es la voz que se encarga del verbo, el vestigio de su vibración
Que se transmite a través de este aire en forma de onda y desaparece en algún momento
Mi poética experimenta como traducción el ascenso de Venus
Mi poesía pretende dar otro nombre a una bestia que no tiene sino el nombre autóctono
Y observa durante siete días su hábito en el ámbito auditivo
Multiplicar la muerte por muerte, y la muerte se invierte en la vida
La poesía multiplica la muerte por muerte, e irradia el calor la vida
Todos los saberes y poéticas tradicionales aspiran la reconciliación con el terreno de la muerte
Mi poesía es diferente, es producto correlativo del vuelo de la abeja hembra que avanza en el campo

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

Thursday 24 February 2011

「空想書店」by 高橋悠治

先週の読売新聞の「空想書店」は高橋悠治さん。ぼくが昔訳したマトゥラーナと故バレーラの『知恵の樹』をあげてくださいました。

http://www.yomiuri.co.jp/book/column/kuso/20110214-OYT8T00574.htm

悠治さんの強烈な直観にあふれた散文には、過去30年あまり、いつも戦慄を覚えてきました。とりわけ愛すべき『カフカ/夜の時間』は、ぜひどこかで文庫にしてほしい。

Wednesday 23 February 2011

「プロムナード」第6回

日本経済新聞、月曜日の夕刊は「プロムナード」。昨日、2月21日が第6回でした。ごらんください。

2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


『哲学への権利』対話

西山雄二さんのコレージュ・ド・フランスをめぐるドキュメンタリー作品DVD+本『哲学への権利』が発売されました。この旅する若き哲学者との対話、いよいよ土曜日です。

http://www.keisoshobo.co.jp/news/n1827.html

ぜひいらしてください。

Monday 21 February 2011

札幌の強烈な一日

モエレ沼に行ってきました。さすがに夏合宿のときとはまったく姿を変えて。目がくらむ眩しさ、美しさ、白さ。モエレ山が小さなモンブランみたいにきれいでかわいい(もちろんお菓子のモンブランよりは10万倍大きいけれど)。

土曜日の午後、ぼくは佐々木愛さんと対談。歩くこと、絵、詩、そしてニュージーランドやポリネシアをテーマに、のんびりと。2009年に明治大学生田のギャラリー・ゼロで開催したWalking展の札幌ヴァージョンへの橋渡しです。書肆吉成の吉成くんをはじめとする札幌の友人たちが来てくれて、大変話しやすくなりました。また北大の北村清彦さんに数年ぶりの再会。思えばモエレ沼とイサム・ノグチのことを最初に教わったのは北村さん。シドニーで。どうもありがとうございました!

つづいてサバイバル登山家の服部文祥さんの講演に。思ったとおり、いや想像をはるかに越えて、強烈。ごまかしのない生き方を登山と狩猟でつきつめていく彼の迫力に、会場は圧倒されっぱなしでした。ぼくも友人のカヌーイスト、リョータとともに、最前列で話を聞きました。他にも東京からわざわざこのために来た聴衆が、ちらほら。絶対に他の誰にもまねのできない歩みを続ける服部さんが、狩猟のみならず文章の実践を強調するところに深く感動。

それから夜は雪原でのキャンプでした。リーダーはプロスキーヤーの児玉毅さん。世界を冒険スキーで回ったあとふるさと札幌に戻ってスキー教室を開いている彼の、大きな想像力と地に足のついた実践ぶりを見習いたいものです。絵に描いたような好青年。シュラフまで貸していただき、ありがとうございました。

夜はみんなでおいしいパキスタン風のカレーを食べ、カリンバのすばらしい演奏を聴き(ごめんなさい、お名前がわからなくなりました)、雪明かりでモエレ山に登り、降りしきる雪の中で眠り。ちょっとできない経験をさせていただきました。

学芸員の宮井さんをはじめとする公園のみなさん、そして柴田さんをはじめとする企画のS-AIRのみなさん、その他のスタッフや参加者のみなさん、ほんとうにありがとうございました。風間さんのバルーンも、夜の雪空に浮かぶ姿が最高でした。

雪の中のアートフェスティヴァル。また来年も行きたいと思ってます!

