2009年5月31日日曜日

Needle in the Hay

メリッサを聴いたことがない人に、まず手頃なお勧めはYouTubeで見られる/聴ける、以下の曲。

http://www.youtube.com/watch?v=-bgtlP_16b0

エリオット・スミスのカヴァーですが、はっきり、オリジナルを超えてると思います。(スミス自身のもYouTubeで見られます。)

相棒のベーシストがなぜか写真家のトヨダヒトシくんに似ているのもおもしろい。

敷田奈々江の36冊

外部ゼミ生・敷田さんからのリストです。彼女は外部ゼミ生の中では、星埜さんと並んで最年少、20歳。落ち着いた読書家で、今後の展開がとても楽しみです。内部ゼミ生のみんなも、そろそろまとめを視野に入れて作業を進めてください。

いよいよ5月も終わりですね。みんな、のんびりがんばりましょう!


1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

レイナルド・アレナス『夜になるまえに』(安藤哲行訳、国書刊行会、1997)
ジョージ・マクドナルド『金の鍵』(脇明子訳、岩波書店、1996)
イタロ・カルヴィーノ『むずかしい愛』(和田忠彦訳、岩波書店、1995)
管啓次郎『コロンブスの犬』(弘文堂、1989)
中村うさぎ『私という病』(新潮社、2008)
田房永子『むだにびっくり』(自主製本、2008)
チャールズ・ブコウスキー『ブコウスキーの酔いどれ紀行』(中川五郎訳、河出書房新社、2003)
遙洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房、2000)
なだいなだ『TN君の伝記』(福音館書店、1976)
クリストファー・ライス『ぼくたちの終わらない夏』(鈴木玲子訳、角川書店、2001)
エイダン・チェンバーズ『おれの墓で踊れ』(浅羽蓉子訳、徳間書店、1997)
Philip B. Kunhardt Jr, The Joy of LIFE, The Time inc. Magazine Company, 1989


2.自分が専門とよびたい分野の12冊(物語と、物語るということ)

レオポルド・ショヴォー『年をとったワニの話』(出口裕弘訳、福音館書店、1986)
W.B.イエイツ『ケルトの薄明』(井村君江訳、筑摩書房、1993)
ジョージ・マクドナルド『ファンタステス』(蜂谷昭雄訳、筑摩書房、1999)
中勘助『銀の匙』(岩波書店、1935)
スタッズ・ターケル『死について!』(金原瑞人・野沢佳織・築地誠子訳、原書房、2003
柳田国男『遠野物語』角川学芸出版、1955)
ロード・ダンセイニ『世界の涯の物語』(中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳、河出書房新社、2004)
ローラ・インガルス・ワイルダー『大きな森の小さな家』(渡辺南都子、講談社、1982)
デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(金子宣子訳、新潮社、2002)
A.レノーシス『マヤ神話 ポポル・ヴフ』(林家永吉訳、中央公論社、2001)
ボウマン、ビアンコ『かぎのない箱』(瀬田貞二訳、岩波書店、1963)
ジャンニ・ロダーリ『ファンタジーの文法』(窪田富男訳、筑摩書房、1990)


3.現代性を主題とする12冊

イアン・コンドリー『日本のヒップ・ホップ』(上野俊哉監修、田中東子・山本敦久訳、NTT出版、2009)
松井昭彦『市場の中の女の子』(PHP研究所、2004)
近田春夫『考えるヒット(5)大きくふたつに分けるとすれば』(文藝春秋社、2002)
坂口尚『version』(講談社、2001)
本橋信宏『依存したがる人々』(筑摩書房、2001)
鷲田清一『てつがくを着て、まちを歩こう』(筑摩書房、2006)
金原ひとみ『AMEBIC』(集英社、2005)
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008)
オルテガ『大衆の反逆』(桑名一博訳、白水社、2009)
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード』(幾島幸子訳、NHK出版、2005)
廣瀬純『闘争のアサンブレア』(月曜社、2009)
30 Years in pictures 1960-1990, The Time Inc. Magazine Company, 1990

2009年5月30日土曜日

メリッサ、すごい!

原宿のラフォーレでメリッサ・ラヴォーのコンサート。最高、最高、最高。終止、スタンディング・オヴェーションしつづけたいくらい。これまでに聴いた/見た女性歌手のステージで、優に5本、いや3本の指に入るかも(仮に3本とするならジョニ・ミッチェルとシンディ・ローパー。5人とするなら、これにナラ・レオンと大貫妙子が加わる。でもこれはいま思いついただけ)。

しかもそれが彼女自身の歌とギターと、ベースの男の二人だけ。ここまでシンプルにやって、ここまでやれるとは。明日もやります。絶対に行くべき、行ける人は!

メリッサにつづいたのはカヒミ・カリィ。大友良英、ジム・オルーク、山本精一という非凡なギタリスト3人がバックを担当しているのに、どうにも退屈。せめて山本さんに20分くらい自由に弾きまくってほしかった。

そしてこの夜のトリが、モリアーティ。ぜんぜん知らないバンドだったが、かれらも、やるやる。曲のドラマティックな展開、危なげのない演奏、演出も見ていて楽しい。見ながら、なんかカレクシコに近いかなあ、と思っていたら、やはり発売元もそれを感じていたようだ。ともあれ、CDを買って帰った。

終演後はサイン会。大部分の人がモリアーティに並んでいるのに対して、清岡さんとぼくは、もちろんメリッサを待つ。すぐに登場した、学級委員みたいな眼鏡姿の彼女を、二人きりの拍手と歓声で迎えた。ノートにサインをもらいながら、彼女が小説を書いたらぼくが日本語に訳すから、と約束。すごく乗り気みたいなので、これは案外、近いうちに実現するかも。そうなったら楽しいだろうなあ。

メリッサ、ほんとにいい。声がいい。ギターがいい。歌詞がいい(わからないところも多いが)。アルバムほぼ1枚分をやってくれたので、大満足だった。そして気持ちは、またもやハイチに傾く。

中村隆之の36冊

はるばるカリブ海の島マルチニックから、外部ゼミ生・中村隆之くんのリストが届きました。はるばる、といっても、一瞬で届くのが不思議。

すでに東京外国語大学で博士号を取得し、いまはフランス語圏カリブ海文学・文化の研究のために島暮らしをしている中村くん、さすがに筋の通った選択ぶりです。

滞在の充実を祈りつつ、ありがとう! 

1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

東松照明『長崎曼荼羅』(長崎新聞新書、2005年)
桐山襲『都市叙景断章』(河出書房新社、1989年)
吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(角川ソフィア文庫、2001年)
深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫、1987年)
李良枝『李良枝全集』(講談社、1993年)
荒川洋治『詩とことば』(岩波書店、2004年)
川満信一『沖縄——自立と共生の思想』(海風社、1987年)
エドゥアール・グリッサン『〈関係〉の詩学』(管啓次郎訳、インスクリプト、2000年)
ジェルジ・ルカーチ『歴史小説論』(伊藤成彦訳、白水社、1986年)
ジョージ・トムソン『詩とマルキシズム』(小笠原豊樹訳、れんが書房、1972年)
ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』(山田登世子訳、国文社、1987年)
ウンベルト・エーコほか『エーコの読みと深読み』(柳谷啓子・具島靖訳、岩波書店、1993年)


2.自分が専門と呼びたい分野の12冊(クレオール文学/文化論)

