土曜日、品川のコクヨ・ホールへ。「芸術は誰のものか?」に参加しました。
これは過去数年にわたった学術振興会の「人文・社会科学振興プロジェクト研究事業」のしめくくり。この事業ではぜんぶで17のプロジェクトが進行し、そのうち言語・芸術・芸能表現をめぐる3つが、今回のシンポジウムでその完了を迎えた。17のプロジェクトは、すべて本になって出版されている。
きょうの3つとは、「伝統と越境」(代表研究者は沼野充義さん)、「日本の文化政策とミュージアムの未来」(木下直之さん)、「文学・芸術の社会的媒介機能」(吉岡洋さん)で、それぞれ研究代表者の講演と、それに対するコメント、司会者をまじえてのディスカッションという形式でおこなわれた。
ぼくはこのプロジェクトのメンバーではなかったのだけれど、現代の文学についての考え方がいろいろ重なってくることもあって、沼野さんがコメント役として呼んでくださった。司会は野崎歓さん。限られた時間で、あまりつっこんだ議論はできなかったが、大学の外の方たちもたくさんいる会場で話をするのは、ぼくには日ごろない、貴重な機会だった。
夕方までの長丁場で、いろいろおもしろいお話を聞けたが、なかでも突出していたのが第2セッションのコメンテーターとして登壇した慶應大学の片山義博さん。元鳥取県知事という立場から、文化行政の根源的な問題点について、忌憚ない意見を述べられた。ミュージアム(美術館/博物館)という場、ぼくは大好きだが、そこに行く人は誰もが不満や疑問を多々かかえている。そしてそこには、日本社会のいろいろな問題が、そのまま反映されている。
第3セッションの司会の音楽学者の岡田暁生さんによって、ミュージアムのあり方が「コンサート」のあり方と対比され、これも納得。どちらでも、強いられる沈黙、ばかばかしい重々しさ、一方通行の享受。
自由な創造は、その場や容れ物や流れのすべてを見直しつつ進めるしかないことを、改めて思う。そしてそれは「大学」のあり方も、もちろん。