南青山の旅の書店 BOOK246とDC系の共同企画「見えるもの聞こえるもの」の第3回は3月14日(土)、文芸批評・音楽批評・サッカー批評の陣野俊史さんをお迎えして、フランスと日本のヒップホップ文化をはじめ、現代を生きることの条件について語っていただきます。
タイトルは「自分のスタイルを生きること」。ぜひ遊びにきてください。
http://www.book246.com/
Saturday, 21 February 2009
Thursday, 12 February 2009
Wednesday, 11 February 2009
「芸術は誰のものか?」
3月7日、日本学術振興会のシンポジウム「芸術は誰のものか?」に参加します。
入場無料、申し込みは以下から。
http://www.jsps.go.jp/jinsha/01_sympo_h210307.html
ぼくは朝のセッションで、基調講演者・沼野充義さん(スラヴ諸語比較文学・世界文学)へのコメンテーター。司会はフランス文学者で翻訳家の野崎歓さん。
どんなことを話すかは前夜まで(あるいはその場まで)決まらないと思うけど、ともあれ、よかったら遊びにきてください。
入場無料、申し込みは以下から。
http://www.jsps.go.jp/jinsha/01_sympo_h210307.html
ぼくは朝のセッションで、基調講演者・沼野充義さん(スラヴ諸語比較文学・世界文学)へのコメンテーター。司会はフランス文学者で翻訳家の野崎歓さん。
どんなことを話すかは前夜まで(あるいはその場まで)決まらないと思うけど、ともあれ、よかったら遊びにきてください。
Sunday, 8 February 2009
「ゲスト」であることをやめろ
『サバイバル登山家』の服部文祥さんは、まちがいなく現代日本の最重要の思想家のひとりだが、彼が土曜日(7日)の「朝日新聞」でこう書いていた。
「幼い頃、自分の生活のどこにズルさを感じていたのか、今では少しわかる気がする。頭や体を使わなくても生きていける生活そのものに疑問があったのだ。受験戦争盛んなころに思春期を迎え、それなりに頭は使っているつもりだった。だが、自分が生きるための判断は、ほとんどしていなかった。自分の人生においてすら、私は<ゲスト>だったのだ。」
実際、日々大学で学生たちとつきあっていて、最大の苛立ちを覚えるのもその点だ。肉体的生存そのものと知的生存との差異は、あえて無視していう。大学でのすべての知的な冒険、実験、試みに対して、完全に「ゲスト」というか無関心な傍観者でしかない自分を、疑うことすらしない学生たち。もちろんその一方には、教師の側にも、半世紀は昔の旧態依然たる「大学」像に自足して何の改革も工夫も変化もなく、このままあと2、30年やっていけると思っている人々も少なからずいる。
それで満足なのか? いつになってもお客さん、大学に対しても社会に対しても「ゲスト」。折角の行動の自由を、創造への可能性を、まるで生かそうとせず、人が与えるものだけを期待し、与えられるものに対しては万事「消費者」の立場で。あるいは、はなから「自分には関係ない」で、すぐ身近で起きていることにもまるで関心を抱かず。
ぼくは大学は、まだまだいろいろなことができる場だと思う。祝祭のような知的解放を、社会の不特定の人々に対して無償で提供できる、数少ない場のひとつだと思う。それが少しでも多くの人々の生活に直接反映される、省察と、批判と、楽しみを生産する場でありうると思う。
「大学」の社会的サバイバルは、ここにかかっている。そして「大学」(現行の大学に限らない、能う限り自由な知的共同体)のサバイバルが試みられなくなった社会には、もはや生存の希望も託せないにちがいない。
「幼い頃、自分の生活のどこにズルさを感じていたのか、今では少しわかる気がする。頭や体を使わなくても生きていける生活そのものに疑問があったのだ。受験戦争盛んなころに思春期を迎え、それなりに頭は使っているつもりだった。だが、自分が生きるための判断は、ほとんどしていなかった。自分の人生においてすら、私は<ゲスト>だったのだ。」
実際、日々大学で学生たちとつきあっていて、最大の苛立ちを覚えるのもその点だ。肉体的生存そのものと知的生存との差異は、あえて無視していう。大学でのすべての知的な冒険、実験、試みに対して、完全に「ゲスト」というか無関心な傍観者でしかない自分を、疑うことすらしない学生たち。もちろんその一方には、教師の側にも、半世紀は昔の旧態依然たる「大学」像に自足して何の改革も工夫も変化もなく、このままあと2、30年やっていけると思っている人々も少なからずいる。