田中克彦『クレオール語と日本語』(岩波書店、1999年)
今福龍太『クレオール主義』(ちくま学芸文庫、2003年)
野家啓一『物語の哲学』(岩波現代文庫、2005年)
ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(篠田一士訳、集英社文庫、1978年)
サン=ジョン・ペルス『サン=ジョン・ペルス詩集』(多田智満子訳、思潮社、1975年)
ジャメイカ・キンケイド『小さな場所』(旦敬介訳、平凡社、1997年)
ヴィクトル・セガレン『〈エグゾティスム〉に関する詩論/覊旅』(木下誠訳、現代企画室、1995年)
エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』(砂野幸稔訳、平凡社ライブラリー、2004年)
フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(海老坂武・加藤晴久訳、みすず書房、1970年)
P.シャモワゾー/R.コンフィアン『クレオールとは何か』(西谷修訳、平凡社ライブラリー、2004年)
ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』(上野俊哉ほか訳、月曜社、2006年)
Edouard Glissant, Le discours antillais, Seuil, 1981


3.「現代性」を主題とする12冊

藤田省三『全体主義の時代経験』(みすず書房、1997年)
西谷修『世界史の臨界』(岩波書店、2000年)
川田順造『口頭伝承論』(平凡社ライブラリー、2001年)
上村忠男『韓国の若い友への手紙』(岩波書店、2006年)
森崎和江『異族の原基』(大和書房、1977年)
荒このみ編・訳『アメリカの黒人演説集』(岩波文庫、2008年)
スティーヴン・グリーンブラット『驚異と占有』(荒木正純訳、みすず書房、1994年)
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』(野谷啓二訳、洛北出版、2006年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『ヨーロッパ的普遍主義』(山下範久訳、2008年)
ヴァルター・ベンヤミン『図説写真小史』(久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1998年)
エーリッヒ・アウエルバッハ『ミメーシス』(篠田一士・川村二郎訳、ちくま学芸文庫、1994年)
デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)

2009年5月29日金曜日

機械の回復について

機械が疲労とか調子の悪さから、一定の休養期間を経てみずから回復する例を、最近つづけて体験した。

(1)研究室のシュレッダー。古い書類を大量に処分しているうち、つい面倒になって多すぎる枚数を食べさせてみたら、あえぎあえぎ回転していた苦闘の果てにモーターが止まり、それ以上、スイッチも入らなくなってしまった。とりかえしのつかないことをした、と、打球でガラスを割ったような気分。どうやってもうんともすんともいわない。

ところが、不具合のまま2、3日放置したあと、これはもう捨てるしかないかなと諦めつつもう一度だけ紙を食わせてみると、みごとに復活! なぜか完全に正常な作動を取り戻している。何があったのかはわからない。

(2)5か月ほど前、ラップトップのディスクドライブが壊れて、DVDが取り出せなくなった。イジェクトをどう試みても、ツー、ガシャガシャとからまわり的な音がするだけで、ディスクは出てこない。その状態がしばらくつづき、『シティ・オヴ・ゴッド』以外何も見られないという事態がつづいた。緊急な仕事がたくさん入っているので、修理にも出せない。あきらめきっていたところに昨夜、数ヶ月ぶりにディスクのイジェクトを指示してみると、あいかわらずの雑音の後、ちゃんとディスクが顔を出してくれた! 

こちらも何があったのかはわからない。でも機械にも回復、自己修復があるんだなあと痛感。時を費やせば、つまりは待てば、それだけで直ることもある。すばらしい希望。

機械に生命がないなんて誰にいえるだろう?

「風の旅人」37号

37号発売。エドワード・カーティスのアメリカ先住民写真からはじまる、充実の号だ。ぼくは連載「斜線の旅」で、「冬のフランス」と題した一文を寄稿(pp.53-56)。

「風の旅人」はこれまでの隔月刊から、今号より年3回の刊行になる。それでいい、急ぐ必要はぜんぜんないし。<現代>を相対化することにかけて、これくらい気合いの入った雑誌は珍しい。またこの雑誌のおかげでランディさん、前田さん、小栗さんたちと出会うことができたのが、ぼくには大きなよろこび。

そして「風・旅」を毎号丁寧に作っている編集長の佐伯さんが、今号では入魂の写真論「写真の可能性」を執筆(pp.125-151)。写真に少しでも関心をもつ人には、ぜひ読んでほしい。

2009年5月27日水曜日

AALA Journal

アジア系アメリカ文学研究会の「AALA Journal」No.14 (2008)に寄稿しました。

「サローヤンの贈り物」pp.61-65.

昨年9月の年次大会での講演の大幅な短縮版。トシオ・モリの作品と、彼に対するサローヤンの励ましと影響を論じた部分は割愛しました。いつか機会があったら、改めてまとめてみたいと思います。

その先を曲がればアフリカ

ついに完成。中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店、1900円)。ぜひ読んでください。絶対におもしろいから。

発端は一昨年の明治大学リバティアカデミー「世界文化の旅・アフリカ編」。中村さんをコーディネーターとして、講師として参加したのが、くぼたのぞみ、ムンシ・ロジェ、旦敬介、鈴木慎一郎、ぼく。これに筋金入りのアフリカニスト人類学者、小馬徹、岡崎彰のお二人が加わってできあがった。最高に楽しいアフリカン・ディアスポラ文化論集=ガイドブックです。

これでもまだまだ、必要なアフリカ情報の全体に比べたら砂粒ひとつにもならないけれど、ともかく、何かの手がかりにはなるはず。

「最近アフリカを助ける対象と勘違いしている若者が増えているが、アフリカには汲み尽くせない知識・知恵・美学・力があるといつも感じる」(岡崎さんのことば)。まったく同感。

文化においては輸入超過だけが正しい、というのがぼくの持論だ。日本文化を、コンテンツを、アニメを、漫画を、海外にプロモートする? ばかばかしい。ひたすら学ぶのが先決、すべてにおいて。そしてアフリカは100度生まれ変わっても学びつくせない、その一角すら。

とりあえず、毎日学ぼう。毎日踊ろう。

大変な編集作業を担当してくださった岩波書店の古川さん、ごくろうさま、ありがとうございました!

2009年5月25日月曜日

散るアカシヤの大連

大連(だーりえん)から帰ってきたところ。

中山広場を中心に、みごとに整序された市街地を、丸二日、へとへとになるまで歩き回った。いまは驚くべき混沌の大都市。しかしその背後で、いたるところに、東アジアの苛酷な歴史が露呈している。アカシヤの花が散り、公園には人々が集い。強烈な啓示の瞬間があったが、それについてはまだ語れない。

英語でのガイドを務めてくれたのは、19歳の宗超吾くん。こんどは大連から韓国の仁川(いんちょん)までフェリーで渡ってみるか。昨秋の武漢から、半年後、ここ大連へ。北京と上海を、近未来に訪れないわけにはいかなくなってきた。そして大連からは、いずれ長春へ、ハルビンへ、ハイラルへ。しばらくは間歇的な旅を続けたい。

2009年5月20日水曜日

すべてを、惜しみなく

デザイナーのミルキィ・イソベさんをお迎えしてのギャラリー・トークavec 藤部明子。大成功だった。

当初、20人お客さんが集まってくれるかなあ、と心配していたら、ふたを開ければ32名+! ギャラリーはもちろん満員で、ビデオカメラで映像を流した前室で、宇野澤くんとぼくと倉石さんと畠山直哉さん(藤部さんの師匠)と田中友章さん(建築学科の同僚)が寝転がって見る、という爆笑的事態に。

