Monday, 26 May 2008

寺山修司『月蝕書簡』

歌の良し悪しを論じられるほどには歌を知らないが、歌も詩であればまるでわからないということもありえない。

寺山修司を論じられるほどにはその作品を知らないが、きょう書店ではらはらと立ち読みをしているとおもしろくてつい買ってしまったのが、彼の「未発表歌集」。『月蝕書簡』という題名がいい。岩波書店刊。

こちらの無知なるがゆえの先入観に反して、ユーモアの感覚が冴えている。わかりやすいのが、たとえば

 みみずくに耳奪われし少年が算盤塾に通う夜の森

少年は「みみ」を奪われ、代わりに「ずく」を与えられた。算術の成立。思わずにっこりする、見事に内在的なユーモアだ。

フィクショナルな家族ものは概してわざと重く暗いが、ふと、ふわりと明るいユーモアが漂うのは、次の一首。

 霧の中酔いたる父が頬を突くひとさし指の怪人として

そして思わずビクッとしたのが、次の非常に完成されたサブライムな光景。

 あじさいを霊媒として待ちおれば身におぼえなき死者ばかり過ぐ

これであじさいの季節が待ち遠しくなる。

ときどき、ほんのときどきだが、寺山の唐突な語の結合にフェデリコ・ガルシア・ロルカを感じることがあり、vice versa。当たっているかどうかは知らないが、それで青森とアンダルシアが近くなる。

青森にまた行きたい。