The connective humanities などといってはみても、まったく実践していない。つまり、内容面での多領域の結合だけでなく、ウェブ・ベースの情報集積・交換・交流を含めて考えているのに、ぼくはそれをまったくやっていない。
まだ時間のバランスとして、紙の本を読んだり手書きでメモをとったりすることがほとんどで、オン・ラインになるのは厖大なメールの返事(それも大部分は2、3行)と調べもの、ときどき読むいろんな人のブログ訪問程度。
ほんとは自分のエントリーもきちんと内容のあるものを書き、書かれたコメントに返事をしたり、他の人のブログにコメントをしたり、あれこれとつなげる作業にとりくめばさぞおもしろいだろうなあとは思うが、いまはまだその方向に振り子がふれていない感じ。オン・ラインの時間は1日に30分以内に抑えたい(そうしないと何も進まなくなる)。だから所属する仮想「共同体」みたいなものはない。
それで、このブログも大半は毎週顔を合わせる学生のみんなに宛てた「お知らせ」と「報告」だけ。ちょっとおもしろみに欠けるね、たしかに。
文章の発表形態をウェブ・ベースに切り替え、このコミュニケーションのかたちをつきつめ、生きること、考えること、書くこと、知ること、動くことなどの起点をすべてこの画面からおこなうのも、たぶん可能にはちがいないと思いつつ、いまはまだ「紙」と「対面」の世界で生きている。
そんな中、ひどく感心するブログにもときどき出会う。ひとつは札幌大学の哲学者、三上さんのブログ。
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/
愛犬の風太郎をめぐるエントリーには、いつもじんわり涙がこぼれそうになる。さっきいった「生きること」から「動くこと」までの理想に関して、たぶん(少なくとも日本語世界では)もっとも遠くまで行っている人だ。日々の写真もすばらしい。
そしてもうひとつはカリフォルニア大学アーヴァイン校の批評家レイ・テラダのブログ Work Without Dread。
http://workwithoutdread.blogspot.com/
更新回数は少ないが、異様なまでの鋭敏さを感じる。
こうしたすべてが、完全に無償で提供されていることに驚くのは、すでにわれわれがいかに貨幣経済と消費主義に毒されているかを物語るものでしかないだろう。
無償の贈与への信。出版の現行形態がいよいよ追いつめられていることは日々実感しているが、人類の情報交換が次のステージに移行するまでには、まだちょっと時間がかかるのかなとも思う。まだしばらく、紙の世界にこだわりつつ、読んだり書いたり遊んだりしてみようか。