そしてミルキィさんは、すべてを語ってくれた。デザインの秘密、写真の意図、色の選択、ページ上の配置、下すべき判断の、すべてを。またたくまの2時間だった。藤部さんの完全主義的こだわりと目をみはる色彩感覚をうけとめつつ、工夫につぐ工夫をこらし、決断を重ねる。その過程のスリル。語られるそれを、われわれが想像するスリル。

そして写真集というものを最終的に完成させるまでに、あらゆる人たちのあいだで交わされることばの、重みを痛感した。本だって、写真集だって、それはすべて多くの人々の徹底的なコミュニケーションの産物なのだ。

知っていることはなんでも教える、惜しみなく。ぼくも心がけていることだが、ミルキィさんはその100万マイル先を行っている。それにより、技は、閉ざされない、失われない。伝えられる。新たな可能性を開発してゆく。そんな無償の接ぎ木だけが、文化の最大の可能性。

ミルキィさんほど理知的に話せる人は、少ない。いろんな作家や哲学者たちの話をさんざん聞いてきたぼくだが、ミルキィさんのその知力は、ほとんどの思想家・文学者を凌駕している。作り手の迫力にみちている。

いろんな人が集まってくれた。どうもありがとうございました。レセプションの準備を買って出てくれた、大切な同僚の清岡さん、波戸岡さん、ありがとう。おかげで、誰にとっても忘れられない一夕になったことと思います。

こうしてまた誰かが、それぞれの創造へのきっかけを摑むこと。そのため、だけに、大学はある。片山たちもがんばれよ。

図書館スタッフのみなさんも、ありがとうございました! これからも、ぜひいろいろやってゆきましょう。

2009年5月19日火曜日

ファヴェーラ映画

ブラジルの研究者による「ファヴェーラ映画」についての講演があります。以下、引用。

特別講義のお知らせ
講師 ジョアン・ルイス・ヴィエイラ博士
(Prof. Dr. Joao Luiz Vieira、ブラジル・フルミネンセ連邦大学准教授)

ファヴェーラ映画と超民族的<他者>?21世紀のストリート・キッズ
The "Favela Situation" genre and the Transnational Other: Street Kids in the XXI Century.
* 講義・討論は英語、通訳なし(ただし一部日本語解説)。映画の一部参考上映あり。

司会・解説 平野共余子(映画専門大学院大学客員教授・日文研客員准教授)
コメンテーター 野谷文昭(東京大学文学部教授・現代文芸論/ラテンアメリカ文学)
企画責任 沼野充義

日時 2009年5月22日(金)
午後4時30分〜6時
場所 東京大学(本郷キャンパス)文学部3号館7階スラヴ文学演習室
   113?0033 東京都文京区本郷7?3?1
交通 地下鉄丸ノ内線・大江戸線「本郷3丁目」、南北線「東大前」、千代田線「根津」など下車、いずれも徒歩10分。
東大構内案内図 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_05_03_j.html
東大本郷キャンパスへのアクセス http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html

ブラジルを代表する映画研究者・批評家であるヴィエイラ博士による特別講義です。ブラジルの「ファヴェーラ」(貧民街)の状況に焦点を当てた映画を出発点に、現代世界において民族・国境を越えてストリート・キッズを描いた映画の広がりを視野に入れ、比較検討していきます。事前登録不要。直接教室にお越しください。

主催・問い合わせ先: 東京大学人文社会系研究科・文学部現代文芸論研究室 電話 03(5841)7955
共催:科研費研究「グローバル化時代の文化的アイデンティティと新たな世界文学カノンの形成」

講師プロフィール
Prof. Dr. Joao Luiz Vieira
 Prof. Vieira is Associate Professor at the Film and Video Department of Universidade Federal Fluminense, Rio de Janeiro, Brazil where he teaches Film Language and Theory. He is also Chairman of the Graduate Program in Communication of the same university.
 Former director of the Film Department of the Museum of Modern Art in Rio, Dr. Vieira is a film critic, curator and researcher who occasionally teaches and writes about Japanese Cinema in Brazil. He has curated many series devoted to Japanese Cinema in Rio de Janeiro. Dr. Vieira publishes extensively in Brazil and abroad and co-authored D.W.Griffith and the Biograph Company (NY: Scarecrow, 1984), edited Cinema Novo & Beyond (NY: MoMA, 1998) and wrote Camera-faca: o cinema de Sergio Bianchi (Portugal, 2004).


ぜひ行きたいところですが、あいにく都合があわず。誰か行って、話を聞かせてください!

政治大学との交流

月曜日。先週の広島につづいて、名古屋のラボ教育センターで講演。小中高生に英語を教えている先生たちばかりの集まりなので、さすがに言語・文化関係の話題を熱心に聞いてくださって、とてもやりやすい。学校とは別の角度から、ティーンエイジャーたちとつきあう現場のある方たちだ。質疑応答も活発。

場所は名古屋の丸善ビル。中学・高校と、ぼくにとっては通学路だった。中学に入ったころ『萩原朔太郎詩集』を買って衝撃をうけたのも、英語の本を初めて自分で買ったのも、確実にここ。そろそろ老朽化が進み、改築されるとか。むりもない、ぼくが高校を出てから32年経っているのだから! 屋上でロック・コンサートをやったりもした。いろいろ思い出のある建物だ。

終了後、ただちに東京に戻り、アキバへ。台湾の政治大学ラジオ・テレビ学科の先生たちの視察団をお迎えした。まず倉石研究室の修士1年の4人の作品発表と解説。どれもいろいろ工夫があって、おもしろい。「なんとなくやってみました〜」ではなく、コンセプトをはっきり打ち出しているところがいい。それから猿楽町に移って、宮下さんによる施設の説明やポスター展示。

夜の食事会では、特別参加してくれた同僚の林ひふみさんの完璧な中国語(いわれなければ日本人だとは誰も思わない、と中国側の先生たち)と東京娘のホスピタリティの真髄に、感動。また、思いがけず野崎歓さんが来てくれたのにも、びっくり。政治大学の映画研究の先生の友人なのだった。なんと狭いことであるか世界は。

政治大学との交流はこれから本格化してゆく。ぜひ学生たちが作品を台湾で発表したり、共同でワークショップをしたり、できるようにしたい。みんな、やる気はじゅうぶん。おもしろくなってきた!

2009年5月17日日曜日

「英語の勉強」書簡

 Mへの手紙。よく決意したね! 元サーファーガールのきみが英語を限りなくゼロに近いところからやり直してみたいというのを聞いて、それなら、とぼくは毎週30分だけ、きみときみのともだちのために、タダで英語のレッスンをすることにした。来週からはじめる。

 これは職場でぼくがぶつかっている問題にも、直接関わってくる。大学に入ったものの、英語に関しては中学校のレベルの知識だって怪しい学生は、事実ずいぶんいるんだ。中には、すっかり英語嫌いになって、意地でも学びたくないという姿勢を見せるヤツも。

 まあ、やりたくないことをやらされて身に付くはずはないし、いまの日本の大学入試で「英語」が単なる選別の道具になっていることは否定できない。でも、だからといって英語の勉強をしないのももったいない。

 就職に有利とか、昇進に役立つとか、そんなことはさしあたってはどうでもいい。ことばの勉強は、ただそれ自体おもしろいし、やればやるほどどんどん身についてくる。こんなにはっきり上達というか進歩というか知識の増大がわかるジャンルの活動は、あまりない。そしてやればやるほど、世界が広がる。新しい風景が見えてくる。別に何語でもいいけど、とりあえず、英語。それでいいじゃないか。やってみよう。海でも街でも旅でも使えることばを、覚えてみよう。

