Saturday, 29 December 2007

これからは手書き

やっぱり手書きだなあ、と思う。年賀状の話じゃないよ(それもあるけど)。学生のレポートの話でもない(それもあるが)。自分の原稿を、これからは手書きにしたい。そこにかかる時間のため、注意力のため。

何事も「早く仕上げればいい」「たくさんやればいい」という風潮は、もうこのへんでおしまい。ゆっくり仕事をすることにしたいと思う、これからは。で、手書きにするし、ぐずぐず書き直すことにする。何度でも。それでなければ達成できない境地がある。そのほうがずっと大切。(じつは自分の仕事の遅さの言い訳?)

ポール・ヴァレリーの手紙(ジャン=ダニエル・モブラン宛、1926年8月26日)から。

「たとえばピエール・ルイスは、少しでも失敗したと思ったら、もうそのおなじ紙に書き続けることができませんでした。文章を直したときにはそこで立ち止まり、新しい紙をとりだして、あの美しい筆跡で、しかるべき修正をほどこした一節をきれいに書き写す。こうしたやり直しが、しばしばありました。というのも彼ほどに細心綿密な作家にとっては、これではだめだと感じられることが絶えずあったからです。文学における綿密さをめぐって、本格的な研究がなされていいでしょう。」

そして手書きの文字の姿は、端的にそんな綿密さを反映するのではないかと思う。

自戒だけど。

2008年度のフランス語2年の教材について

フランスの大統領の名前は、別に覚えなくてもいい。「お猿の小次郎」からの連想でオーケー。

その大統領の「新しい恋人」として大々的に報道されたのがイタリア系の大金持ちの娘、元ファッションモデルで歌手のカルラ・ブルーニ。別にそれだけでは興味もないのだが、どんな歌をうたっているのかとYouTubeでチェックしてみたら、これが意外にも、すごくいい。使える。

フランス語の授業の歌というと、フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、シルヴィー・ヴァルタン、セルジュ・ゲンズブール、ミシェル・ポルナレフと、オールド・スクールもいいところの定番ソングを、ずっと使ってきた。変わったところでは、ハイチ系アメリカ合衆国人のテリー・モイーズくらい。

でも来年は、たぶんカルラで決まり。何より声がいい。歌詞も、まずまず。現職のフランス大統領は大嫌いだが、私生活はこの際、問わない。

そしてまた、dotsubのこんなアニメーション・フィルム。

http://www.dotsub.com/films/lhommequi/index.php?autostart=true&language_setting=fr_2141

フランス語の字幕で見れば、読解力もどんどんついてくる。

というわけで来年のフランス語の授業の内容は、どんどんかたまってきた。X組のみんな、お楽しみはこれからだよ!

Blogs in Plain English

つくづく思うのだが、「語学」の勉強のために留学するという時代は、もう完全に終わったみたいだ。その気になれば、大概のメジャー言語は、どこにいても勉強できる。FEN(アメリカ軍のラジオ放送)が聴ける地域すらうらやましかった時代(ぼくの高校時代、70年代)とは、どれだけ変わったことだろう!

インターネットでのテレビ、ラジオ、利用できるものはいくらでもあるが、ぼくも知ったばかりのDotsubというサイト、すごい。アップされたいろいろな映像コンテンツに、いろんな人がいろんな言語でサブタイトルをつけてゆくというコンセプト。当然、まちがったものもいろいろありうるが、ウィキペディアとおなじく、他の人が直してゆける。やがて、共同作業による「正解」に達するというわけ。

これを利用すると、英語だのフランス語だのは、ほんとにいくらでも学べる。たとえば

http://www.dotsub.com/films/blogsinplainenglish/index.php?autostart=true&language_setting=en_2076

これなんか、大学1年の英語の教材としてもってこいだ!

これからは語学の授業はインターネットをベースにして進めていくことになるだろうなあ。教科書会社の人たちには申し訳ないけれど。音声、画像、アクチュアリティ、三拍子そろった素材がいくらでもただで手に入るのだから。

そしてもちろん、問題はその先、このジャングルからどんな宝を見つけてくるかにかかっている。それが「コンテンツ批評」の領域で、来春からはいよいよ新しいプログラムが始動する。

おもしろくなりそうだ!

Friday, 28 December 2007

第8回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

日時  1月12日(土)午前10時から正午まで
場所  秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト ドミニク・チェンさん
ホスト 宮下芳明(DC系専任講師)


「情報プロクロニズムとコモンズの臨界点」

情報共有技術の浸透は、多様な情報の相互伝達を人間の認知限界を超える規模で可能にしています。現在、そこで交わされているのは完成形の情報ですが、状況は生成プロセスを含む情報の共有をも包括しようとしています。

存在と表現の境界はどこまで融合しうるのか? 人間の作為から生まれた情報に自律性は宿るのか? こうした問題を抱えながら展開しているプロジェクトを 紹介したいです。

ドミニク・チェン
1981年、東京生まれ。フランス国籍。フランス理系バカロレア取得後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校[UCLA]Design/Media Arts学科卒業(2003.06)。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了 (2006.03)。 NTT InterCommunication Center [ICC] 研究員(2003.11~)、国際大学GLOCOMリサーチ・アソシエート(2005.02~)を経て現在、東京大学博士課程在籍[日本学術振興会特別研究員] (2006.04~)、NPO法人 Creative Commons Japan理事 (2006.03~)。

2007年+2008年の Ars Electronica Digital Community部門 International Advisory Boardを務める(2007年度、www.dotsub.comを推薦,Award of Distinction受賞).。2007年5月NPO法人Art Initiative Tokyo(AIT)の Making Art Differentコースの集中特別講義『New Media and Digital Politics』を開催(2008年5月も講義予定)。2007年12月、東京都写真美術館にて『文学の触覚』展に舞城王太郎との新しいデジタル文学のかたちを提案する作品を出品。

2001年より《InterCommunication》《美術手帖》《ユリイカ》《10+1》《ARTiT》《Tokyo Art Beat Review》など様々な媒体で可塑性のメディア論を執筆するかたわら、ICCのオープン映像アーカイヴ「HIVE」を設計・構築し、クリエイティブ・コモンズの運動にもC−shirtプロジェクト等、前線で参加してきた。現在はアーティスト・遠藤拓己と共にdividualの構築をおこなうと同時に、情報プロクロニズムと創造性概念の再構築に関する研究に従事。



当日は併せて、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。すぐわかります。直接エレベーターで6階にお越し下さい。

http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

二人一役?