それで満足なのか? いつになってもお客さん、大学に対しても社会に対しても「ゲスト」。折角の行動の自由を、創造への可能性を、まるで生かそうとせず、人が与えるものだけを期待し、与えられるものに対しては万事「消費者」の立場で。あるいは、はなから「自分には関係ない」で、すぐ身近で起きていることにもまるで関心を抱かず。
ぼくは大学は、まだまだいろいろなことができる場だと思う。祝祭のような知的解放を、社会の不特定の人々に対して無償で提供できる、数少ない場のひとつだと思う。それが少しでも多くの人々の生活に直接反映される、省察と、批判と、楽しみを生産する場でありうると思う。
「大学」の社会的サバイバルは、ここにかかっている。そして「大学」(現行の大学に限らない、能う限り自由な知的共同体)のサバイバルが試みられなくなった社会には、もはや生存の希望も託せないにちがいない。
Friday, 6 February 2009
ビバ田中功起!
オープンゼミ2日目は、アーティストの田中功起さん。あの強烈な Everything is everything に衝撃を受けて以来、ぜひお目にかかりたかったので、こういうかたちでお招きできたのがほんとにうれしかった。
田中さんの短い作品を映像で見ながらお話をうかがったが、どれも、すべてが、おもしろい。なんという発想力。なんという無意味。なんというユーモア。なんという明るさ。いわゆるビデオアートに対するユーモアたっぷりな棘、Animal Paradiseには爆笑。他にもいくつも印象深い作品を見ることができて、ぼくとしては大満足。ほんとうに、サミュエル・ベケットに見せてあげたかった!
そんな田中さんの作品だが、2007年に恵比寿の写真美術館で見たビール工場のビデオは、正直なところ、よくわからなかった。これって、社会科見学? と思っていたら、ご本人から、まさにそうだという解説。そしてその影の意図をうかがって、「あっ!」と思った。作品に作者の意図は関係ないが (basically) 聞けばまた見えてくるものがあることも現代美術の宿命。
宇野澤くんの進行も過不足なく適切。ごくろうさま。友人の工藤晋が都立芸術高校の生徒2名を連れてきてくれたのもおもしろかったし、マリオ曼陀羅の田内マリオくんや他にも多くの外部の人々が参加してくれて、きわめて充実した一夜になった。
田中さんは3月から3年間のアメリカ滞在。またとんでもない爆発を、われわれはまのあたりにすることになるだろう。
やってよかったなあ、この二日間。これで確実に「目が変わった」人が、20人はいると思う。そして20人というのは途方もない数で、それがたちまち400人、8000人へと、増えていく。
かわなかさん、田中さん、ありがとうございました!
田中さんの短い作品を映像で見ながらお話をうかがったが、どれも、すべてが、おもしろい。なんという発想力。なんという無意味。なんというユーモア。なんという明るさ。いわゆるビデオアートに対するユーモアたっぷりな棘、Animal Paradiseには爆笑。他にもいくつも印象深い作品を見ることができて、ぼくとしては大満足。ほんとうに、サミュエル・ベケットに見せてあげたかった!
そんな田中さんの作品だが、2007年に恵比寿の写真美術館で見たビール工場のビデオは、正直なところ、よくわからなかった。これって、社会科見学? と思っていたら、ご本人から、まさにそうだという解説。そしてその影の意図をうかがって、「あっ!」と思った。作品に作者の意図は関係ないが (basically) 聞けばまた見えてくるものがあることも現代美術の宿命。
宇野澤くんの進行も過不足なく適切。ごくろうさま。友人の工藤晋が都立芸術高校の生徒2名を連れてきてくれたのもおもしろかったし、マリオ曼陀羅の田内マリオくんや他にも多くの外部の人々が参加してくれて、きわめて充実した一夜になった。
田中さんは3月から3年間のアメリカ滞在。またとんでもない爆発を、われわれはまのあたりにすることになるだろう。
やってよかったなあ、この二日間。これで確実に「目が変わった」人が、20人はいると思う。そして20人というのは途方もない数で、それがたちまち400人、8000人へと、増えていく。
かわなかさん、田中さん、ありがとうございました!