 この機会にぼくも、英語(再)学習のための最短の道を考えてみることにするよ。

 じつはその道は、もう見えている。次のふたつのことばを忘れないでほしい。

(1)ことばの勉強はoh yeah? じゃダメ。
(2)急いで身につけたことは、すぐ忘れてしまう。

 ひとつめは28年前、アラバマの小さな大学で、ドイツ語初級の先生ピーター・ハワードがいったことば。なぜかよく覚えている。つまりことばの勉強は、説明を聞いて「あ、そうなの?」ではダメということ。実際に「ことばそのもの」を覚えるしかない。その石ころを丁寧に積んでいくしかない。職人になりなさい。

 ふたつめは友人のスラブ語学者・黒田龍之助さんがいってたこと(言い方はちがうかも)。つまり短期間でガッとむりやり覚えたことは、ちょっと離れるとすぐまた忘れてしまうということだ。やっぱりじわじわ、毎日、体で(目で声で)覚えていくしかない。覚えて、瞬時に、反応できるようにしなくてはいけない。スポーツ選手になりなさい。

 中学校程度の英語なら、はっきりいって、短い文を600くらい覚えれば、どうにでもなる。1500覚えれば、高校卒業レベルまでが、勝利に終わる。ただしここでいう「覚えた」とはoh yeah? のレベルじゃないよ。瞬時の反応として、日本語と英語のあいだを自由に両方向に動けるようにすること。

 むずかしいことだろうか? ちっとも! これを見てごらん。

dog 犬

 こんな対応関係、一発で覚えられるよね。だったら

I am a dog. 私は犬です。

I like cats. 私は猫が好き。

I like rats better than cats. 私は猫よりネズミが好き。

I like bats better than rats. ぼくはコウモリのほうがネズミより好きだな。

 この程度の長さの文だって、左から右へ、右から左へと、行ったり来たりするのはぜんぜんむずかしくないはずだ。

 勉強法。これから毎日、短い文を覚えてゆく。まず読み方を教えるから、音を覚えてしまおう。10回となえてみる。

 ついで、文字をちゃんと思い浮かべながら、ゆっくり10回となえてみる。

 はい、これだけです。翌日は、前日覚えたものの復習を必ずやって、新しい文にむかう。1日に6つの文を覚えれば、100日で600、中学校終了。ただし、自分にきびしく! あやふやな覚え方ではoh yeah? になってしまうからな。確実に、正確なかたちを覚える。

 そうすれば3か月後には、結構いろいろ読んで見当がつけられるし、話だってできるようになっているはず。テニスの壁打ちみたいに、毎日やること。

 勉強法については、また書くけど、今夜はこのへんにしておくよ。目標は、クリスマスまでにエイミー・ベンダーの短篇をひとつ暗唱すること。気持ちをこめて、暗唱できるようにすること。それをいちおうの完成とみなす。声を使えるようにすること、注意を払いつつ。まるで俳優みたいに。

 用意するもの。
 いつも持ち歩ける、ポケット版の辞書1冊。辞書だけは、ヒマがあったら読むようにする。
 自分がほんとに好きな英語の歌を12曲。ぜんぶ、英語で歌えるようにする(意味がわからなくても)。
 自分がほんとに好きな映画を1本。24回くらいくりかえして見て、音や間合いに慣れるようにする。

 このあたりのことも、おいおい話すよ。

 では、がんばろう! 忘れてはいけない。これは実験だ! そして生きることの大部分はなんらかの実験であるときもっともおもしろいのだから、この英語再入門は絶対におもしろくなる。それでは、パドリングをはじめようか。
 

2009年5月16日土曜日

Melissa & Jake & Cyndi

このところよく聴くのが、清岡さんに教えてもらったMélissa Laveauxという女性シンガー・ソングライター。フランス語、英語、クレオル語の3言語で歌われるアルバム、最高。

彼女はモンレアル(モントリオール)生まれのハイチ系。むかし一時期、ロスアンジェルス出身のハイチ系の女性ベーシスト&シンガー、テリ・モイーズをひいきにしてフランス語の授業で使っていたけれど、それ以来の、いい感じ。

去年のコンチャ・ブブカ(これは東北旅行のときパコに聴かせてもらった)もそうだけど、いい歌手って、やっぱり次々に出てくるもんだ。

そのメリッサ・ラヴォーの来日コンサートが、いよいよ5月30日、31日。なんと山本精一ほかとの共演! これは楽しみ。

そういえば2、3日前、ただウクレレだけの伴奏に乗せてザ・ビートルズの「アクロス・ザ・ユニヴァース」を女の歌手がうたっているのが、街で聞こえてきた。すごくいい。誰なのかな、と思ったら、ウクレレはジェイク・シマブクロ、歌はシンディ・ローパー。すごい顔合わせ。これに類することを、文学の世界ではできないものかな。誰かの本歌を、二人の共作で、再演する? それほどおもしろい結果にはならないか。

ともあれ、ふたりの出会いは、ここに書かれていた。

http://www.jambase.com/Articles/12854/Jake-Shimabukuro-%7C-02.06-%7C-Oregon

シンディがハワイでのコンサートに際して、ジェイクを招いた。シンディはダルシマーで、ジェイクはもちろんウクレレで、あの名曲「タイム・アフター・タイム」をやった。これを知ったとき、ちょっとぞっとした。

というのもぼくがこれまでに行ったもっともすごいコンサートのひとつはハワイの野外ステージ、ワイキキ・シェルでのマイルズ・デイヴィス(1988年)で、このときマイルズは(一部の隙もないおしゃれをして)このシンディ・ローパーのヒット曲を、異様な情感をもって、ソロでやったから。満員のお客さんが、水を打ったようにしずまり、終わると嵐のような拍手。マイルズ自身、汗と涙を拭っていた。

そんな話も、たぶんシンディ自身、伝え聞いていたにちがいない。その記憶が背後にあって、この曲とハワイがむすびついたと考えるのは、まったくむりじゃない。

こうして不思議なむすびつきがどんどん発展してゆくのが、ポップ・ミュージックの歴史。生物の進化におけるウイルスの平行移動にも似て。おもしろいことだ。

河内卓の36冊(as of 16 May 2009)

外部ゼミ生、河内くんのリストが届きました。日ごろ音楽や映画の選択にあまりに洗練された趣味を見せる河内くん、さすがにその背景をうかがわせるリストです。これからどんどん入れ替えてゆくとのこと。その変化にも注目しましょう。

出版社勤務の河内くんが大学院時代に授業をとっていた先生は、林みどり(ラテンアメリカ政治)、中村和恵(英語圏文学)、阿部珠理(アメリカ・インディアン研究)といったみなさん。ぼくの友人たちの中でも、いちばんソウルにあふれた、ひとすじなわではいかない人ばかり。おとなしい河内くんが彼女らの熱に全面的に鍛えられてきたようすを思うと、楽しくなります。

1. 自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

星野道夫『旅をする木』(文春文庫、1999年)
ローレン・アイズリー『星投げびと』(千葉茂樹訳、工作舎、2001年)
田中小実昌『ポロポロ』(河出文庫、2004年)
管啓次郎『オムニフォン』(岩波書店、2005年)
多和田葉子『エクソフォニー』(岩波書店、2003年)
白川静『文字逍遥』(平凡社ライブラリー、1994年)
ブルース・チャトウィン『ソングライン』(芹沢真理子訳、めるくまーる、1994年)
保刈実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶ノ水書房、2004年)
藤本和子『リチャード・ブローティガン』(新潮社、2002年)
武田百合子『日々雑記』(中公文庫、1997年)
スタッズ・ターケル『仕事!』(中山容他訳、晶文社、1983年)
アラン・ローマックス『アラン・ローマックス選集』(ロナルド・D・コーエン編、柿沼敏江訳、みすず書房、2007年)

