2011年4月26日火曜日

陸前高田の声

アカデミー・コモンでシンポジウム「被災地は復興への支援をこんな具合に求めているのだ」。主催はわが同僚(安全学)の山本俊哉研究室。共催はNPO「り・らいふ研究会」と「仮設市街地研究会」。

陸前高田の消防団員のみなさん3名の参加を得て、きわめて濃密な時間となった。

津波には、「押し寄せる波」と「すうっと上がってくる水」の二種類があったことを知った(後者は要するに半島の影の部分)。でもその破壊力は変わらない。それぞれの言語を絶する体験を乗り越えて「前に進むこと」を考えているみなさん(なかでも福田さんはぼくと同い年、チリ地震による津波の日がちょうど満2歳の誕生日だったそうだ)の言葉に打たれた。

痛感させられるのは、国が決めるマニュアルの無意味さ。「国」という単位では、何にも対応できない。すべてローカルな伝統と知恵に頼ったほうが、はるかによかった。どこでも適応可能なプランは、結局、どこにも役に立たないのだ。

今後はともかく、土地の「なりわい」を回復し、魅力的な出会いを組織し、若者が集って定着する土地にすること。みんなを呼び込み、土地の人々を楽しませつつ、長い期間を過ごせるようにすること。

議論に加わるみなさんの前向きな気持ちに、深く感動した。これを機に、日本社会は変わらなくてはならない。今後の千年を見通し、そのための構造とスタイルを工夫しなくてはならないと思う。

「仮設市街地研究会」のみなさんの、大きな船を買って仮設住居にする(即座に実行できてしかもはるかに安上がり)というプランも魅力的だ。そして陸前高田では消防団のみなさんが、防災FMを運用するNPO法人「陸前高田復興まちづくり会議」をまもなく立ち上げるとのこと。及ばずながら、ぼくもカンパしてきました。

あれだけ広大な被災地があるとき、どこか一地点を特別視するのはどうか、という考え方もあるかもしれない。しかし結局、人の世のもっとも有効な動きは、この自分、この私と、ランダムな一点とが、どんな偶然によってか接続されるときに生じると思う。

陸前高田が復興のモデルをしめすことが、他のすべての被災地にとっても、やがては大きく役立つにちがいない。

陸前高田は尊敬する友人の出身地。これまで訪れる機会を逸しつづけたが、いつか近い将来に、必ずその土地を訪れ、その海をじっと眺めてきたいと思う。