Friday 18 February 2011

Agend'Ars 5

Siguiendo a nuestro amo, corrimos en montañas y campos, sin acobardarnos ante el     bosque ni temer bestias enormes.
Nuestro amo fue un mozo, discípulo de Quirón, quien vivió de cazas,
Aprendió todos los conocimientos de Quirón y en su arte ya fue sin rival.
Un pájaro que vuela en la corriente ascendiente y uno en la espesura, el amo mató de igual flechazo,
Y el jabalí en lodo, el gato montés en rocosa montaña, el ciervo en la orilla del río, el oso en el bosque espeso, los mató con facilidad.
Un día, vimos a una mujer (divina o humana) bañándose en una fuente, su desnudez arrogante
Fue el fin.
La mujer transformó a nuestro amo en un ciervo,
Y nosotros asaltamos al amo y lo devoramos en seguida.
Nosotros, éramos cincuenta, si el ciervo se convierte en ciervo,
Ya no sabíamos que ése fue nuestro amo, ¿A dónde fue el amo?
Su nombre es Acteón.
Nosotros, nosotros solos, fuimos a la cueva de Quirón.
El viejo Quirón compadeció de nosotros e hizo una estatua de Acteón
Y nosotros los cincuenta, nos arrodillamos ante ella, y rezamos para siempre con la cabeza inclinada.
Nuestros aullidos producen eco en montañas y campos.

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

Thursday 17 February 2011

Vidas & Razos

中世プロヴァンスのトルバドゥールたち。かれらの作品は、vidaおよびrazoとのセットとして読まれることを前提としていた。Vidaとはごく短い詩人の生涯の記録。出身地、恋人、作品、逝去の土地を記したもの。Razo(理性、理由とおなじ語)は少し長め、数段落で、ある作品の背景をやや詳細に説明したもの。Vidaはおよそ100人のトルバドゥールについて知られ、razoは25人ほどだけに残されている。

ぼくは詩は、現代の詩は、vidaにもrazoにも頼らず読めるものであってほしい。それでおもしろいものだけが、自立した詩だと思う。ところが、現実に人を感動させ、また自分も感動する作品の多くが、暗黙のvidaを前提とし、暗黙のrazoを想像させるものになっていることは否定できない。

Vidaの詩と非vidaの詩があるのか。それならそれでもいいけれど。いっそ、偽のrazoを含んだ作品を書いてみようか、これからは。

Agend'Ars 4


Una nube atraviesa la noche en silencio
En el campo las fieras exponen sus albos huesos
¿Viste? con una tristeza impensable
Anda una monja evitando las aldeas
La luz platea y agudeza las puntas de las hojas
Y el agua, como siempre, refresca las mejillas
¿Pasando por aquí, para dónde irá ella?
Junto al soto de bambúes, me quedo de pie
Y dirigiéndome a un murciélago taciturno, digo “Fruta”
Mira, de aquí ella rodeará la falda de la montaña,
En el camino, desnudándose de las edades,
Recogiendo los pájaros aplastados,
Uniendo sus alas,
Y con éstas cubre sus hombros y se encorva
Apuntando a la altura exactamente la doble del pico de la montaña negra y erguida
Ella intenta pronto un vuelo elegante.

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

Snowscape Moere 6!

札幌のモエレ沼公園で開催されるイベント「スノウスケープ」、いよいよ今週末です。

http://www.sapporo-park.or.jp/moere/ssm/2011/

土曜日の午後は、まずぼくと佐々木愛さんが「歩くこと」をテーマとして冬とは思えないホワっとしたサブ・トロピカル対談を。それから180度方向を変えて、サバイバル登山家・服部文祥さんのお話。

そしてその夜は、プロスキーヤーの児玉毅さんの指導下、零下はたして何度になるかわからないモエレ沼の広大な雪原でのキャンプです。生きて帰れるのだろうか。

携帯をもっていないのでテントからはtweetもできず(もともとやってないけれど)。ぶじ夜を過ごせたら、夜明けの太陽に狼煙を上げて感謝したい。

Tuesday 15 February 2011

おめでとう、佐川くん!