2.自分が専門と呼びたい分野の12冊「それぞれの生命・自然・リズム観」

鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫、1981年)
白川静『初期万葉論』(中公文庫BIBLIO、2002年)
グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』(佐藤良明訳、新思索社、2006年)
リン・マーギュリス『共生生命体の30億年』(中村桂子訳、草思社、2000年)
ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ『知恵の樹』(管啓次郎訳、ちくま学芸文庫、1997年)
蔵本由紀『非線形科学』(集英社新書、2007年)
スティーヴン・ストロガッツ『SYNC―なぜ自然はシンクロしたがるのか―』(長尾力訳、蔵本由紀監修、早川書房、2005年)
まどみちお『新訂版 まどみちお全詩集』(伊藤英治編、理論社、2001年)
ウィル・クセルク『星の航海術をもとめて』(加藤晃生訳、青土社、2006年)
ルートヴィヒ・クラーゲス『リズムの本質』(杉浦實訳、みすず書房、1971年)
ロバート・ローラー『ドリームタイム』(長尾力訳、青土社、2003年)
Gee’s Bend: The Architecture of the Quilt, Paul Arnett (ed.), Tinwood Books, 2006.

3.「現代性」を主題とする12冊

石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫、2004年)
大熊孝『増補 洪水と治水の河川史』(平凡社ライブラリー、2007年)
エドゥアール・グリッサン『<関係>の詩学』(管啓次郎訳、インスクリプト、2000年)
ル・クレジオ『歌の祭り』(管啓次郎訳、岩波書店、2005年)
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(大橋保訳、みすず書房、1976年)
ゲーリー・スナイダー『惑星の未来を想像する者たちへ』(山里勝己・田中泰賢・赤嶺玲子訳、山と渓谷社、2000年)
マリー・ンディアイ『心ふさがれて』(笠間菜穂子訳、インスクリプト、2008年)
ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(小竹由美子訳、新潮クレストブックス、2001年)
Earl Lovelace, Dragon Can’t Dance, Faber and Faber, 1998.
V.S.Naipaul, A House for Mr.Viswas , Picador, 2003.
C.L.R.James , Beyond a boundary, Duke University Press, 1993.
セバスチャン・サルガド「エッセイ」図録(東京都写真美術館編、2003)

マルチニック通信

こないだ早稲田でゲストとして話をしてもらった中村隆之くん。ついにマルチニック生活がはじまり、同時にマルチニック・レポートがはじまりました。これからたぶん、すごく充実した記録になってゆく予感。

http://mangrove-manglier.blogspot.com/

きょうは早速、「ベケの支配」という神話に疑問符をつきつける新聞記事の紹介でした。この記事の主張が正しければ、みんながあっさり信じていた歴史の構造が、大きくゆらぎます。ぼくにはなんともいえませんが、興味深い視点です。

たまには遠い島のことを、中村くんの報告にしたがって想像してみることにしましょう。

「世界文化の旅」進行中

明治大学リバティ・アカデミーの「世界文化の旅」、「アフリカ編」「島めぐり編」につづく最終年度が「先住民編」として進行中です。

まず先週は、くぼたのぞみさん。南アフリカの作家クッツェーとウィコムの作品が描く人種間の緊張、先住民族グリクワや混血のカラードの位置をめぐるお話。きょうは阿部珠理さんによるアメリカ・インディアンの世界。彼女が毎年訪れているラコタの土地ローズバットに特に焦点をあてながら、アメリカ・インディアン世界全般への、広い視野からの導入となるお話でした。

ぼくにとって興味深かったのは部族大学。危機にさらされた伝統の再生のため、手作り感のただよう部族大学が各地にできているそうです。ぼくがニューメキシコ大学で故アルフォンソ・オーティズのアメリカ・インディアン研究の授業に出ていた1990年ごろに比べても、ずいぶん大学(カレッジ)の数そのものが増えている感じ。

部族メディアの進展とともに、これは調べてみたいテーマのひとつ。

次回以後は、ムンシ・ロジェさん(コンゴのピグミーについて)、ぼく(マオリについて)、浜口稔さん(沖縄について)、中村和恵さん(オーストラリアのアボリジニについて)とつづいてゆきます。講師どうし互いに学べることが非常に多いこのシリーズ。初年度のアフリカ編をもとにした画期的な本が、まもなく出版されます。この件、また近いうちに。

2009年5月15日金曜日

堀江敏幸写真展?

たとえば片岡義男さんは、ずっと写真を発表している。われらが吉増剛造師匠も、ずっと写真を発表してきた。そこに。

今年度のカタリココで、最初の目玉になるのが堀江敏幸さんの回。そしてなんと、堀江敏幸写真展が、同時に開催される!

6月20日(土)20時開演
ゲスト:堀江敏幸(小説家)
会場:森岡書店(茅場町)
*6/15(月)〜6/27(土)堀江敏幸写真展開催

これは楽しみ、やられた! ぼくの写真展も、そのうちどこかで。そのまえに、コピー印刷ホッチキス留めの写真集を作ってみるか。

2009年5月14日木曜日

藤部明子+ミルキィ・イソベ!

藤部明子写真展「at zero」は火曜日に開幕しました。さすがの圧倒的なクオリティの高さ。展示も完璧です。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004086.html

本格的な写真展示を見たことのなかった1、2年生のみんなが感動して出てきたり、なんだかおっさんじみてきた3、4年生が「先生、見ましたよっ! すごいっす!」と学食で声をかけたりしてくれると、やってよかったなあ、と思います。藤部さん、本当にありがとうございました。作業に関わってくれたみなさん、おつかれさま。

さて、関連企画である注目のギャラリー対談が、いよいよ20日(水)に迫りました。18:00からギャラリー・ゼロにて。ゲストにお招きするのは藤部さんの写真集2冊を作ったグラフィックデザイナーのミルキィ・イソベさん。日本のもっとも先鋭的なブックデザイナーのおひとりである彼女のかっこよさに、間近でふれるチャンスです! 

(学生のみんなにはポケモンカードのデザイナーさんというのがいちばんわかりやすいかも。ぼくの本『オムニフォン』の装丁もミルキィさんです。)

特にその造本術の極意をあっけらかんと最高の気前良さで明かしてくださるようすを想像するだけで、いまから眠れません。これから5日間眠れません。

ギャラリーは対談開始時刻までふつうに開いていますから、まず写真をじっくり見て、それからのんびりお話を聞いていってください。よろしく。遠路はるばる、よろしく!

オープン・ゼミは8月2日

内部ゼミ+外部ゼミ、全体の前期のまとめであるオープン・ゼミの日程を8月2日(日)に決めたいと思います。場所は未確定ですが、おそらくアキバ。全員、それまでに、個別リーディング・リストの作成をがんばってください。

外部ゼミ生で「専門と呼びたい分野」をまだ決めていない人は、決まった段階でぼくに報告してください。

当日は、午前10時開始。ひとり持ち時間を15分+質疑応答を含めて20分とします。午前の部を終えたら休憩をはさんで午後の部。終わったらパーティーでも、つつましく。

この日はぜひ空けておいてください。楽しみだね!

