きょうは年に一度の、南米仲間との集い。長らくブエノスアイレスで会社を経営してきた、ぼくらの大恩人である森山さんを囲んで、今年は5人が集まった。
それぞれの職業はコンサルタント、ミュージシャン、舞台芸術家、小説家、そして英語教師(ぼく)。みんなそれぞれに、20代で出会った南米の強烈さを、その後の20数年、反芻しながら生きてきた。(残念ながら写真家の港くんや弁護士の三山さんらは外国にいて欠席。)
話はつきない。発想のもとになるような細かいエピソードが目白押し。ところが、いったん別れてしまうと、もはや思い出せないのもおもしろい。忘れられて、なおも残ってゆく何かが、たぶん肝心なところ。
いまは舞台美術の研究をしている佐野くんがいうには、美術史の世界ではいろいろなディジタル・アーカイヴが充実してきて、現物を見たことがないものについてまで論文を書けるようになってきたが、それって意味があるのか? 「現物」の、オリジナルの、いい知れない臨在感は、いよいよ人生の目的になるだろうと、ぼくも思う。この点は、DC系の大きな課題。
小説家の佐川くんの体験談は、いつにもましておもしろい。何のごまかしもなく、精神のギリギリの縁を研いでゆくのが作家の仕事。いずれゲストとしてDC研などに来てもらおうと思っている。
不思議なのは、われわれ全員が、何者でもないときに、南米を通過してきたということ。そしてただの学生だったころからのわれわれの変容をずっと何もいわずに見てきてくれた森山さんの、懐の深さ。
あとはそれぞれの体験を、どんな風に中継していくかにかかっている。