エイミー・ベンダー『わがままなやつら』の新しい書評が、11日の北海道新聞に掲載された。評者は堀江敏幸さん。送ってくれた吉成くん(書肆吉成)、どうもありがとう。
堀江さんはたぶんいまの日本でいちばん書評のうまい人のひとりだが、これもじつに見事。わずかな字数に、作家の天性の構想力がたっぷり注ぎこまれている。そしてあふれるばかりのみずみずしさ。
「しかし、彼女の言葉は、雪の結晶のように、気温と湿度によって形を変えながらつねに安定していて、必要とあらば、熱くたぎる矛盾の雪だって降らせることができる。血の滴るようなやさしさを、そっと私たちに吹き込むことだってできる。」
オクシモロン、撞着語法、形容矛盾。「熱くたぎる矛盾の雪」であり「血の滴るようなやさしさ」。オクシモロンこそアイロニーの中心的な修辞であり、アイロニーとはよく訳されるような「皮肉」なんかじゃないことが、わかってもらえると思う。それは楕円の二つの焦点の一方から、もうひとつの焦点をうかがう視線。ひとつの引力に身をまかせることをけっしてせず、もうひとつの引力の存在をつねに意識し、引き裂かれた心で生きることだ。
エイミーの心のこの本質を、堀江さんは作家的に見抜き、最後にこういう。「そのよじれがあるからこそ、ベンダーの小説は美しく、恐ろしいのだ。」
これでエイミーの翻訳は、ぼくにとって、ほんとうにやってよかったと思える仕事になった。
ところでエイミーの唯一の長篇に『私自身の見えない徴』がある。あの傑作(そう、人によっては「ベンダーは短篇作家」だなどと平気で口にするが、あの本はそれ自体、特異な傑作だ)がついに映画化されるようだ。主演は、あのアメリカ・フェレーラ!
http://www.time.com/time/specials/2007/time100/article/0,28804,1595326_1595332_1616652,00.html
なるほど、ユダヤ系ばかりのご近所で育ったホンデュラス系移民の娘である彼女ほど、モナの役にふさわしい女優もいないかもしれない(でもUgly Bettyのイメージが強すぎるかも)。
これは楽しみ、あまりに楽しみ。完成が待ち遠しい。