深夜のコンビニで『手塚治虫名作ホラー』(集英社、本体価格524円、418ページ)を買った。この最後の作品「二人のショーグン」は異様な魅力をもっている。では、どこが?

ショーグンは県会議員の息子、落第生。勉強嫌いを嘆いていると、彼が飼っている40匹の猫のうちの1匹、ピンクレディーが、彼の身代わりとなって学校に行くことを申し出る。

身代わりものというとすぐに水木しげる先生の永遠の名作『河童の三平』を思い浮かべるが、このショーグンの場合、両親はショーグンが二人になったことに気づいているのに、それを平然と受け入れるところがなんとも奇妙。背の高さも、性格も、勉強の出来具合もちがう二人を、周囲は同一視する。二人いることを知っていて、それを一人として受け入れるのだ。

これはちょっと、相当変わっているように思う。ぼくはSFをまるで知らないのだが、こうした「二人一役」の例は、文学ではあるのだろうか。

しかし、仮に文学(文字作品)でそれを描いたとしても、二人の見かけの差異を瞬時に表現することはできない。ここにマンガの強さを感じる。ただ「気づいているけど受け入れている」(ちがうことに気づいているけれどおなじものとして受け入れている)という新たな約束事を導入するだけで、じつにふしぎな世界になる。

というわけで、「二人一役」のテーマ、今後の課題です。

Tuesday, 25 December 2007

冬休みに入って

大学は冬休みに入った。といっても、いつものように研究室に来ている。

今学期もあとは年明けにまとめのセッションをして、それから最後に期末テスト。特に語学については、はたしてじゅうぶんな効果が上がったのかな、テクストがむずかしすぎたかな、あるいは逆に甘すぎたかな、などと迷うのは避けられない。

それでも今年、特筆すべきはフランス語検定の結果。学年最初から「仏検」を目標として掲げたせいもあって、1年生秋の段階で4級に29名が合格。そしてなんと3級合格者が2名もいた! 2クラスの4割近くがいずれかに合格したわけだ。

3級は通常、フランス語2年を終えた程度の力とされる。ここまでやれば「大学のときフランス語をやりました」と胸を張っていってくれていいと思う。よくがんばってくれたね。これなら辞書を使って簡単な本が読めるはずだし、旅行でも必要な情報は自分で得ることができるだろう。そして、いっそうおもしろくなるのは、ここから。

残念ながら失敗したみんなも、ぜひ来年、またフランス語に挑んでほしい。語学は楽しい。おもしろい。役に立つとか立たないとかは、どうでもいい。楽しいから、やるといい。やればむくわれる。その楽しさの部分を、なんとかもっとわかってもらえるようにしたいと、こっちも思ってる。

来年のフランス語は、2年を1クラスのみ担当。どっちとはいわないが、今年の1年のクラスの1つだよ。少なくとも『シェルブールの雨傘』の詳細な分析を試みることにしたい。また、アニェス・ヴァルダの『落ち穂拾い』とその続編『二年後』をめぐるディスカッションもやるだろう。そして金曜日お昼休みのフランス語クラブは来年も続ける予定。今年、途中で脱落した人たちも、またいつでも復帰してくれ。

ではBonne et heureuse année!

Monday, 24 December 2007

VARIGのクリスマス、つづき

ヴァリギ・ブラジル航空のクリスマス・ソング、むかしはぜんぜんちがうメロディーだったことを知って驚き。アニメーションつきの古い歌(歌詞はおなじ)も見られるし、80年代にブラジルの子供たちに絶大な人気のあったモデルのシュシャ(「こどもクラブ」という番組のホステスをしていた)が歌っているヴァージョンもYouTubeで見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=Epjwb4ukk3I&feature=related

で、歌詞だけがおなじ。ぼくはいまのメロディーのほうが好き。

Estrela brasileira no céu azul
Iluminando de Norte a Sul
Mensagem de amor e paz
Nasceu Jesus, chegou o Natal
Papai Noel voando a jato pelo céu
Trazendo um Natal de felicidade
E um ano novo cheio de prosperidade

ブラジルの星が青空にあって
北から南へと照らしてる
愛と平和のメッセージ
イエスが生まれ、降誕祭がやってきた
ファーザー・クリスマスがジェットで空を飛び
しあわせな降誕祭を運んでくる
そして繁栄にみちた新年を

ということで、これがこの季節のごあいさつ。

イタリア・ヴィデオアートの現在@早稲田

三宅美千代さん(早稲田大学)からのお知らせです。すごくおもしろそう!以下、ちらしの引用です。

日時 1月11日(金)16:30~
場所 早稲田大学文学部戸山キャンパス
   33-2号館2階第2会議室
入場無料

IDENTITIES IN TOUCH: VIDEO ART FROM ITALIAN TERRITORY
イタリア・ヴィデオアートの現在

 ヴィデオアートというジャンル、それも若い世代の作品となると、イタリア国内でもこれまで十分に分析、議論されてきたとは言えない。60年代から80年代にかけてのイタリアにおけるコンテンポラリー・ヴィジュアルアートは、アルテ・ポヴェラ、フルクサス、コンセプチュアル・アート、環境芸術(environmental art)、ランド・アートの影響を強く受けたが、この時期にヴィデオが作品に用いられることはあまりなかった。イタリアでアーティストが視覚表現の探究のためにヴィデオの使用を本格的に模索しはじめたのは、90年代に入ってからのことである。

 現在では、ヴィデオは多くのアーティストにとって特権的なメディアのひとつとなっているが、その意図や表現方法はじつに様々である。それゆえ、今日のヴィデオアートをめぐる状況を正確に理解把握するのは難しいが(私たちは必ずしもそうする必要はないと考えている)、そうしたなかで、ドグマにとらわれない自由なやり方でヴィデオに取り組むアーティストらの手により、インパクトある作品が次々とつくり出されていることは驚くべきことである。若い世代の作家は、ヴィデオというメディアをすっかり自分のものとして使いこなし、きわめてパーソナルな切り口から現象に深く入り込んだり、リアリティーを追究したり、身近な環境との関わりをもったりしている。

 この展覧会は、イタリアを拠点に活動する若手ヴィデオアート作家8名の作品を取り上げる。Francesca Banchelli, T-Young Chung, Stefania Galegati, Chiara Guarducci, Yuki Ichihashi, Nicola Martini, Olga Pavlenko, Robert Pettenaは、2004年以降活発に作品を発表し、これからの活躍が期待されている1970年代から1980年代生まれの若いアーティストである。この8名には、イタリアで生まれ、教育を受けた人たちのほかに、海外からやってきてイタリア周辺に住んでいる人たちも含まれるが、みなイタリアのギャラリーと仕事をしたり、イタリアのアート・アカデミーで学んだり、イタリアと縁が深い。とはいえ、彼らの作品は特定の文化的、政治的立場を共有するものではない。アーティストたちは、文化的ルーツや背景を模索することよりもむしろ、現実とのかかわりのなかで生じるパーソナルな経験に注目し、思い思いのやり方で作品化することのほうに関心を寄せているようだ。