古い友人の佐川光晴くんが『おれのおばさん』(集英社)で坪田譲治文学賞を受賞しました。おめでとう!

http://www.city.okayama.jp/bungaku/26/tsubota.html

直球どまんなかの青春小説。すべての14歳と心の14歳にぜひ読んでほしい力作です。

(追記。昨年8月時点での佐久間文子さんによる紹介記事がAsahi.comにありました。読みたくなるでしょう?)

http://book.asahi.com/author/TKY201008250236.html

Monday 14 February 2011

Caminando

スペインはセビーリャで発行されている美術・音楽・文学の雑誌 Sibilaの34号に、ぼくのWalking詩6編のスペイン語訳が掲載されました。題してCaminandoです。

昨年1月にスタンフォード大学で朗読したもののスペイン語版です。翻訳は、当然ながら、南映子さん。

大判でめちゃくちゃにかっこいい作りの雑誌です。紙も最高。左ページに日本語原文、右ページにスペイン語訳と対訳にしてくれたのもうれしい。

映子さん、ありがとう! いつかAgend'Ars全体の英西対訳版を出しましょう。

「プロムナード」第5回

日経新聞夕刊、14日(月)、第5回です。ぜひごらんください!

2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


『インディアン・スピリット』

めるくまーるの新刊、フィッツジェラルド+フィッツジェラルド『インディアン・スピリット』(山川純子訳)に解説を書きました。「大地に住み、祈ること」。

19世紀アメリカインディアンの長老たちの言葉と肖像写真で編まれた本。インディアンフルート奏者、舩木卓也さんのオリジナル音楽CD付きです。アメリカの大地は遠いけれど、せめてこの本とCDで平原インディアンの心と世界を想像しましょう。

イチジクとコバチ

12日(土)の日経の夕刊のコラム。新聞記事でこんなに感動することは年に一度、というくらい感動した。イチジクとイチジクコバチの1億年の共進化を研究している、蘇智慧さんの成果から。筆者は特別編集委員の足立則夫さん。

引用する。

「イチジクは、中南米やアフリカ、東南アジアに計800種、日本では16種に及ぶ。1種ごとに受粉を担当するイチジクコバチの種も異なる。

 コバチは全長1〜2ミリ。メスのコバチは、胸の脇のポケットに雄花の花粉を詰め、イチジクの花嚢の狭いすき間から、羽や触覚を失いながらも必死に入り込む。雌花に受粉し種子作りに貢献する。自らも花嚢の中で産卵、孵化した幼虫は虫こぶの中で育つ。

 成虫になると、まずオスが虫こぶから出る。メスの虫こぶを開けてやり、交配する。メスはオスの手を借りてイチジクの雄花の花粉を花粉ポケットに詰め込み、オスが再び開けてくれる花嚢の穴から、他の花嚢を目指して飛び立つ。オスは花嚢の中だけで生涯を終える。

 ごく一部に花粉を持たずに花嚢に入り込む詐欺コバチもいる。その場合、イチジクの樹木が養分を送るのをやめ、花嚢を枯死させてしまう。」

 なんと驚くべきコミュニケーション、契約。ヒトの言語的コミュニケーションとはいわば超速記。ヒトと犬のような馴染みの動物種のあいだの視覚的・音声的コミュニケーションでも、速記。それに対して、まったく途方もない時間的オーダーで洗練されてきたイチジクとコバチのような異種間コミュニケーションの、この苛烈なまでのまちがいのなさはどうだ。

すごいなあ。今日のニュース、この1年、10年の人間社会の出来事を報道してくれることはもちろん必要だが、1000万年、1億年の自然界のニュースほどわくわくさせられるものはないだろう。

Saturday 12 February 2011

きみはこの春こそフランス語をはじめるべきだ

やってみようかな、フランス語、と思ったことがある人は、日本の全人口の5パーセントはいるとか(適当な数字ですが)。それなのに始める機会に出会えなかったあなたは、この春こそ、そのための最高の時です。