かわなかのぶひろさん
オープン・ゼミ初日はかわなかのぶひろさん。映画の前史からはじまって実験映画の世界まで、ご自分が身をもって生きてこられた歴史が立ち上る、すばらしい一夜。
映画をやりたい! という気持ちにみちびかれるまま苦闘を続けた青春時代、浅草六区でカレースタンドをやっていたときの内藤陳さんとの出会い、新宿の古本屋で偶然見つけた豆本の「動く絵の歴史」、ケルンの中古カメラ屋で発見した仕掛け種版、おもしろいエピソードが目白押し。
伊藤高志の伝説のSpacy(これが大学生の卒業制作だなんて!)がドイツで上映されたときの観客の熱狂的な反応を、映像で見られたのもよかった。ズビグニュー・ルプチンスキーの「タンゴ」やブルース・ベイリーの「オール・マイ・ライフ」といった歴史的傑作を丁寧に紹介していただき、学生たちにはこの上なく豪華で刺激にみちたお話だったと思う。
7時からはじめて、終了は10時過ぎ。外部からの参加者も多く、余熱がいつまでも残るセッションだった。
映画をやりたい! という気持ちにみちびかれるまま苦闘を続けた青春時代、浅草六区でカレースタンドをやっていたときの内藤陳さんとの出会い、新宿の古本屋で偶然見つけた豆本の「動く絵の歴史」、ケルンの中古カメラ屋で発見した仕掛け種版、おもしろいエピソードが目白押し。
伊藤高志の伝説のSpacy(これが大学生の卒業制作だなんて!)がドイツで上映されたときの観客の熱狂的な反応を、映像で見られたのもよかった。ズビグニュー・ルプチンスキーの「タンゴ」やブルース・ベイリーの「オール・マイ・ライフ」といった歴史的傑作を丁寧に紹介していただき、学生たちにはこの上なく豪華で刺激にみちたお話だったと思う。
7時からはじめて、終了は10時過ぎ。外部からの参加者も多く、余熱がいつまでも残るセッションだった。
Tuesday, 3 February 2009
犬との別れ
札幌の知人の愛犬が14歳の天寿をまっとうして、この世を去って行ったそうだ。この数日のようすを彼のブログで読んで、流涕を禁じ得ず。犬との別れはほんとうに悲しい。
人間なら、関わりはいくつもの相にまたがる。しかし自分が飼う犬との関係は、companion という以外の何ものでもない。ただ地上をともに生きているという以外の意味も、利害も、葛藤も、愛憎も、何もない。ただ一緒に歩き、水を飲み、陽光を浴びて、それでおしまい。
うちの犬(2歳半)は深夜、こうしてコンピュータにむかうぼくの膝でくうくうと寝息を立てながら眠っている。朝になれば散歩に行くだろう。あとは元気よくごはんを食べ、また元気よく昼寝をするだろう。
そのひなたのようなぬくもりが、犬という動物。犬との別れは悲しい。写真でしか知らない北の大地のあの大きな犬に、adeus!
人間なら、関わりはいくつもの相にまたがる。しかし自分が飼う犬との関係は、companion という以外の何ものでもない。ただ地上をともに生きているという以外の意味も、利害も、葛藤も、愛憎も、何もない。ただ一緒に歩き、水を飲み、陽光を浴びて、それでおしまい。
うちの犬(2歳半)は深夜、こうしてコンピュータにむかうぼくの膝でくうくうと寝息を立てながら眠っている。朝になれば散歩に行くだろう。あとは元気よくごはんを食べ、また元気よく昼寝をするだろう。
そのひなたのようなぬくもりが、犬という動物。犬との別れは悲しい。写真でしか知らない北の大地のあの大きな犬に、adeus!
Subscribe to:
Posts (Atom)