 したがって、作品を特定のアイデンティティーや概念と結びつけて抽象的、還元的に語ることは避けなければならないと知った上で、もしイタリアで活動するアーティストたちの作品になんらかの共通の特徴を見出すことができるとしたら、それはパーソナルな題材を作品化する際の美学、つまり視覚性、ポエジー、形式面への関心において見出されることになるだろう。ヴィデオは、作家の形式的、言語的、美学的探究に応じて、じつに多様な方法で用いられており、イメージの構造や表象可能性に関する私たちの理解を深めてくれる。

 このイベントが、多様な表現のあいだに生じる対話やダイナミックな関係性を体験する場、ヴィデオアート表現の新たな可能性を発見するための契機となることを願っている。アーティストたちにとって、ヴィデオは自己発見の道具であるのみならず、自分と世界を結びつけるための手段、モノや時間/空間とのかかわりを構築するための手段になっている。静かに物質をまなざしつづけるカメラは、アーティストたちの延長された器官となり、それを通じて彼らは世界を知覚する。その意味で、これらのヴィデオ作品は、「触れること」の探究なのだ。物質性こそが彼らの表現の核にあり、観るものの心に問いを残す。

非所属=コスモポリタニズム?

昨日、22日の英文学会関西支部での発表から、冒頭のみ記します。まだまだ練り上げが必要ですが、ともあれ、端緒の段階の、報告まで。

 一般的な話からはじめたいと思います。恐らく多くの人がそうではないかと思うのですが、ぼくもはたしてどう定義すればいいのかわからないままに、「コスモポリタニズム」という名称をごくおおざっぱな了解のまま使ってきました。そのとき、自分がイメージしているコスモポリタニズムの内容は何なのか。コスモポリタニズムという考え方と態度と行動を現代において成立させる原則は何なのか。その点をいくつか、改めて考えてみました。ここではまず、こうした一般的な話をした上で、20世紀後半以後に活躍した作家たちの中から、地球規模の移動を生き方と創作の基礎におく二人(ともに1940年生まれの、イギリスのブルース・チャトウィンとフランスのジャン=マリ=ギュスターヴ・ル・クレジオ)を選び、簡単なコメントを加えることにします。
 まず、5つの原則をあげてみます。これでコスモポリタニズムというひとつの「主義」の根底にあるすべてを網羅しているとは思いませんが、目立った点はいちおう押さえられるのではないかと思います。お手元にあるハンドアウトに記したのがそれです。

 1 ナショナルな所属を優先させない
 2 ノマディズムの積極的な実践
 3 多言語使用、トランスリングァリズム
 4 ヨーロッパ嫌悪、あるいはヨーロッパが主導し築き上げてきたモダニティに対する批判
 5 寛容という自己契約、それを支える非暴力主義

 これを順次見てゆきましょう。
 第1の「ナショナルな所属を優先させない」というのは、コスモポリタニズムの根源的な約束ごとです。ナショナルな所属が自分に強いる行動に、人間一般についての自分の倫理観に抵触する部分がある場合には、ためらいなくこの「人間」という一般性を優先させる。アンドレ・ブルトンの若いころの友人でブルトンによってシュルレアリスムの創始者とまで呼ばれたジャック・ヴァシェが、結局死ぬことになる戦場から送った手紙の中に、こんな有名な言葉があります。”Rien ne vous tue un homme comme d’être obligé de représenter un pays.” (ひとつの国を代表させられるほどうんざりさせられることはない。)シュルレアリスムという国際的芸術運動をコスモポリタニズムのひとつの発現とみるとき、その背後にあったのが第一次大戦の恐るべき破壊と無意味に対する激しい怒りと拒絶であり、ナショナルな強制力が個人を使い捨て押しつぶすことに対する強い反発だったことは疑えないと思います。あるいはファシズムとそのさまざまなヴァリエーションの場合。ごく一部の集団に対する所属が自分の生死を左右するのみならず、たとえば自分が他人を殺すことを強いるとき、その事態を避けるためにまずしなくてはならないのは「所属」の対象ないしは範囲を決め直すことです。たとえその所属が、いずれにせよ想像的な契約にすぎないものであったとしても、ネーションという想像の共同体よりは、全地球的なヒトの共同体、さらにはゲイリー・スナイダーのような詩人がいう「惑星的・生態学的なコスモポリタニズム」に加担することを選ぶ。そしてこれは別にどちらを選んでもいいという趣味の問題ではなく、まさに自分自身の生存が賭けられた論点として、ナショナルなものからの離脱を積極的に選ぶ。それはあらゆるかたちのコスモポリタニズムのはじまりにあるものでしょう。

 第2の「ノマディズムの積極的な実践」とは、これも直接に生き方の問題です。ナショナルな管理や移動の制限がじつは国民国家の発明だということは、いまではよく意識されるようになったことだと思います。人類史の全体を見わたすなら、むしろ人は動くのがあたりまえだった。定住し、既得権や財産を維持することを第一とする姿勢に入ったのは、ごく例外的なできごとだと考えたほうがいい。ナショナルなものからの離脱を大きな目的とする人がいるとしたら、その人にとっては移動が大きな鍵を握る。もっとも現状ではどこにゆこうといずれかのナショナルな支配圏を逃れることはできず、対外的にはナショナルな身分証明を容易に捨てることができないのですから、要は「外国人」としての生活を探るしかない。「選ぶのか」「強いられているのか」、経済的理由なのか政治的理由なのかを問わず、そのような生き方をしている人の数はいまも激増しています。

 第3の「多言語使用」は「ノマディズム」に深く関わっています。世界のどんな小さな区画をとっても、じつは単一言語の支配圏であるところのほうが少ないのかもしれない。仮に見かけ上、一言語が支配を確立しているように見える地域でさえ、その言語だけでは浮上してこない情報がたくさん水面下に潜んでいるのかもしれない。そして誰にとっても、外国語を介してしか関係を打ち立てられない相手のほうが、この地球上では比べものにならないほど多い。あたりまえのことですが、外国語使用者たちとの生活圏が重なってくればくるほど、どれほど不十分ではあっても外国語の中で関係を作ってゆくことは、単なる実用性を超えて倫理的要請となります。