わが同僚、フラ語業界のカリスマ教師、清岡智比古先生が、この春からNHKテレビのフランス語講座を担当! そのわかりやすさ、ポップな語り、あふれる愛は、語学教師のお手本です。お代は見てのお帰りどころか、日放協視聴料のみ! フランス語も20世紀中葉的な「おフランス」世界は影を潜め、いまや多文化的葛藤と強烈な魅力にみちた、実力派ストリート言語としての顔をあらわにしています。

ぜひ学ぼう、話そう、踊ろう、食べよう、歌おう。さあ、今年も目標は決定。清岡先生、よろしくお願いします。3月30日からですね。わかりました!

http://tomo-524.blogspot.com/

Friday 11 February 2011

Na+

「Na+」が創刊された。女子美の杉田敦さんたちが作る、タブロイド判の批評紙。創刊号の特集は「ナショナリズムと芸術生産」。ぼくは「No Nation, No Cry」と題した16行詩3篇を寄稿。

見開きの右側がぼくで、左側ページが田中功起さんだった。田中さん、お元気ですか。今年はロスアンジェルスに遊びに行きたいもの。そのときは、よろしくお願いします!

Agend'Ars 3


“Anillos de Saturno giran alrededor de la cabeza”, dice Paul
Pero no sé a qué se refiere con eso.
Mis dos ojos son dos globos terráqueos,
Y cada uno tiene hemisferio marítimo.
En cada uno explotan volcanes submarinos,
Y grandes convecciones trastornan el océano.
En cada uno se elevan islas volcánicas,
Y escollos coralinos se hunden sin ser advertidos.
Se puede ver la puesta del sol al menos una vez al día.
A cada uno llega vertiginosamente la noche y el día,
Y todas las ondas cerebrales se convierten en Tsunami.
¡Allons voir l’archipel, chica!
Ahora, ¿cómo podría yo, en mis ojos
Trazar líneas de longitud y de latitud,
Qué líneas ecuatoriales tan torcidas, podría esperar en ellos?
Para mis globos oculares, Paul, ¿no me puedes prestar un aro pequeño?

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

残念だったタイム缶

それは2000年のある日のこと。アルミ缶に密封されたカップヌードルが発売された。賞味期限は2010年。当時小学生だった息子のためにひとつ買い、押し入れにしまっておいた。10年待つ決意とともに。いつか開けるのを楽しみに。

そして10年+数ヶ月後。押し入れでそれを発見した。予定どおり、成人した息子に進呈し、年が明けて賞味期限も若干過ぎてしまったものの、とりあえず味見をしようじゃないかと勇んで缶を開けてみた。

すると異臭。さらにカップ自体が部分的に緑色に変色している。フィルムを破ってカップの蓋を開けてみたが、見た目はさほどの変化がないとはいえ、臭いからして食べられたものではない。残念ながら捨てざるを得なかった。

十年間の保存の無意味に、がっかり。そこでいましがた調べてみると、なんだ、この製品は何年も前に全品リコールされていたのか。

http://www.nissinfoods.co.jp/utility/timecan.html

いまさら製造元に返送する気にもなれず、あきらめるしかない。こうして10年間の小さな楽しみは、過去からふと飛んで来た気まぐれなシャボン玉のように弾けたのだった。

Wednesday 9 February 2011

「プロムナード」第4回

日本経済新聞2月7日(月)夕刊に第4回が掲載されました。今回はタイトルを「ロイヒへの旅」にしようかと迷った末、これに。まだまだ続きます。

2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」

Tuesday 8 February 2011

書評コンテスト

明治大学図書館主催の書評コンテストで、当研究室M1の大洞敦史が特別賞(丸善賞)、おなじく宋済勲が佳作を受賞しました。

ふたりとも、おめでとう。いっそうの修行を期待します!

http://www.lib.meiji.ac.jp/about/bkrevw_con/index.html

Sunday 6 February 2011

「みすず」1/2月号

「みすず」は恒例の読書アンケート。楽しめますが、並ぶ本のタイトルを見ても、「ああ、これは読みたい、でも読む時間はない」とあきらめることばかりが多くなってきました。(ノースロップ・フライがそんなことを書いていましたが。)