2009年5月13日水曜日

そいつ

2、3日前にさ、そいつが死んだじゃない? でもテレビの報道とか、どうでもいいからさ、知らないふりをしてたんだよ。

そしたら息子が、そいつをぜんぜん聴いたことないっていうからさ、深夜にYouTubeで一緒に聴きはじめたんだ。まずは「スローバラード」、そして「トランジスタ・ラジオ」をね。

80年代も90年代も、日本の歌や文学やなんだかんだに完全に背をむけていたので、実際、そこまで思い入れがあるわけじゃなかった。でも聴けば、なつかしい。聴けば、打たれる。なんという声の質、歌詞の強さ。

聴くうちに頭がしーんと澄み渡った。そいつ、死んだんだってさ。58歳で。でもそいつの声が残るって、いったいどういうことなんだろうね。死んだそいつの声だけは生きていてそれに気持ちが掻き立てられるって、いったいどういうことなのかな。

『チョコラ!』がはじまった

みなさん。小林茂監督のドキュメンタリー『チョコラ!』が、9日に始まりました。ケニアの町ティカで暮らすストリート・チルドレンを追った作品。ここにみなぎる力、ただ「美しさ」とか「けなげさ」と呼んでは絶対にいけない躍動する力を、ぜひ現実のスクリーンで体験してください。

現在ユーロスペースで公開中。パンフレットには、ぼくも文章を寄せています。

都合がつく人は、こんど一緒に見に行きましょう!

2009年5月11日月曜日

広島

所用で広島へ。駅に隣接したホテルに荷物を置いて、すぐ散歩。

むかったのは仏舎利塔。標高139メートルの山上で、ここからは市街地の地形がよくわかる。礼拝。それから神社の参道、ドングリがたくさん落ちている道を降りて、セントロ(市街地)にむかった。

中学校の修学旅行(1973年)以来、36年ぶりの広島! 台北みたいな大都会で、びっくり。特に県庁前のあたりは台北に通じるものがある。そこから八丁堀界隈にゆき、アーケード街を歩きながら、頭の中では『ヒロシマ・モナムール』のきわめてスリリングな移動撮影(ゆきかう自転車を見おろし、かなりのスピードで町を駆け抜けてゆく)を反芻していた。

あなご飯、お好み焼き、穴子や蛸のかまぼこ、ホルモンのてんぷら、せんじ肉。うまいものも多い。美術館には、時間がなくていけなかった。原爆ドームには、心構えができなくて、再訪できなかった。でもまた行こう、広島。

お好み焼きを焼く兄ちゃんの広島弁を聞いてるだけで、なんだか気合いの入るデルタ・シティーだ。

2009年5月10日日曜日

アカデミーコモンがもっとも熱かった日

昨日(土曜日)のアカデミーコモンはすごかった。正午をすぎたころから人が続々と集まり、いつのまにか長蛇の列。そう、メビウスと浦沢直樹のライヴ・パフォーマンスのために集まった人たちだ。ゆうに1000人を超えている。

何しろ、谷口ジロー、永井豪、いしかわじゅん、小池桂一といった人たちが、単なるお客として参加しているのだから、すごい。われらがカリスマ・フランス語教師、清岡智比古だって。といっても、ぼくは何も見ていません。控え室から会場に向かうメビウスの後ろ姿だけ。

こっちはこっちで、そのころは準備にかかりきり。夕方からの、猿楽町校舎完成記念パーティーと学生たちの作品発表会のため。みんながもりあがっている3階の下で、ひっそり、こっそり、でも楽しく。ま、それもいいか。

それでもこっちはこっちで、なかなかの盛会だった。今年の新入生の歓迎会も兼ねているのだが、明治関係者だけでなく、学外からようすを見にきてくれた人も20名近く。これは、はっきりいって、すごい数字だ! そのうちの何人かが来年のDC系を背負ってくれるなら、いうことなし。

一時は廃墟か野良猫の巣窟の空気に包まれていた旧・明治高校校舎を改装して使う、新領域創造専攻猿楽町校舎は、ある時期のロンドンやリヴァプールやアムステルダムを思わせる、混沌とした創造性の雰囲気を漂わせはじめた。そう、「明治の中にアート・スクールを作る」というわれわれの公然の秘密的計画が、着々と実現しはじめている。

今が、時だ。次は、火だ。DC系の第3期生をめざす人は、ぜひ受験してください。ポスター発表も映像作品も、なかなかクレイジーでおもしろかった。そして学生たちは1年でガラリと変わるので、これからますます形質の獲得が佳境に入ることだろう。

おもしろくなってきた。夏休みにも、ここで何かやります(たぶん)。乞うご期待!

2009年5月9日土曜日

大塚あすかの36冊

外部ゼミ生、大塚あすかさんの36冊です。「イエバエとハダニに対する農薬の作用機構」を研究して園芸学部を卒業した彼女は、現在は官庁勤務、労働(職業安定)系統の仕事をしているそうです。

本の選択は、渋い。ぼくと同世代といっても通りそうだけど、じつはずっと若い人。宇野澤くんや大洞くん、志村さんと、きっといろんな話ができるだろうなと思い、うれしくなりました。まだお会いしたことのない大塚さん、よろしく!

ぼくは注意してなかったんだけど、プラネタリウムの大平さん、なぜかぼくの周囲でもすごく人気があります。こんど本を読んでみよう。


1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

安倍能成ほか編『少年少女世界文学全集』(講談社、1959年)
高村光太郎「高村光太郎」(新潮社、日本詩人全集9、1971年)
コロナ・ブックス編『画狂人ホルスト・ヤンセンー北斎のまなざし』(平凡社、2005年)
トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(志村正雄訳、筑摩書房、1992年)
岡本敏子『恋愛芸術家』(マガジンハウス、2001年)
寺田寅彦『柿の種』(岩波書店、1996年)
コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』(早川書房、1998年)
ボリス・ヴィアン『心臓抜き』(滝田文彦訳、早川書房、2001年)
アゴタ・クリストフ『悪童日記』(堀茂樹訳、早川書房、1991年)
荒木経惟『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社、1991年)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(鼓直・木村榮一訳、筑摩書房、1988年)
ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水社、2007年)


2.自分が専門と呼びたい分野の12冊(はたらくこと≒生きること)

石井光太『物乞う仏陀』(文藝春秋、2008年)
足立君枝『カンボジア はたらく子どもたちー足立君枝写真集』(連合出版 2009年)
是枝裕和『官僚はなぜ死を選んだのかー現実と理想の間で』(日本経済新聞社、2001年)
町田康『夫婦茶碗』(新潮社、2001年)
大平貴之『プラネタリウムを作りました—7畳間で生まれた410万の星』(エクスナレッジ、2003年)
松尾スズキ『12歳の大人計画ー課外授業ようこそ先輩』(文藝春秋、2006年)
吉本隆明『13歳は二度あるか』(大和書房、2005年)
辺見庸『もの食う人々』(角川書店、1997年)
見田宗介『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)
内田樹『下流志向ー学ばない子どもたち働かない若者たち』(講談社、2007年)
杉村芳美『「良い仕事」の思想ー新しい仕事倫理のために』(中央公論社、1997年)
阿部真大『働きすぎる若者たちー「自分探し」の果てに』(日本放送出版協会、2007年)


3.「現代性」を主題とする12冊

楳図かずお『わたしは真悟』(講談社、2000年)
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳、岩波書店、2005年)
リン・ディン『血液と石鹸』(柴田元幸訳、早川書房、2008年)
鬼頭莫広『ぼくらの』(講談社、2004年)
ビクトール・ペレーヴィン『眠れ』(三浦清美訳、群像社、1996年)
ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』(雨沢泰訳、日本放送出版協会、2008年)
モーセン・ムスタファヴィ『時間のなかの建築』(黒石いずみ訳、鹿島出版会、1999年)
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、2001年)
筒井康隆『残像に口紅を』(中央公論社、1995年)
柳父章『翻訳語成立事情』(岩波書店、1982年)
竹田青嗣『言語的思考へー脱構築と現象学』(径書房、2001年)
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(講談社、1997年)

2009年5月7日木曜日

進学希望の方は猿楽町ツアーにどうぞ!