 第4の「ヨーロッパ嫌悪」とは、つまりは大航海時代以後の過去500年にわたってヨーロッパが作り上げてきた単一の世界システム、世界市場の経済、近代世界資本主義の体制、そのシステムを担うローカルな主体としての国民国家、そこで共有化されるライフスタイルやその背後にある抑圧などに対する批判の気持ちです。「コスモポリタニズム」というとき、両大戦間的なイメージで語るときには、世界システムの肯定の上に立って、自由に使える資産に守られて外国で暮らす、華麗で安逸なひとつのライフスタイルをさすことが普通だったのかもしれません。けれどもその影で、われわれが問題にしているコスモポリタニズムはそれとはちがいます。世界システムとローカルな支配という二重構造の、いずれからも外に出ていきたい、現実にはたせるかどうかはわからないけれども、その閉ざされた限界からの脱出をはたしたいという欲望を、いかに実現してゆくか。それを課題としてきた人たちについて、われわれは語ろうとしているのではないでしょうか。

 そして第5に「寛容と非暴力」を上げました。「全体主義は全体の独占をその本質とする」という三島由紀夫の警句がありますが、さまざまなナショナリズムは人がナショナルなものへの忠誠を全面的に、第一義的に誓うことを求めます。そしてそれは、人々が集団として行使しうる暴力の総体をひとつに束ねておくことを要求する。これに対してコスモポリタニズムは、非対称的な関係にあるのかもしれません。コスモポリタニズムは、いわば弱い立場で自分を定義する。それはひとりの人が「全面的に、つねに」コスモポリタンであることを求めるのではない。逃れがたい所属と所属のあいだで、ときどきふと何かの外側に出てしまう、そんな状態。ひとつの主義として主張するというよりは、ある主義を拒絶するときに浮上する非参加の状態。所属によって強制される暴力の行使を拒否するときの、戦わないという立場。要するに、戦闘的・攻撃的コスモポリタニズムというものは存在しないのではないか、ということです。

Sunday, 23 December 2007

ヴァリギ風のクリスマス・ソング

もうしばらく乗ってないけど、かつては「いちばん好きな航空会社は?」と聞かれると、ためらうことなく「ヴァリギ!」と答えていた。そう、ブラジルの代表的航空会社です。

とにかくサービスがいい、乗務員が楽しい、料理がおいしい。雰囲気が全面的にブラジル。といっても、長いあいだ忘れていたそれを思い出させてくれるのがヴァリギのクリスマス・ソング!

http://br.youtube.com/watch?v=avz03lipBxg

いいでしょ?

教えてくれたのはベルリンの友人ベアント。水族館や熊の本を書いているフリーの作家で、かつてシアトルで一緒に勉強した仲間。なぜかその後ポルトガル/ブラジルびいきになっている。

どうせ会社をやるなら、あるいは勤めるなら、あるいは利用するなら、楽しいところがいい。来年あたり、ひさびさにブラジルに行きたいもんだなあ、と夢想するクリスマス。

コスモポリタニズム

日本英文学会には昨年から「関西支部」が設立されたらしく、その第2回大会のシンポジウムのために土曜日、大阪大学まで行ってきた。大阪は雨。モノレールからの風景が外国に来たみたい。

シンポジウムはぼくが尊敬する翻訳家の若島正さん(京都大学)が組織したもの。タイトルは「コスモポリタニズムと英米文学」。まさにいま語られるべき、本質的に重要な問いをいくつも含みうる、主題の設定だ。

まず木村茂雄さん(大阪大学)がコスモポリタニズムをめぐる最近の議論をいくつか紹介した上で、サルマン・ラシュディの『道化師シャリマル』を論じた。まだ読むチャンスがないが、すごくおもしろい作品だということがよくわかる。こういう話はうれしい。ついでぼくが、自分なりの「コスモポリタニズムの5つの原則」を話し、さらにおなじ1940年生まれのブルース・チャトウィンとジャン=マリ=ギュスターヴ・ルクレジオの「世界」への志向性について話した。かれらのコスモポリタニズムは幼児期の戦争の影に対する反応だという立場。

ついで芦津かおりさん(大谷大学)がシェイクスピアのローカル化の例として、蜷川幸雄の演出とその受容を論じた。仏壇の中で戦国時代の武将が争う『マクベス』という発想がすごい。最後に若島正さんが、専門のナボコフと対比するかたちで、現代の若いユダヤ系ロシア系作家ふたりの作品を論じた。ドイツで暮らしドイツ語で書くウラジミール・カミネールとアメリカで暮らし英語で書くゲイリー・シュタインガート。若島さんの話術にひきこまれ、ふたりともむちゃくちゃにおもしろそうに思えてくる。いつか読んでみたい。最後はカリフォルニアの「バラライカ・ロックンロール」のバンド「赤いエルビス」の曲「宇宙飛行士ペトロフ」を聴かせてもらっておしまい。

ぼくが上げたコスモポリタニズムの5つの原則とは、次のようなもの。網羅的ではないが、少なくとも議論の出発点にはなるだけのものがあると思う。

(1)ナショナルな所属を(少なくとも)優先させないこと
(2)ノマディズム(移住、移動)の積極的実践
(3)多言語使用、トランスリングァリズム
(4)ヨーロッパ嫌悪、ないしは「ヨーロッパ主導の近現代」批判
(5)寛容の自己契約、非暴力主義

それからさらに、課題図書としてあげた3冊の本をひとりずつ担当して紹介した。クワメ・アッピアの『コスモポリタニズム』(ぼく)、ピコ・アイヤーの『グローバルな魂』(若島さん)、シェルドン・ポロック他の『コスモポリタニズム』序文(木村さん)。

ここまででディスカッションの材料は豊富に出ているはずなのだが、いざとなると、会場からの質問はゼロ。沈黙。これには正直なところ、愕然とした。こうなると、話しっぱなしのシンポジウムという形式など、まったく無意味だなあと思う。「学会」という場では、どんな話題でもたいがいその話題について話し手よりよく知っている人が何人かはいるものだし、逆に「そこのところぜんぜんわからなかったからもっと説明してください」という意見だって大歓迎。何より、「やりとりがある」ということが、こうした催しの最大の意味だろう。

それとも、話し手に求めるのはあくまでもエンターテインメントであり、その芸があまりに稚拙なので挨拶に困った、というあたりか。それならまあ、わからなくはない。わからなくはないが、学会に娯楽を求めてどうするんですか、とは思う。

