Wednesday 24 September 2008

The Connective Humanities

このページに使っているこの名称。まだ説明していなかった。去年、同僚の波戸岡さんや倉石さんに話していたこと。

簡単にいうと、いろいろな分野を連結・綜合しつつ、人類史の現在を考えることを目的とする。ぼくらはinterdisciplinaryという合言葉のもとに1980年前後の学生時代を送ってきたが、ルネ・ジラールはそのころからinterではなくtransだといっていたし、ミシェル・セールにいたっては「文」も「理」もないどころか「科学」も「詩」も区別がなかった。

(いや、実際にはセールは「哲学」と「文学」を峻別しているのだが、少なくとも知識を求めるにあたって、彼はすべての時代のすべてのジャンルのテクストを同水準に置く。)

もうひとつ。やはりインターネットの発達以前と以後では、知識の共有の仕方ががらりと変わった。「大学」の意味や役割も、たぶん完全に変質した。いま大学で新入生たちと対面して驚くのは、かれらの大学観が完全に1世代以上まえのものだということ。生物学的1世代、つまり25年、30年前。

で、あいかわらず「単位ください」と答案用紙のかたすみに書いてみたり。それはむかしながらの答案用紙を使っているこっちも悪いのかもしれないけど。

大学はたぶんほっといても、実質を失った部分から、蒸発するようにこの地上を去ってゆくことだろう。遠からず。

ぼくがイメージしていた「連結的人文学」とは、運営面からいうとインターネット・ベースの授業であり、教員の勤務形態をさす。

授業セッションは「発表会」を中心に、1学期に2度、中間・期末の時期に合宿か長い一日がかりのミーティングをやる。それだけ。あとは自分でまとまった文章を書く。質問その他は必要を感じたときにぼくのオフィスに話にくる。雑談会もオーケー、もちろん。自分たちで読書会を組織したいなら、それに必要な助言その他は惜しまない。なんにせよ、出たくもない授業を単位のためにとるような愚行は、断固としておしまい。読み、書くのは、ひとりでやるしかない。

こっちの勤務形態としては、上記のような「授業」を学部1・2年むけ、3・4年むけ、大学院むけ、それぞれ20名・20名・10名限定で開講。あとはこちらのアウトプットをすべてウェブ上で行なう。

年間に、ハードな論文を3点くらいとエッセーを1冊分(360枚程度)、ウェブ上で発表する。また理工学部という特色を生かして、諸分野の研究室をたずね、研究内容についての聞き書きをまとめ、学部ページに発表する。このあたり、学部の「広報担当」も兼ねるというわけ。(もっとも「論文」と「エッセー」と「インタビュー」といった区別をつける必要もないし、長さをそろえる必要もない。すべての思考の種子を、そのまま出していけばそれでいい。)

そして役職上名乗るのは"Professor in the connective humanities."

授業形態は、別に目新しいことではない。たとえばアメリカのSt. John's College では、授業がない。学生はテューターと相談して、自分なりの読書リストを作る。それをひたすら読んでいって、最終的に口頭試問を受けて、卒業。完全に個人ベース、最初から最後まで真剣勝負。

そんなカリキュラムに、こっちの少しばかりの希望を入れてみたのが、上記のかたち。

大学はものすごい可能性のある場だ、それは変わらない。ところがその使用法は? 授業のやり方も、評価の仕方も、実質をめざして、根本的に見直していいのではないだろうか。いや、ではないだろうか、ではなく、見直していい。