笑いの種はいたるところにあるもの。
その1。今日お昼ごはんを食べながら読売新聞を読んでいると「編集手帳」にこんな記述が。
「明治の中頃に渡米した画家の丸山晩霞に挿話がある。ブドウを買おうとして「ポルトをくれ」と店員に伝えたが、理解してもらえずに憤慨した。ポルトガル(葡萄牙)のポルトで通じると思ったらしい。」
ポルトガルの国名の音表記に中国語が「葡萄牙」を使ったからといって、「葡萄」の部分をとりだしてそれをポルトと読ませ、しかもそれが「ぶどう」の意味に対応していると考えるなんて。なんという飛躍的想像力、天才的翻訳。吹き出しました。
その2。おなじ新聞の広告欄に出ていた女優さん。「山内明日」と書き、「やまのうち・めいび」と読むらしい。明日はMaybe? うますぎる命名だ。以前、「月」と書いて「るな」と読む名前を聞いたことがあったが、こんなふうにinterlingualな実践が行われているのだから、現実にはかなわない。
その3。チェホフの臨終の言葉はIch sterbe.だったそうだ。ドイツ語なんて大してできなかったのに、ドイツ語で「おれ、死ぬよ」。ということを「三上のブログ」で知った。「これって周りの人が聞きまちがえただけじゃないのか」とぼくがいったら、息子がぼそりと「息してるべ」。チェホフの臨終の言葉日本語説。
言葉って、結局、聞きなしがすべてなのか。全員が全員の言葉を誤解して別の言語で聞いている、それが世界の秘密なのか。そうかも。恐ろしいことだ。