確実にいえるのは、こうしたナショナルなくくり(「英文学」だの「仏文学」だの)での文学研究の時代は完全に、そして正当に、終わりを告げているということ。対象である文学テクスト群の有機的な関連を考えただけでそれは明らかだし、作業を実践する側の、現代世界における文学研究の意味と位置と使命を考えれば、いっそう明らかだろう。

ところで、この現在にあって、なお「コスモポリタニズム」という言葉を、まるでファッション雑誌みたいなイメージで捉えている人もたくさんいるみたいだ。別にそういう名称を使う必要はないが、その名にこめられようとしている期待や意志まで否定することはない。文学が作り出すコスモポリタニズムは絶対に必要だし、それはエリート主義とも商業主義とも、ぜんぜんちがう話。

両大戦間の芸術的コスモポリタニズムも、1960年代の対抗文化やヒッピー・カルチャー的コスモポリタニズムも、90年代以降の難民・亡命者・経済移民たちの中から芽生えてきたコスモポリタニズムも、根本にあるのは戦争や社会崩壊に対する怯えであり、それぞれの場所で生存を計るための策略なのだ。

若島さんのお話では、現代ベルリンのロシア系の青年たちが使う「ピジン・ドイツ語」が印象に残った。そんなロシア語まじりのドイツ語をそのまま理解できるだろう日本人というと、まず多和田葉子さんのことを思い出す。ぜひ多和田さんに、いつかそんな話を聞いてみたい。

Friday, 21 December 2007

科学者の生涯(2)

メンデルの強さは数学の勝利
12980個の標本から「法則」を引き出した
ワットは子供のころやかんを爆発させ(危険!)
のちには「機関」の大小を分別した
パスツールの実験は「白鳥の首」
ウイルスを知らないままワクチンを作った
ライト兄弟の発明は空飛ぶ自転車
何を思ったか「先翼」という余計なものをつけちゃった
メンデレーエフはシベリア育ちで
政治犯たちから最新科学を惜しみなく教わった
ガリレイってピサの斜塔にほんとに上ったの?
自然を数学で記述したのはたしかに彼が最初
ガウスは9歳のときから気味悪いほどの神童で
60歳になるとロシア語の勉強を始めた
ゲーデルは変人、悲しい「なぜなぜくん」
毒殺を恐れるあまりついに飢え死
ボルツマンにとって時間はどっち向きでもいい
彼の世界はにぎやかな躁鬱病の異邦
北里の功績は「抗体」の発見だが
いったいコカインをどれだけやったのか?

(同書を参照)

Thursday, 20 December 2007

科学者の生涯(1)

ニュートンは毎日家計簿をつけて
あらゆる出費を記録していた
アインシュタイン少年はベルンシュタインの
『市民の自然科学』全5巻で理論を学んだ
湯川秀樹は漢学者の家に生まれ
赤ちゃんのとき本の間で迷子になった
学生マリーはピエールの家に遊びにゆき
いつのまにかキュリー夫人になっていた
ファラデーは小学校も出てなくて
数学ができないためイメージで勝負した
エジソンは典型的な「注意欠陥多動障害」
彼の社員は彼が寝るのを見たことがなかった
ラボアジェは天才、でも徴税請負人
人でなしと呼ばれギロチンにかけられた
ダーウィンの母親はウェッジウッドの娘
ダーウィンは生涯、原因不明の病に悩んだ
野口英世はガラガラヘビを素手でつかみ
採取した毒の研究で名を挙げた
ジュールは地ビール屋の次男坊
長さ1メートルの温度計をいつも持っていた

(山田大隆『心にしみる天才の逸話20』講談社ブルーバックスによる)

『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー)

英語リーディング1年のクラスで、先週ときょうの2週に分けて、ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』(2004年)を見た。

http://www.darwin-movie.jp/

アフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖にかつて誰かが放った一匹の魚、ナイル・パーチが発端。外来種がときとしてそうなるように、肉食のこの魚は激増し、他の魚たちを食べつくし、生態系を崩壊させた。

大きく育つこの魚の白身をヨーロッパや日本に輸出するために、工場が作られ、人々が工場労働者になるために集まる。町ができる。現金収入へのドライヴがかかると、伝統経済は崩壊する。工場で働けるものは、まだいい。女性たちのある者は、売春で現金収入を求めるようになる。親たちから捨てられ路上で暮らす子供たちは、暴力を唯一の原理として、生存競争の毎日だ。かれらは犬をいじめる。

魚はロシアの飛行機(パイロットはウクライナ人)がヨーロッパに運ぶ。ロシア機は、いわば長距離トラック。他の国の便よりも安く仕事を請け負うのだ。そしてヨーロッパからのフライトは、人にはいえない物を積んでくる。武器。内戦の支援。アフリカのゆたかな地下資源を狙うヨーロッパ各国は、現地の部族抗争などを巧みに利用し、武器の援助をし、資金を与え、内戦を作り出してきた。

こうなると、人々の中にも戦争を望むものが出てくる。なぜならそれはビジネス・チャンスだから! ヨーロッパ諸国がお金をつぎこむ。援助物資も送られてくる。いまは夜警の仕事をしている元兵士は、戦争になれば人を殺すのはあたりまえ、ためらいはない、と言い切る。

この救いのない話が、さらに近未来においてどうなるかを考えると、戦慄が走る。あのパーチがとりつくされ、絶滅したら? 身の部分は輸出され、残った頭の腐りかかったものを油で揚げて食べている現地の人々は、さらに失職し、現金収入を失ったらどうするのか? 

クラスのディスカッションにもいろいろな意見が出た。誰もどうすればいいかがわかっているわけではない。けれどもこの丸ごとの状況をつきつけられると、もやもやした気持ちがこみあげてくる。

アメリカの軍事予算の3分の1を遣うだけで、世界のどうしようもない貧困(明日まで生きられるかどうかわからないレベルの貧しさ)のかなりの部分が救えるという。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、日本の人々が、1日あたり45セント出せば、相当いい線まで行く。ところがこれは、現在すでにノルウェイの人々が支払っている金額の3分の1よりちょっと多い額にすぎない。そして別にノルウェイ国民は、他の先進国の人々の3倍ゆたかなわけではない。といったことを、ガーナ人の父親とイギリス人の母親をもつアメリカ在住の哲学者クワメ・アッピアが書いている。

