明治大学リバティアカデミーの連続講座「世界文化の旅・島めぐり編」。くぼたのぞみさん(ハイチのカーニヴァル)、林巧さん(香港やボルネオのおばけ話)、鈴木慎一郎さん(ゾンビとカリプソなど)につづき、きょうはぼくの番。
「島」の本質をめぐる駄弁のあと、ラパヌイ(パスクア島)とタヒチの首都パペエテのスライドショーを見ていただき、おしまい。まずまず楽しくやれた。
以下、女性作家たちの島旅からの引用。これを出発点として、島への旅がもつ意味を考えてみたというわけ。話しているだけで、またどこかの島に行きたくなった。
よしもとばなな『なんくるなく、ない 沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか』(新潮文庫)
その時に、もうひとつ面白いことを聞いた。
ちょっとした事故などでほんとうにびっくりしてぼうっとなってしまうことを「まぶいを落とした」と言うそうだ。まぶい、とは魂のことである。子供はまぶいが抜けやすいので、転んだり事故にあったり、驚いたことのあった場所に行って、まぶいを取り戻すというのは、あたりまえのことだそうだ。大人になってもあまりにびっくりすると、みんな普通に胸のところを手でたたいて「まぶやー、まぶやー、うーてくーよー」とまぶいを呼び戻すそうである。
すごく納得が行く。
大学時代を東京で過ごした学さんがなにげなく「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」と言った。その表現は私の心をノックアウトした。その後彼に風邪をうつされて二週間苦しんだことも帳消しになるほどの感動だった。(56−57ページ)
よしみさんはお嫁に行くときに魂が迷って実家に戻らないように、マブリツケという儀式をちゃんとしたそうです。両手首、両足首、そして首に聖なる糸をまいて、三日間はずしてはいけないそうです。そして、三日後にはずして、魂を自分の場所に置くそうです。その聖なる糸は、島の大地が育てた苧麻(ちょま)という植物で作るそうです。
なんて、すばらしい、意味のこもった儀式だろう。しびれますよ。(101ページ)
大竹昭子『バリの魂、バリの夢』(講談社文庫)
夢から覚めたとき、一瞬、ここはどこだろうと思った。やがて竹で編んだ天井がぼんやりと浮かんできて、バリにいるとわかった。外では動物たちがけたたましい鳴き声を上げていた。
声はいく種類もの動物から発せられているようだった。低音部には何の動物かわからない地鳴りのような声があり、中音部は猿や山鳩や牛たちの声で占められ、それに犬たちの競うような遠吠えと、「オカーサン」と叫ぶ鶏の声がかぶさり、さらにその上に、名も知らない南国の鳥たちが、いっときも休むことなくピイチクピイとさえずりながら華麗な装飾音を付けていた。
それまで何度もバリに来ていたが、こんなにたくさんの動物の合唱を聞いたのははじめてだった。水田と谷という地形の組み合わせが増幅効果を発揮して声の響きをよくしたのか、まるで巨大なオーケストラを目の前にしたような大音響だった。奇妙な夢の謎は解けたが、私は寝付けなかった。夜明けに動物たちはこんなにも大きな声を上げて鳴くのかと、一種の感動をもってベッドの中でその声を聴きつづけた。
空が明るくなるに連れて、ステレオのボリュームを絞るように合唱の声は小さくなった。鳴き止むのではなく、まわりに合わせてみんなが少しずつ音量を下げていくのである。そして朝日が差し込むころには、すっかり聞こえなくなった。
動物たちの声が静まると、こんどは人間の時間がはじまった。宿で働く青年たちのやや高くつぶれた鼻音のバリ語や、コンクリートをはく竹ぼうきの音や、ペタペタというゴムゾウリの音が聞こえてきた。それはかいがいしさとさわやかさが入り混じった、私にも馴染みのある島の生活の音だった。