以下、今週土曜日の行事についてのお知らせです。

<新領域創造専攻研究・実験室完成式>

理工学研究科・新領域創造専攻では、明治大学猿楽町校舎に新設された新領域創造専攻研究・実験室の完成式ならびに修士課程学生の研究発表 会をとりおこないます。

日時 2009年5月9日(土)17時45分より
場所 アカデミー・コモン2階会議室(2室使用)

2つの会議室を、パーティー会場ならびに研究発表会場として使用します。
予約不要・会費無料にて、学外の方も自由にご参加いただけます。

17時30分からパーティー会場入口にて受付を開始しますので、ご署名の上、会場内にお入りください。

研究発表会場では修士課程の学生たちのPC使用のデモンストレーション、ポスター発表が、19時30分までおこなわれます。

新領域創造専攻への進学を考えているみなさん、19時30分にパーティー会場を出発する「猿楽町校舎ツアー」にぜひご参加ください。

2009年5月6日水曜日

安西洋之の36冊(4月30日現在)

外部ゼミ生、安西さんの36冊です。

安西さんはミラノ在住のビジネス・プランナー、著書に『ヨーロッパの目 日本の目』(日本評論社、2008年)があります。どんなビジネスだって、その底を支えるのは文化、そして固有のデザイン。豊富な体験から生まれるソリッドな比較文化論の道を切り開きつつある人です。

まずは以下のリスト。形式は統一しました。『思想のドラマトゥルギー』や『さよなら怪傑黒頭巾』など、ぼくにとってはいかにも同世代で、親近感。安西さん、じつはわが同僚のフランス語のカリスマ教師・清岡さんの大学時代の同級生なのでした。

1.考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊

スタンダール『赤と黒』(岩波文庫、1958年)
桑原武夫『文学入門』(岩波新書、1963年)
林達夫・久野収『思想のドラマツゥルギー』(平凡社、1974年)
加藤周一『羊の歌』(岩波新書、1968年)
庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』(中央公論社、1968年)
梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫、1974年)
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
バーガー=ルックマン『日常世界の構成』(山口節郎訳、新曜社、1977年)
『カーデザインの巨人 ジウジアーロ』(小学館、1985年)
宮川秀之『われら地球家族』(評伝社、1988年)
『ピエール・ルイジ・ネルヴィ』(プロセス・アーキテクチャー、1981年)
陣内秀信『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会、1978年)

2.今回専門とする分野(ヨーロッパ文化とデザイン)の12冊

ブローデル『地中海世界』(神沢栄三訳、みすず書房、1990年)
佐藤和子『「時」に生きるイタリア・デザイン』(三田出版会、1995年)
D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』(野島久雄訳、 新曜社認知科学選書、1990年)
ヤコブ・ニールセン『ユーザビリティエンジニアリング原論』(篠原稔和・三好かおる訳、東京電機大学出版局、1999年)
岩田誠『見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス』 (東京大学出版会、1997年)
武者小路公秀・蝋山道雄編 『国際学―理論と展望』(東京大学出版会、1976年)
平野健一郎『国際文化論』(東京大学出版会、2000年)
森明子編『ヨーロッパ人類学―近代再編の現場から』(新曜社、2004年)
エドガー・ホール『かくれた次元』(みすず書房、2000年)
ジャン・モネ『ジャン・モネ回想録』(近藤健彦訳、日本関税協会、2008年)
Fabbri Fabriano “ Lo Zen e il manga “(Mondadori bruno, 2009)
“Magnificenza e Progetto –cinque cento anni di grandi mobili italiani a confronto” (Skira, 2009)

3.「現代性」を主題とする12冊

村上隆『芸術起業論』(幻冬舎、2006年)
水谷修ほか『いいじゃない いいんだよ』(講談社、2005年)
水村美苗『日本語が亡びる時』(筑摩書房、2008年)
近藤健『反米主義』 (講談社現代新書、2008年)
小山登美夫『現代アートビジネス』 (アスキー新書、2008年)
鈴木光司『情緒から論理へ』(ソフトバンク新書、2009年)
福野礼一郎『クルマはかくして作られる』(二玄社、2001年)
Kazuo Ishiguro , The Remains of the Day, 1990.
丸川和雄『現代中国の産業』(中公新書、2007年)
仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書、2005年)
上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書、2000年)
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳、中央公論社、2007年)

本について語りながら街を横断すること

大竹昭子さんのカタリココ、2009年度のシーズンの予定が決まったようだ。堀江敏幸さんにはじまり大竹伸朗さんに終わる顔ぶれもすごいが、おもしろいのはこのシリーズが毎回場所を変えつつ、東京を横断するかたちで構想されていること。

http://katarikoko.blog40.fc2.com/blog-category-0.html

時が、場所が、合ったなら、ふらりと立ち寄ってみたい。


このシリーズとは別に、石川直樹さんとの対談もある。以下、引用。


■石川直樹×大竹昭子トークショー

石川直樹さんの写真集『Mt.Fuji』の刊行を記念して、彼とトークをいたします。
富士山は古くから霊峰として崇められ、江戸時代には本物の富士山に行けない女子供のために、江戸市中にミニチュアの富士山がたくさん造られました。そんな富士山の民俗学的な側面にも触れつつ、日本一の山の魅力と霊的な力について語り合います。

日時:5月15日(金)19:00開演
会場:新宿ジュンク堂書店7階
料金:1000円(1ドリンク付き)
*申し込みは直接7Fカウンターか、電話03-5363-1301へ。


15日か。会議日で行けない、残念。しかしいつかは富士山に登らなくちゃ。

2009年5月5日火曜日

Te Pito Records

作曲家の宮木朝子さんが自作のレーベルを立ち上げた。

http://www.te-pito-records.com/

引用すると

「アクースマティーク・エレクトロニカ。現代音楽とエレクトロニカの境界領域に響くインナー・アンビエンスを追求するレーベル、Te Pito(テ・ピト)

アクースマティークとは?
戦後フランスのラジオ放送局内で実験的に始められた、現実音の録音・加工による電子音楽ミュージック・コンクレートの現在形の電子音響音楽のこと。

インナーアンビエンスとは?
心象風景の中で鳴り響く、音響世界。聴く者の記憶と予兆を覚醒させる、『内的な環境音』。」

それではレーベル名の「テ・ピト」とは何? 答えは上記のホームページに。

蜂使い?

日曜日の東京新聞に、驚くべき写真が掲載されていた。

「直径2・3メートル、高さ2・7メートル、胴回り6・6メートル」のキイロスズメバチの巣。ハチ研究家の富永朝和さんが、「女王バチ114匹と、働きバチ50万匹に2年がかりで作らせた」ものだそうだ。

富永さんの独創は、複数の巣の女王バチ、働きバチに、ひとつの家族だと思わせることに成功した点にある。なぜか巣の表面に「ハチ」の
文字が浮かび上がり、また別の巣は、オリンピックの聖火ランナーのかたちに仕上げられている。

どうやっているのかはわからないが、これはすでに動物芸の一種だろう。ハチとのあいだになんらかの記号を介した伝達の回路を発見したのが富永さんだというわけだ。驚くべきバイオアートの開拓者。

長野県には「ハチ博物館」だけでなく「蜂天国」という施設もあり、そこでは富永さんとは別のやり方で、かたちある巣を作らせているという。そんなことはまったく知らなかった!