たくさんの人とつかのま言葉を交わすのも、それは楽しいかもしれないけれど、ごくわずかな数人をとことん知ることによってしかわからないことがある。文学研究は、ある程度、そういうものだと思います。数人、それは一人でもいい。専門の研究者は、だいたいそうしているものです。

ぼくは1冊だけ。フランスの作家/哲学者カトリーヌ・クレマンの『回想』をあげました。非常におもしろい本ですが、別に読まなくても多くを失うことはありません。1960年代以降のフランス思想に興味がある人のみ、楽しめる本なのかもしれません。

Friday 4 February 2011

Agend'Ars 2


 “La poesía, a pesar de todo, también es una novela”, dijo
mi primer maestro (el poeta) con quien aprendía cuando era joven.
Luego, encontré a un profesor (el crítico) quien
me advirtió: “La poesía no debe tener historia.
La poesía, es el arte de arquitectura de imágenes,
un experimento con esmero del cultivo de syntax.”
Aunque comprendí a ambos, no sabía a cuál quería seguir
Y me fui a caminar siguiendo el perro venadero en el herbazal,
En la pendiente empedrada me he caído y se me ha roto el tobillo,
Mi corazón, como un incendio de malezas, siempre ardía en silencio.
Cuando escribo, por ejemplo, “Las luces bailan” o “La luz baila”,
Si cuento las fuentes de esa luz, ésta se pluraliza,
O si considero que todas las luces son otra forma del Sol,
También es propio juzgar que la luz terrestre es singular.
Y en cuanto empecé a describir un mínimo efecto de la luz
Ya no me quedaba la manera de evitar la historia.

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

グリッサンのために

エドゥアール・グリッサンが2月3日、パリで亡くなった。深い悔恨。数年前にできていなければならない彼の小説の翻訳を、結局完成形で見てもらうことができなかった。あまりにも申し訳なかった。これは今年の最重要課題(のひとつ)。彼の声を、別の場所、別の言語で響かせてゆくのが、われわれに残された約束。深く反省し、作業にとりくみます。彼の魂が、海を渡ることができないという死者の魂の掟を超えて、島に帰還することを祈りつつ。

Wednesday 2 February 2011

日々の笑い

笑いの種はいたるところにあるもの。

その1。今日お昼ごはんを食べながら読売新聞を読んでいると「編集手帳」にこんな記述が。

「明治の中頃に渡米した画家の丸山晩霞に挿話がある。ブドウを買おうとして「ポルトをくれ」と店員に伝えたが、理解してもらえずに憤慨した。ポルトガル(葡萄牙)のポルトで通じると思ったらしい。」

ポルトガルの国名の音表記に中国語が「葡萄牙」を使ったからといって、「葡萄」の部分をとりだしてそれをポルトと読ませ、しかもそれが「ぶどう」の意味に対応していると考えるなんて。なんという飛躍的想像力、天才的翻訳。吹き出しました。

その2。おなじ新聞の広告欄に出ていた女優さん。「山内明日」と書き、「やまのうち・めいび」と読むらしい。明日はMaybe? うますぎる命名だ。以前、「月」と書いて「るな」と読む名前を聞いたことがあったが、こんなふうにinterlingualな実践が行われているのだから、現実にはかなわない。

その3。チェホフの臨終の言葉はIch sterbe.だったそうだ。ドイツ語なんて大してできなかったのに、ドイツ語で「おれ、死ぬよ」。ということを「三上のブログ」で知った。「これって周りの人が聞きまちがえただけじゃないのか」とぼくがいったら、息子がぼそりと「息してるべ」。チェホフの臨終の言葉日本語説。

言葉って、結局、聞きなしがすべてなのか。全員が全員の言葉を誤解して別の言語で聞いている、それが世界の秘密なのか。そうかも。恐ろしいことだ。

Tuesday 1 February 2011

「水牛のように」2月号

更新されました、「水牛のように」。

http://www.suigyu.com/sg1102.html#05

ぼくは「犬狼詩集」23、24を寄稿しています。

ところで、『Agend'Ars 2』を構成するはずの64篇のうち、すでに54篇ができました。今年も秋分を待つか、それとも季節をはやめて夏至に刊行するか。いずれにせよコピー印刷ホチキス留め限定30部くらいですから、大したことではないけれど。