どうにも重い話だが、たとえばこうした話題を「語学」の授業でとりあげないかぎり、理工系の学生のほとんどは、意識することすらなく大学を卒業してゆくわけだ。そう考えると、語学は必要だ。それは語学のためだけではない。「世界」に対する「われわれ」の想像を変えるためには、英語もその他の外国語も総動員して、1年生のクラスでも、2年生のクラスでも、粘り強くことに当たるべきなのだ。資格試験のためのドリルなんかに大切な時間を遣っているときじゃない。

ということを再確認しつつ、この授業では、今年最後のクラスとなった。みんな、よいお年を。あとは木曜日の「フランス語1年」×2、そして金曜日の「英語コミュニケーション1年」と「英語リーディング1年」。

Wednesday, 19 December 2007

速報! 3月5日のイベント

2008年3月5日、秋葉原のダイビルでは「アキバテクノクラブ レヴュー&プロモーション2008」というイベントが行われます。メイン会場は2Fのコンベンションホール。

われわれ「新領域創造専攻」も、これと連動するかたちで6Fの明治大学サテライトキャンパスを会場として、終日いくつかの企画を用意しようと思います。詳細は年明け早々に発表の見込み。

ダイビルには東大、筑波大、はこだて未来大学をはじめ、いくつもの大学や研究機関が入っています。そうしたあちこちの細胞との連結を作り出すことも大きな目的です。

ご期待ください!

Monday, 17 December 2007

「美術手帖」2008年1月号

ついに「2008」という数字を記すときが来た。こわいなあ。でもその恐怖の中、きょう発売の「美術手帖」2008年1月号の表3に、われわれ「新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系」の広告が出ました!

今回も宮下芳明さんのデザイン、すっきりしている。「アート、映像、デザイン、ゲーム、音楽といったコンテンツの制作・編集・批評」を志すみんな、ぜひ来春は明治大学秋葉原サテライトキャンパスで会いましょう!

Sunday, 16 December 2007

オリシャのリズム

明治大学リバティーアカデミーのオープン講座『偉大なるアフリカ=ブラジルの精神文化、オリシャ信仰と音楽』を見に、聴きにゆく。

地理学者の江波戸昭先生がずっとコーディネートしている「世界の民族音楽を聴く」シリーズの枠。今回はパーカッショニストの翁長巳酉さんと彼女のグループ。翁長さんとひさびさに再会し、大変に楽しいひとときとなった。

彼女は80年代、伝説のグループ「じゃがたら」にも参加していたミュージシャン。リズム道を追ううちに、ブラジルの宗教儀礼音楽をめぐる旅がはじまり、カンドンブレ(アフリカ系の信仰)やウンバンダ(こちらは完全にブラジル起源)のテヘイロ(祈りの場)をめぐり、歌とリズムを学んできた。リオにはじまり、バイーアへ、さらにペルナンブコやマラニャンゥへ。田舎へ行けば行くほどアフリカが強烈に残存し、無限に新しい発見がつづく。

なんだかんだで10数年ブラジルに滞在し、いまもしょっちゅう出かけては音と律動と人々の祈りを体験している、すごいつわもの。文化人類学者だって、ここまで徹底的な調査を持続的にしている人は、絶対にいない。

たとえばマラニャンゥ州では、「コドー」の村に住んだ。もともとの奴隷村。といってもブラジルの奴隷たちは、ここに住み、ここから出勤し、帰宅すればそれなりの自由があったというのだから、奴隷といってもカリブ海なんかとはかなりニュアンスが違うのかもしれない。そのコドーはいまも残り、それぞれに独自の伝統を維持している。

おもしろい映像、お話、そして実際の演奏、踊り。友人たちと堪能することができた。

巳酉さんの意見で印象に残ったのは、次のこと。かれらは踊っているうちにトランスに入るけど、どれだけ入っても「自分が神にならない」。これがいろんな現代カルトとまったくちがうところで、自分が全権を握ることが最大のポイントとなるような教団とは、まったく正反対のベクトルをもつ。目指しているのは敬虔さであり、コミュニティ運営の知恵なのだ。

巳酉さんは、ぜひまたいつか明治に別のかたちでお呼びしたいと思う。彼女の活動についての告知は、これからここにも随時掲載します。(さしあたっては明日12月16日20時から西荻のアパレシーダ(03−3335−5455)でウンバンダとカンドンブレの儀式の記録ビデオの上映会があるそうです。)

終了後、たまたま来ていた友人たちとランチョンにゆき、談笑。24歳(カワチくん)から49歳(ぼく)まで、8人で死ぬほど笑った。迫るいくつものしめきりを、このときばかりは忘れて。それもこれもブラジルの、アフリカの力の一部なのだ。

Thursday, 13 December 2007

『燃えるスカートの少女』文庫版完成!

カリフォルニアのユダヤ系女性作家エイミー・ベンダーの最初の短編集『燃えるスカートの少女』(日本語訳、2003年)が角川文庫に入りました! 本日、見本が完成。22日発売です。

http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200608000276

オビはよしもとばななさん、解説は堀江敏幸さんという、考えられない豪華な顔ぶれ。お二人には、ただただ感謝あるのみです。

文庫化に当たって、訳文を全面的に見直しました。たぶん、すでに読んでいただいた方にも、まったく新しい作品として読めるのではないかと思います。

ぜひ、生まれ変わった『燃えスカ』をよろしく!

Wednesday, 12 December 2007

昭和30年代の東京、あるいはそれ以前

友人の音楽評論家・小沼純一さんがこのあいだベトナムにゆき、ハノイの街が「まるで昭和30年代の東京みたいだった」といっていた。ぼくはそのころの東京を知らないが、名古屋は知っている。名古屋はそのころ東西に市電が貫いて走っていて、うちからは東山動物園まで市街地横断旅行を楽しめた。たぶんずいぶん時間がかかったんだと思うが、そして料金もまったく覚えていないが、「市電」ほどのんびり楽しく優美な乗り物はないといまでも思う。都心からは自動車をしめだし、ただで乗り放題の市電を主要交通機関としてほしいものだ。

昨夜は『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン』(アーカイブス出版)という本を見ていた。昭和20年代、敗戦後の日本のカラー写真は全般的に妙に明るい。銀座4丁目や、宮益坂/明治通りの交差点は、たしかにひどく変わっているものの、面影がある。大きなちがいはアメリカ兵とMP(軍警察)の存在か。

それでもこの風景からさほど隔たっていない時に、ぼくらは生まれたわけだ。都市が姿を変えるのはあたりまえだが、土地の所有権をもつ者が変わらないかぎり、変わらない部分が点在する(この写真集でいえば新宿。中村屋はいまのままの位置、ただし隣の古書店「大東京書房」はいまはあとかたもない)。

これから半世紀経った、2057年の東京はどうなっているのだろう? 願わくばその多くの部分が森に還り、現在の数倍の種類の鳥たちが住む都市となってほしい。鳥の種類の多さが、土地の森林の濃さや多様性の端的な指標なので。そのために「土地をあきらめる」人たちが、これから少しずつでも出てこないものかと思う。

Tuesday, 11 December 2007

「打ち上げ」とは?

