2011年2月17日木曜日

Vidas & Razos

中世プロヴァンスのトルバドゥールたち。かれらの作品は、vidaおよびrazoとのセットとして読まれることを前提としていた。Vidaとはごく短い詩人の生涯の記録。出身地、恋人、作品、逝去の土地を記したもの。Razo(理性、理由とおなじ語)は少し長め、数段落で、ある作品の背景をやや詳細に説明したもの。Vidaはおよそ100人のトルバドゥールについて知られ、razoは25人ほどだけに残されている。

ぼくは詩は、現代の詩は、vidaにもrazoにも頼らず読めるものであってほしい。それでおもしろいものだけが、自立した詩だと思う。ところが、現実に人を感動させ、また自分も感動する作品の多くが、暗黙のvidaを前提とし、暗黙のrazoを想像させるものになっていることは否定できない。

Vidaの詩と非vidaの詩があるのか。それならそれでもいいけれど。いっそ、偽のrazoを含んだ作品を書いてみようか、これからは。