友人の音楽評論家・小沼純一さんがこのあいだベトナムにゆき、ハノイの街が「まるで昭和30年代の東京みたいだった」といっていた。ぼくはそのころの東京を知らないが、名古屋は知っている。名古屋はそのころ東西に市電が貫いて走っていて、うちからは東山動物園まで市街地横断旅行を楽しめた。たぶんずいぶん時間がかかったんだと思うが、そして料金もまったく覚えていないが、「市電」ほどのんびり楽しく優美な乗り物はないといまでも思う。都心からは自動車をしめだし、ただで乗り放題の市電を主要交通機関としてほしいものだ。
昨夜は『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン』(アーカイブス出版)という本を見ていた。昭和20年代、敗戦後の日本のカラー写真は全般的に妙に明るい。銀座4丁目や、宮益坂/明治通りの交差点は、たしかにひどく変わっているものの、面影がある。大きなちがいはアメリカ兵とMP(軍警察)の存在か。
それでもこの風景からさほど隔たっていない時に、ぼくらは生まれたわけだ。都市が姿を変えるのはあたりまえだが、土地の所有権をもつ者が変わらないかぎり、変わらない部分が点在する(この写真集でいえば新宿。中村屋はいまのままの位置、ただし隣の古書店「大東京書房」はいまはあとかたもない)。
これから半世紀経った、2057年の東京はどうなっているのだろう? 願わくばその多くの部分が森に還り、現在の数倍の種類の鳥たちが住む都市となってほしい。鳥の種類の多さが、土地の森林の濃さや多様性の端的な指標なので。そのために「土地をあきらめる」人たちが、これから少しずつでも出てこないものかと思う。