何か、一仕事片付いたとき、それを祝って集まることを「打ち上げ」といいながら、その元来の意味を知らない。もともとどんな業界の、どんな場合に使われてきた呼び名なのか。

思ったのは、英語のlaunchingのこと。たとえばbook launching といえば本の出版記念イベント、ふつう朗読会やサイン会が一緒になっている。launching 自体はロケットの「打ち上げ」のことでもあり、この「送り出す」儀式という意味はどうも日本語の「打ち上げ」の意味に近いような気がする。

手がかりを求めてネットを検索したら、ぜんぜん関係ないこんな画像にぶつかった。

http://www.seihin.com/s/2007/02/26_2327.php

なるほど、たしかにこれも「打ち上げ」。発明者はデヴィッド・レターマンのショーにまで出ている。

こうして連想の糸が、またひとつ人類の愚行を教えてくれたのだった! どうも最近はこうして無意味の森をさまようことが多くなってきた。そのせいで生きる時間をむだにしないようにしなくちゃ、と自戒。

Sunday, 9 December 2007

アフリカのポップカルチャー(一橋大学)

ひさびさに国立へ。一橋大学でのアフリカ文化研究会を見物に行く。

第1部は大学院博士課程の3人の発表。

まず岩崎明子さんが、三重県のマコンデ美術館にある来館者の感想ノートの分析。これがアフリカだ、本物だ、とさしだされるモノに対して日本人が見せる反応の奇怪さが興味深い。スゴイものをまのあたりにして胸の高まりに耐えきれなくなると、つい意味不明なイラストを描いてしまったり。そもそも、なんで三重県にマコンデ彫刻の専門美術館ができたんだろう? これはいちど行ってみなくちゃ。

つづいて小川さやかさんがタンザニアのスワヒリ語ラップ(+いろんなジャンルの融合)である「ボンゴ・フレーバ」を概説。ボンゴとは「脳みそ」のことらしい。ということは「脳みそ風味」か。ストリート音楽だが、路上商人(マチンガ)たちの意識のキーワードである「ウジャンジャ」がおもしろい。スワヒリ語で「かしこさ、ずるがしこさ、狡猾さ」を意味するのだそうだ。生活感覚、問題解決、いろんな場面でのとっさの判断のバランスのよさ。わからないことをわからないままにしたり、都合をつけあったり、許しあったり。じつは相当な普遍性のある知恵なのではないかと思った。

最後に古川優貴さんの大変におもしろい発表。ケニアの聾学校に住みこんで調査を続けてきた彼女がYouTubeその他から拾ってきた映像を編集した12分の作品をまず見て、それからその背景の解説。歩くこと、人々の動きのシンクロの秘訣としての呼吸、手話とその反転。結論にはむすびつかないが、なんとも興味深い。思考がでこぼこしている感じ。

休憩を挟んで後半は、最高の顔ぶれ。まず、アフリカのストリート音楽の研究で知られる鈴木裕之さんがワールドミュージックの展開をまとめて話してくれて、90年代前半、じつは東京にはすごくいろいろなアフリカのミュージシャンが来ていたことを知る。重要な働きをした組織のひとつがカンバセーション(まえにディジタルコンテンツ学研究会のゲストとして来ていただいた前田圭蔵さんの会社)。ぼくはそのころずっと日本にいなかったので、何の動きも記憶にないのは当然だった。

ついでわれらがレゲエ博士、鈴木慎一郎さんの登場。聞かせてくれた焼津のレゲエ歌手パパユージがおもしろかった。今年、「焼津魚市BASH2007」というイベントがあったそうだ。

http://www.uoichibash.com/

焼津旧港のかまぼこ型の建物の保存を訴えていたのだが、その願いもむなしく、建物はすでに解体されたという。レゲエと「郷土愛」というテーマの存在を教えられた。

それから岡崎彰さん。最近は土日はずっとYouTubeでfield trip(調査旅行)をしているそうで、アフリカ音楽だけでもものすごい数の映像=音がアップされては消えてゆくらしい。そしてひとりのミュージシャンのスタイルの変遷まで、場合によっては追えるそうだ。ディジタル人類学はもはや夢想ではなく実用・実践の段階に入っていて、ふつうなら見られない聞けないものが、ごろごろと畑のじゃがいものように埋もれて転がっていることを再確認。

もちろん、十分じゃない。もちろん、ただのイメージと音でしかない。でもそれが見せてくれるものの意外さとゆたかさは、相当いろんなことを教えてくれる。

とっぷり暮れて、岡崎さんのお話が終わらないうちに失礼したら、外は雨。遠いアフリカ(どこの?)を思いつつ、濡れて帰ったら風邪を引いた。

Saturday, 8 December 2007

「読んで生き、書いて死ぬ。」(高山宏)

これは「学魔」高山宏さんが紀伊國屋書店のサイトで連載しているウェブ書評のタイトル。現代日本の孤高最大の英文学者が発するこのひとことに、戦慄せずにいられる人はしあわせだ。「読んで生き、書いて死ぬ。」彼の覚悟に比べたら、われわれは誰も何も読んでいない。

そのコーナーで高山さんが『秘密の動物誌』(ちくま学芸文庫)について、鋭利かつゆったりとしたひろがりのある書評エッセーを書いてくださったのを、友人が教えてくれた。これはほんとうにうれしい!もちろん、それは二人のカタロニア人原著者の栄光なのだが、翻訳者という名の代書人だったぼくとしても、それなりに非常にうれしい。これで、「豆本」的体裁の文庫本として生まれ変わった本書が救われた。

高山さんは原著者二人の「制作ノート」のためだけにでも、この本は買う価値があるとおっしゃっている。かといって、みんな、そこだけ立ち読みですまさないでくれよ。ひとつひとつの写真のバチバチと火花が散るほどのおもしろさは、それでは味わえない。ぜひ机の上に一冊、並行世界への扉として、この際そろえておこう。

『秘密の動物誌』につづいて、高山さんの書評はすでに田中純さんの出たばかりの『都市の詩学』(東京大学出版会)も取り上げていた。これは畏怖すべき書物で、ぼくにとってはクリスマスの宿題、熟読しなくちゃ。ぼくもせめて「少しだけ読んで生き、少しだけ書いて死ぬ」気持ちを持ち続けようと思う。