全256篇までは、必ず続けます。

『斜線の旅』、読売文学賞

ぼくの本『斜線の旅』(インスクリプト)が、第62回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞しました。

2005年からの足掛け5年にわたる連載を好き勝手な題材とスタイルで思うがままに書かせてくださった「風の旅人」編集長の佐伯剛さん、その連載を美しい一冊にしてくださったインスクリプトの丸山哲郎さん、そしてこの本を愛読してくださったすべての既知および未知の友人たちに、心から感謝します。ありがとうございました。

とりわけうれしいのは、この部門の昨年の受賞作が堀江敏幸さんの『正弦曲線』だということ、そして今年の「研究・翻訳賞」が野崎歓さんの『異邦の香り』だということ。二人の友人たちと、こんなかたちでそれぞれの仕事の一区切りを祝うことができるのは、ほんとうに幸運なことです。

そして二人の名前を出すと、もう一人の親友のことを思い出さずにはいられません。一昨年の夏に亡くなった編集者の津田新吾。彼のお別れの会で彼を送り出す言葉を述べたのが、野崎さん、堀江さん、ぼくでした。送り出した、たしかに、でもどこにむかって? その後もぼくらはそれぞれがそれぞれの本の島に住み、島々は勝手に可視不可視の火山活動を続けています。その島と島のあいだの海のどこかで、ジュゴンのように、ジュゴンとして、彼はいまもぷかぷかと浮かびまどろんでいるような気がします。

本は物として存在するけれど、その本質は想像的なもの。そして想像の世界には、時間の隔てもなく空間の分離もありません。だったらジュゴンのためにわざと熱帯の海岸に本を置き忘れてくるのも、意味のないことではないでしょう。ジュゴンは永遠にまどろみながら、砂の上の本を、文字ではなく気配で読みとってくれるかもしれません。餌だと思って食べてしまうのでなければ!

斜線の旅は続きます。

倉橋由美子文芸賞発表!

高山宏さん、陣野俊史さんとぼくが審査員を務める倉橋由美子文芸賞(明治大学連合父母会文学賞)の受賞作が、昨日31日に発表されました。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0007421.html

いずれも力作ぞろいではありましたが、ちょっと粗い点、雑な部分も目立ちました。もう少し推敲すれば、ずっとよくなるものばかり。

ディジタルコンテンツ系の大学院生のみんなも興味深い作品を寄せてくれたようです(といっても審査員は誰がどの作品を書いたかは知らない)。今回は選外でしたけれど、次回もまたぜひ応募してください!

Agend'Ars 1

Ha llegado el momento de convertir este cuarto en mi taller
Para elaborar frutos que no contienen agua
El contorno será dado, como constelación, por línea discontinua
Y formará una pendiente suave que cae al mar
Su afinación libre, rasguños superpuestos
Tres leves aves que vuelan detrás de la torre que se aleja
No importa cuántos imperios caigan en este mundo
Te basta una sola república de esperanza
Una tierra donde se dan cuenta que es la nieve, la esencia del arce azucarero
En mi taller no hay diccionario
Toman su lugar todo el tipo de clavos y papeles de lija
Aquí, los elegantes barcos bailan locos como las abejas
Y transpiran las hojas de letras pasmadas
Reinterpretación de las latitudes que se derriten
En el centro de este cuarto se pondrá una tabla redonda de haya japonesa
Para invitar seis muertos cada mediodía


(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

Agend'Ars スペイン語訳!

ぼくの詩集『Agend'Ars』のスペイン語訳がメキシコ文学研究者・南映子さんの手によって進行中です。まだ第1稿の段階ですが、これから不定時に、順次掲載してゆくことにします。南さん、ありがとうございます。

なおこのスペイン語訳に関して、ここでは通し番号の表記をローマ数字ではなくアラビア数字にします。深い意味はありません。

ぼく自身による英訳も、なるべく早い時期にまとめたいと思っていますのでご期待ください(といってもいつになることか)。