Thursday 6 November 2008

友だちの木

このところ、増山たづ子さんが遺した写真を集めた『増山たづ子 徳山村写真全記録』(影書房)をくりかえしくりかえし見ている。

そして「友だちの木」のページ(見開き)にくるたびに、胸がどうにも苦しくなる。

言葉だけ、転写。116ページと117ページ。

「イラの友だちの木は、嬉しい時も悲しい時も、いつも慰めてくれた。若い時は至らんもんで、グチをいうと「何をトロクサイことをいうのじゃ、このワシを見よ、大水が出れば根を洗われ、大風がきて枝を折られてもこうして何百年も立っておるのじゃあど」といって力づけてくれた。「イラも頑張ろう」。子どもと一緒に歌を唄いながら洗濯物を干した」

「雪が止んだので友だちの木はどうしているかなーと思って川に降りてみた。「イラも年とったがお前も年をとったような気がする。長いつきあいじゃが、これからも話し相手になってクリョー。ここがダムで沈んでしまうとイラはだれも話し相手がのうなってしまう。イラも死にたいくらいだ。お前と別れるのは本当に辛いコッチャー。残るのはお前の写真だけだもんなー。寒さにも暑さにも悲しみにも負けないお前の勇気を見習わなくてはなー。情けない。水に沈むお前をどうしてやることもできない」

写真という不思議なモノのすべての意味は、結局、ここに率直に語られる、それだけでいいのではないかと思えてくる。