Thursday, 22 May 2008

これはすごい、すごい、すごい!

強烈だった。

無知を認めるにはいつもやぶさかではないが、あの有名なジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)を、きょうの午後はじめて見た。なんという傑作! 矢継ぎ早にくりだされる映像が、「演劇とも文学とも異なる映画言語」を追求している。ただあっけにとられ、あっというまに1時間あまりが過ぎる。ゴダールたちが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗ったことの意味を、いまにして知った。

不覚、もちろん。でもどんな不覚だって、改めるに遅すぎることはないだろう。ジガ・ヴェルトフ万歳!

そしてもう1本、135分の長篇は1964年のミハイル・カラトーゾフ監督『私はクーバ』(怒りのキューバ)。

これほど完成度の高い作品があるだろうか。ストーリーは非常に公式的。売春(マリア)、搾取(ペドロ)、反体制運動(エンリケ)、革命への参加(マリアーノ)という4つのステップが、それぞれに苛烈なエピソードによって描かれる。

問題はカメラだ。当時すでに携帯カメラを使用していたという撮影監督セルゲイ・ウルセフスキーの、信じがたい天才。息つくまもなく、ひとつひとつの場面が心にしみわたる。その運動感。その深み。その鋭いしずけさ。

結局、見せつけられたのは、ソビエト連邦において、公式イデオロギーとは無縁にものすごいレベルの美学的達成をなしとげていた人たちがいたこと。かれらから学ぶためだけにでも、ロシア語をこれからやりたいと思った。

ロシア語のために、わが友人・黒田龍之助さんに、改めて弟子入りしよう。