今週はほんとに雨が多い。どんどん秋の気配が深まっているのもさびしい。夏の仕事、まだまだ。今週も試練だ。
さて、同僚の清岡智比古さんのブログが異常に充実している。ほぼ毎日更新。
http://tomo-524.blogspot.com/
そこでマリエ・ディグビーという、アイリッシュ・アメリカンと日本人の混血の若い女性歌手のことを教わった。なんでも彼女、YouTubeに自分の歌を投稿し、そこから火がついたらしい。来日中とか。
アフリカではレコード産業をショートカットして新曲をまずYouTubeで発表するグループも多いらしいし。すごい可能性のある場だと思える。問題は、いろいろ見ていると、すぐに一日が終わってしまうこと! でも、たとえば(われわれの業界でいうなら)外国語の勉強だって、ほんとに計り知れないくらい容易な時代になった。それにもYouTubeはいろいろ役に立つ。
やる気さえあれば、ひとりで、そして外国に行かなくても、いくらでも勉強できるのだから、もう大学で「語学」をやる意味ってないのでは? と思えてくる。
断っておくが、ぼくは言葉の勉強をせずに「自動翻訳機にまかせろ」とか、そういうバカなことをいっているのではない。言葉のおもしろさは無限で、生の言語的コミュニケーションがもたらす高揚は、何物にも代え難い。「語学学校」というものに魅力を感じる人がいることだって、それは「コミュニケーションの練習」だから、というよりは、「それ自体がコミュニケーションだから」であることは、まちがいない。(かといって巷にあふれる英語学校を勧めているのではない。)
でもね、必修にして、「単位をください」とか平気で答案用紙のかたすみに書く一時的狂気の状態に学生たちを陥れてまで、「大学」のシステムにそれを要求する時代はもう完全に終わったような気がする。言葉の勉強は夢中になってやる人だけがやればいい。音楽のように。スポーツのように。恋愛のように。
話が逸れた。マリエ・ディグビー、ギターはうまくないけど、歌はさすがに聴かせる。日本人との混血といえば、去年からぼくがひいきにしてたのはニュージーランド人との混血のキャット・マクドウウェル。世界各地で、いろいろおもしろい子が出てきてる。いずれはアフリカ人と日本人の混血のスーパースターも、きっと出てくるにちがいない。ジャンルは音楽かも美術かも科学かもしれないけれど。
そして「日本」と「アメリカ」の「混血」、というような、まるで意味不明な表現が、誰の目にもおかしく見え誰の耳にもおかしく響くときが、必ずやってくるはず。(つい便宜的に使ってしまうが、それは悪い習慣。)