きょう、早稲田の学生たちと話していて、明治DC系の圧倒的な特異性がよく理解されていないことがわかったので、まとめておきます。
(1)理工系、文系、芸術系のいずれからでも進学でき、実際に第1期13名の出身学部が8名、3名、2名の割合になっている。
(2)修士修了の要件として選ぶのが、作品制作でも論文執筆でもよい。
このふたつをみたしている修士課程は、日本ではわれわれDC系だけだと思います。
そこで出てくる質問。たとえば。
「だったら、小説を書いて卒業することもできるのですか?」
答えはイエス&ノー。小説作品、もちろん大歓迎です。ただし、ディジタルメディアの応用という側面がある場合。写真との組み合わせ、動画やアニメーションとの組み合わせは、可能性のひとつ。あるいはもっと本格的なマルチメディア作品に、言語によるストーリーがからんでくる場合も。あるいは小説の執筆過程そのものに、たとえばハイパーテクストをなんらかの規則で組み合わせてゆくような(計算機の操作に頼らなくては果たせない)手続きが入っている場合。あるいはまた、メディア論的な観点が、作品そのものを深く規定している場合。
ただし作品として提出する場合には、外部的な評価をある程度うけることが必要です。小説なら、少なくとも部分的に、いわゆる「文芸誌」に掲載されるとか。
われわれはおそらく非常に高い水準を求めますが、その水準にまでひとりひとりの学生が飛躍的に技芸を向上させるためには、協力を惜しみません。
ぼくの夢としては、たとえばこれから、サハラ砂漠やアマゾナスの森林を歩いて横断しながら、リアルタイムでその報告を送ってくれるような学生が加わること。遠すぎる土地がむりなら、伊能忠敬や芭蕉の足取りをたどりつつ、映像と文章を送ってくれるような。そのプロセス全体を、「作品」として提示してほしいと思います。
あるいは、Hamish Fultonを知っていますか? ただ歩くだけのアーティスト。そんな歩行だって、DC系にとっては最高の修士制作になりえます。
あきれるほど自由なアイデアをもって、われわれのドアをいつでもノックしてください!