紀伊國屋書店のこの「書評空間」、充実している。旅と文章の達人・大竹昭子さんも書いている。在野の哲学者として充実した仕事を重ねてきた中山元氏も書いている。印刷媒体とちがって長さの制限にしばられないのがいい。ぼくも十年前、「カフェ・クレオール」でやっていた「コヨーテ歩き読み」のようなウェブ書評を、そろそろ復活させようか。

Thursday, 6 December 2007

冬の音楽祭(洗足学園音楽大学)

作曲家の宮木朝子さんから、以下のお知らせをいただきました。音楽と映像のむすびつきに関心のあるみんな、土曜日にはぜひ出かけてみてください。洗足学園は生田からも遠くないし。きっといろんな着想が得られると思います。

(以下、引用)

現在、川崎・溝ノ口の洗足学園音楽大学にて、冬の音楽祭という恒例のイヴェントが開かれております。今週末、8日(土)の午後から夜にかけて、所属の音楽・音響デザインコースで担当しております「音楽音響空間創作ゼミ」のイヴェントが学内スペースでひらかれます。

武蔵野美術大学映像学科のクリストフ・シャルル、三浦均両氏をお迎えし、ご担当の映像学科ゼミ生の映像と8スピーカーのリアルタイムコントロール音響空間で音と映像のコラボレーションイヴェントを行います。

音大、美大の学生の交流の目的もあり、学生主導のプロデュース、作品となります。

ご多忙のところ間際のご案内で恐縮ですが、ご都合よろしければぜひご来場いただき、ご高評いただければ幸いです。入場は無料となっております。(期間中、学内数カ所にて様々なコンサートもひらかれております。)

下記のページに情報がございます。

http://ssc.o-oku.jp/1208.html

Wednesday, 5 December 2007

FIGARO Japon(12/20)

本日発売の「フィガロ・ジャポン」12月20日号は「目覚めよ、私! フィガロの読書案内」と題した恒例の読書特集。ぼくはアメリカの小説家エイミー・ベンダーへのインタビュー(pp.44-45)と「フィガロ読書倶楽部」に推薦本3冊の紹介文(p.53)を寄稿しました。

推薦本はガイジンのニッポン滞在記で、以下のとおり。

イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社)
ポール・クローデル『天皇国見聞記』(新人物往来社)
ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』(みすず書房)

ぼくが訳したエイミー・ベンダーの短編集『燃えるスカートの少女』は今月22日に角川文庫版が発売されます。また第2短編集『わがままなやつら』も来年早々、やはり角川書店から刊行です。

今年のクリスマスには『燃えスカ』を読もう、贈ろう! 

Tuesday, 4 December 2007

シンポジウムは成功!

2日の日曜日はまずまずおだやかな一日で、朝からお茶の水へ。「新領域創造専攻」のシンポジウムが午前と午後の2部構成で行われた。

午前の「安全学系」は、現代社会生活におけるいろいろな安全への配慮をめぐって、多岐にわたる興味深い議論がていねいになされた。ついで午後がわれわれの「ディジタルコンテンツ系」で、この分野の未来、「次の一手」を占う、という大きな目標を掲げた。ぼくは午前、午後とも、あいまにアナウンス役で舞台の裾に立ったのみ。DC系の構想は、みずからアーティストでもある宮下芳明さんのヴィジョンに、すべておまかせ。

まず、メディアアーティスト岩井俊雄さんの新楽器TENORI-ON。パンチカードのようなものを入れる手回しオルゴールを逆回転させることから思いついたという、開発にいたる長い歴史がテンポよく語られ、ぐんぐん引きつけられる。たとえばシンセサイザーができたとき、インターフェースとして採用されたのはむかしながらの「鍵盤」だった。20世紀のさまざまな新たな楽器で、インターフェースの問題を根本的に問い直したのはテルミンしかない。そしてこのテノリオン。そう解説されると、なるほど! と大きくうなずく。先行発売されたロンドンではすでにいろんなミュージシャンが使いはじめ、ビョークは5台も購入したらしい。まちがいなく来年はテノリオンの年だ。

岩井さんと、共同で開発にあたったヤマハの西堀さんによる、テノリオン2台の演奏に息を飲んだ。これ、欲しい。日本での発売が待ち遠しくてならない。(http://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/)

休憩後、シンポジウム。「初音ミク」の企画者、今回のゲストでいちばん若い佐々木渉さんの話に、「初音ミク」がお目当てで来た学生たちは大満足。ついで書道家の武田双雲さんは、でっかくて元気で、そこにいるだけでポジティヴなエネルギーを発散している。デジタルステージの平野友康さんは、ディジタル技術の時代ならではの新たな企業文化や人間関係をこの上なく真剣に模索しているし、ゲーム・プロデューサーの水口哲也さんの宇宙論的な発想と魅力的な話しぶりには、みんな大きな感銘を受けていた。

終了後、しばらく談笑。会場の時間切れで話し足りなかった分を、またいつかパート2としてやろうとのこと。ぜひ企画してみたい。みんな若い、熱い、真剣だ、そして心の気前がいい。発想をどんどん話し、互いにそれを受け取り、またそれぞれの場所に帰ってゆく。新しいかたちの意識の共有、そして共同作業の可能性に、ディジタル技術は大きな地平を開いてくれる。少なくともそのことだけは、強く確信させてくれる一日だった。

アカデミーホールに集まってくれたみなさん、ありがとうございました! 

Saturday, 1 December 2007

未踏領域=明治

けさ(11月30日)の朝日新聞を見た人は、社会面下の方に紙面を横断する帯のように入った広告に驚いたと思う。「シルヴィー・バルタン」や「フジコ・ヘミング」のコンサート広告、そして造幣局の「ニュージーランド銀貨幣」の広告などと並んで、明治のシンポジウム、つまりわれわれ「新領域創造専攻」のシンポジウム広告が掲載されている。

コピーは「未踏領域に切り込むのは、明治だ。」

これはわが若き同僚、宮下芳明さんの作。コピーからデザインまで、彼の率直で力強いセンスがはっきり表れている。

いよいよ明後日の日曜日だ。ゲストのみなさんも、万全の準備をもって臨んでくださることは確実。思いがけない、誰も見たことのなかった映像を見られるかもしれない、誰も聞いたことのなかった音を聞けるかもしれない。

ぜひお茶の水で途中下車してでも、明治大学アカデミーホールを覗いてみてください。