深夜のコンビニで『手塚治虫名作ホラー』(集英社、本体価格524円、418ページ)を買った。この最後の作品「二人のショーグン」は異様な魅力をもっている。では、どこが?
ショーグンは県会議員の息子、落第生。勉強嫌いを嘆いていると、彼が飼っている40匹の猫のうちの1匹、ピンクレディーが、彼の身代わりとなって学校に行くことを申し出る。
身代わりものというとすぐに水木しげる先生の永遠の名作『河童の三平』を思い浮かべるが、このショーグンの場合、両親はショーグンが二人になったことに気づいているのに、それを平然と受け入れるところがなんとも奇妙。背の高さも、性格も、勉強の出来具合もちがう二人を、周囲は同一視する。二人いることを知っていて、それを一人として受け入れるのだ。
これはちょっと、相当変わっているように思う。ぼくはSFをまるで知らないのだが、こうした「二人一役」の例は、文学ではあるのだろうか。
しかし、仮に文学(文字作品)でそれを描いたとしても、二人の見かけの差異を瞬時に表現することはできない。ここにマンガの強さを感じる。ただ「気づいているけど受け入れている」(ちがうことに気づいているけれどおなじものとして受け入れている)という新たな約束事を導入するだけで、じつにふしぎな世界になる。
というわけで、「二人一役」のテーマ、今後の課題です。