2011年3月31日木曜日

昨日の言葉 11

日本語を書く緊張感とは、文字の流入過程、つまり日本語の文字の歴史に否応なしに参加せざるをえなくなる、ということなのだ。
(リービ英雄『我的日本語』)

ぼくはバイリンガルじゃないんですよ。(......) 日本語で書くときには、その瞬間英語を否定しているわけですから。自分の母国語だから、否定してもしきれないところはあるんだけど、それでも否定しようとすること自体が、ぼくには有益なことなんです。日本語で書くということは、英語では書けないことを書くぞ、というチャレンジでもあると思ってる。
(リービ英雄『新宿の万葉集』)

カズオ・イシグロのように、長年の半冬眠状態がつづいていたオーソドックスな英語に新生を吹き込んだ「同化型」もいれば、サルマン・ラシュディのようにインド亜大陸の派手な形容詞と起伏の多いシンタックスを英語に持ちこんだ「逆襲型」もいる。しかし、重要なことは、かれらがイギリス文化にとって本来は外部の出自に違いないが、かれらはイギリスをただ「外」から描いているわけではない、という点である。「内」と「外」が混同した形として、かれらの文学があるのだ。
(リービ英雄『日本語の勝利』)