2009年5月4日月曜日

きみはウダーを知っていたか?

その宇野澤くんのブログ(これ自体、修士課程の制作の一環です)で知ったのが、ふしぎな電子楽器ウダー。

http://d.hatena.ne.jp/masaki_unozawa/

電子楽器とはいっても、なんかダブリンの街角に似合いそうなところがカワイイ。

楽器全般についていうなら、演奏家と聴衆がはっきり分かれていることは、歴史上ごく最近に現われた異常事態だと思うけどね。スポーツにしても、ぼくはスペクテーター・スポーツ(選手は競技場で、あとは観客席で)が大嫌い(といっても神宮球場にパ・リーグの試合を見に行ったりするのは好き)。

手を染める、つまり手をその対象物の環境と材質にひたすことを、どんな分野でも心がけたい。その上での玄人と素人の分離は当然だけど、それでも熟練がすべて商品とお金の問題になってゆくくらいなら、そんなものはなくてもいい。

宇野澤昌樹の36冊(as of 23 April 2009)

修士課程2年の宇野澤くんのリストです。4月23日現在、まだこれから変わってゆくことが予想されます。宇野澤くんは藤浩志論で修士論文を準備中。まちがいなく画期的な本になります。彼のおかげでぼくも老いの道から10年は時間を引き戻されました。これからもがんがんやろう!

1. 自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

マイケル・オンダーチェ『バディ・ボールデンを覚えているか』(畑中佳樹訳、新潮社、2000年)
平出隆『遊歩のグラフィスム』(岩波書店、2007年)
宮本常一『民俗学の旅』(講談社学術文庫、1993年)
ブルース・チャトウィン『ソングライン』(北田絵里子訳、英治出版、2009年)
かわなかのぶひろ『映画・日常の実験』(1975年、フィルムアート社)
西嶋憲生『映像表現のオルタナティヴ 一九六〇年代の逸脱と創造(日本映画史叢書 3)』(森話社、2005年)
岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』(作品社、1992年)
ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(篠田一士訳、河出書房新社、2008年)
ロジャー・アックリング、ハミッシュ・フルトン『紀伊半島を歩いて』(和歌山県立近代美術館、1996年)
テッド・コノヴァー『ホーボー列車に乗って―アメリカ横断浮浪旅』(畑中佳樹訳、筑摩書房、1992年)
花田佳明『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』(ラトルズ、2005年)
David Hockney 『David Hockney by David Hockney.』(Thames and Hudson、1977年)

2. 自分が専門と呼びたい分野の12冊(藤浩志、あるいは世界の使い方)

藤浩志『違和感を飛び超える術』(福岡市美術館、2005年)
八島太郎『からすたろう』(偕成社、1979年)
アーノルド・ロベール『がまくんとかえるくん』(三木卓訳、文化出版局、1972年)
小山田徹『小山田徹:しあわせのしわよせ』展図録(財団法人アサヒビール芸術文化財団、2004年)
プラクティカネットワーク編『日常を変える!クリエイティヴ・アクション』(フィルムアート社、2006年)
石山修武『秋葉原感覚で住宅を考える』(晶文社、1984年)
川合健二ほか『川合健二マニュアル』(アセテート、2007年)
倉田康男『建築造型論ノート』(鹿島出版会、2004年)
服部文祥『サバイバル登山』(みすず書房、2006年)
堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』(舵社、2008年/文芸春秋、1962年)
マッド・マドン『コミック文体練習』(大久保譲訳、国書刊行会、2006年)
ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』(みすず書房、2007年)

3. 「現代性」を主題とする12冊

濱野智史『アーキテクチャーの生態系』(NTT出版、2008年)
ローレンス・レッシグ『コモンズ』(山形浩生訳、翔泳社、2002年)
アトリエ・ワン『アトリエ・ワン・フロム・ポスト・バブル・シティ』(INAX出版、2006年)
松村慎『ネットでものを生み出すということ』(ワークスコーポレーション、2009年)
野口里佳『鳥を見る―野口里佳作品集』(P3 art and environment、2001年)
福岡伸一『動的平衡』(木楽舎、2009年)
松本圭介『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社、2006年)
大竹昭子『随時見学可』(みすず書房、2009年)
坂口恭平『TOKYO 0円ハウス0円生活』(大和書房、2008年)
佐藤修悦『ガムテープで文字を書こう! ―話題の新書体「修悦体」をマスターして』(世界文化社、2009年)
ばるぼら他『世界のサブカルチャー』(翔泳社、2008年)
『Make: Technology on Your Time Volume 05』(オライリー・ジャパン、2008年)

兼田言子写真展「Tan tan tan」

おととしの「ブレーズ台風」つまりスイス大使館主催の詩人ブレーズ・サンドラール生誕120周年記念イベントに立ち会った人は、会場で販売されていた画期的な小冊子のことを覚えているでしょう。着任まもないスイス大使が感動していました。それを作ったグループがBEKA。その一員である兼田言子さんの写真展が、いま茅場町のギャラリーマキで開催されています。

http://kotophoto.jimdo.com/

土曜日の夜、アキバから地下鉄に乗って、行ってきました。奄美大島、イタリア、キューバの写真を、なんらかの類似性・共通性にしたがって3枚組にして展示。見ていると、あ、なるほどと思います。気取らない白黒写真の中の、うれしい発見。

BEKAのみんなは東京外国語大学の今福龍太さんのもとで学んだ人たちですが、やる気があって元気で、いつもいい刺激を受けます。5日には声優の仕事をはじめたももちゃんの詩の朗読会もあるとか。

写真の風、声、現実の川風に吹かれに、出かけてみるのもいいかも。そして誓いを新たにしたいと思います、キューバに、いつか必ず(それもできるだけ早く)!

日本イラク通信社

翻訳家のくぼたのぞみさんのブログを経由して、「水牛」の八巻美恵さんが紹介している「日本イラク通信社」のことを知りました。

http://blog.livedoor.jp/jimnetnews/

驚き! そうか、こういうかたちで、マス・メディアでは絶対に表面化しない世界の姿を教えてくれる、カウンター・メディアが作れるんだ。

DC系も今年からドキュメンタリーのフェーズに突入しています。みんなが自分のニュース番組を作るのもおもしろいかも。そして数分のセグメントを集めた60分くらいの番組を作って、ビデオで発売/無償配布するとか。

その精神は。パロディの背後に隠された真実あり!

2009年5月3日日曜日

State of Dogs

このあいだ『らくだの涙』をビデオで観て、おなじくモンゴルを舞台にしたドキュメンタリー的要素の強い作品であるState of Dogsのことを思い出した。それで「ステイト・オブ・ドッグス」で検索してみたら、10年前にこの作品を配給したスローラーナーさんのはてな日記に。

http://d.hatena.ne.jp/slowlearner_m/20090425

本当にすばらしい作品なのだが、調べてみてもDVDは(英語圏、仏語圏などでも)発売されていないみたいなのが残念。もちろん世界のすべての映画を観ることはできないし、世界のすべての映画の1万分の1も観ることはできないだろうが、それを観れば自分の想像力ががらりと変わるようなこんな傑作は、ぜひ観たいし何度でも観たいものだ。

また上映されないかな、何かの機会に。いつか犬映画祭でも企画してみたい。