それにしても動物たちはなぜ一日のはじまりにあのような大声を挙げるのだろうと、私は考えた。よそ者を警戒する声でも、異性を引きつけようとする声でもなかった。声楽家の発声練習のような、純粋に声を出すための行為のように思えた。人間がラジオ体操や太極拳で体を動かしてから一日をはじめるように、動物も発声をして声の地ならしをするのではないかと想像したのである。(279−280ページ)
ガムランの楽器は銅鑼と太鼓とチェンチェンというシンバルに似た青銅楽器で構成され、メロディーはない。音域の異なる楽器が別々のリズムを刻んでいるだけなので、一見、でこぼこして不揃いな感じがするが、よく聴くと全体から立ちのぼる空気に統一感があり、体の各部分を細かく刺激されるような、えも言われぬ快感があった。
私はそのとき、明け方に聞いた動物の鳴き声を思いだした。個々の声が響きあい、重なりあって生まれる音の層には、指揮者はいないのに音の調和が感じられた。音のうねりが大地を渡っていくような、そんな印象を受けた。ガムランもおなじことなのではないか。(281ページ)
スザンナ・ムーア『神々のハワイ 文明と神話のはざまに浮かぶ島』(桃井緑美子訳、早川書房)
どの島にも太陽の光がたえず降りそそぎ、雨もたっぷり降る。海面から3000メートル弱のところを吹く北東の貿易風は、海上に湿気を含んだ重たい空気のうねりを生む。島はそれぞれ幅の狭い浅瀬にかこまれ、その先で急に海が深くなるため、魚の量が豊富で漁に適している。
ハワイ諸島に最初に定住したとされるのは、西暦600年ごろに南太平洋のマルケサス諸島から外洋用の大型カヌーに乗ってやってきたせいぜい数百人のポリネシア人だった。彼らがなぜ危険な洋上の長旅をくわだてたのかはよくわかっていない。おそらく漂流者か、戦争を逃れてきた難民か、あるいは王権争いの敗者の残党か、飢饉に見舞われた人々だったのだろう。北東の方角に山だらけの列島があるという神話を頼りにやってきたのかもしれないし、たんに好奇心から流浪してきたのかもしれない。理由はどうあれ、彼らは太平洋特有の海流と風にずいぶんたすけられたはずだ。わたしはクック諸島に住むマオリ族でカヌーをあやつる達人から、海に手を入れただけで、水温、風向き、海流の方向、陸地までの距離、水深など、なんでもわかると聞いたことがある。
移住者は、ヤム芋、パンノキ、タロ芋、桑、治療や呪術に使う植物など、30種をもちこんだ。野鶏、野豚、犬、そして故意ではないだろうがねずみも運んできた。彼らが上陸したとき、ハワイ諸島に生育する植物で食べられるのはシダとハラ(タコノキ)だけだった。鳥(マルケサス諸島から動物がもちこまれるまでは天敵がいなかったため、飛べない鳥もいた)と蝙蝠も食料になった。タロ芋、さつま芋、さとうきび、クズウコンをはじめ、そのほかの根菜や木もすぐに栽培されるようになった。
(……)
クックが上陸した当時は約1300種の種子植物がハワイに繁茂し、その9割は世界でもここでしか見られないものだった。(……)友好的なヴァンクーヴァー船長は、ソシエテ諸島から羊と山羊のほか、オレンジの若木ももちこんだ。だが、カリフォルニアから牛を導入したせいで、一部の鳥ばかりかハワイに固有の植物の多くを絶滅させてしまったのもヴァンクーヴァーだった。(……)20年後にウィリアム・エリスはたいへんな数の牛が丘から丘をうろつくすさまじい光景を目にした。牛や馬は草葺きの屋根を食べて島民の家を壊しもした。
(……)
「森林火災と動物と農業がこの5、60年で島を大きく変えてしまい、いまではある地域を何キロ歩いても固有の植物は一つとして見つからない。さまざまな国からもちこまれた雑草や低木や牧草が地面をびっしりと覆っている。驚くべきことに、ハワイ諸島では熱帯植物と温帯植物の両方が同じようによく繁茂し、その多くは魔法をかけたように広がって、土地固有の植物の大半をたちまち絶滅させたのである」 [1885年、F・シンクレア夫人]