20日(火)、池澤夏樹個人編集という画期的な「世界文学全集」(河出書房新社)の発刊を記念するシンポジウムを聴きに東大文学部に行った。今学期、非常勤でフランス語系アフリカ文学を教えている東大駒場の学生のみんなと。本郷キャンパスは闇が濃くて、さすがに歴史を感じさせるが、構内にカフェができたりして東大もずいぶん変わったもんだ。それはともかく。
現代日本語の作家でたぶんもっともよく「世界文学」に自覚的な、つまりは「翻訳文学」をもっともよく読んできたひとりであるにちがいない池澤さんは、前日に現在住んでいるフランスから着いたばかり。進行はアメリカ文学の小さな巨人、柴田元幸さん。他のパネリストはロシア・ポーランド文学の沼野充義さん、そしてトロントのヨーク大学で教えるデンマーク出身の日本文学者テッド・グーセンさん。すばらしい顔ぶれで、世界文学をめぐる笑いの絶えない楽しい議論が続いた。
池澤さんのお話では、24冊を選ぶことの意味、が印象的だった。根拠なく24、しかしその限定が大切。限定されていて、なるべく普遍的なものをめざす。全体として、The world according to Literature、つまり「文学によると、世界は」という像を提示する。
このシンポジウムのタイトルは「世界解釈としての文学」だったが、これを柴田さんは「私にとってセカイってこういう感じです、という自由研究の発表みたいなもの」とさらりと表現していた。なるほど。この24冊のセレクションに日本文学は入っていないが、もし入れるとしたらどうするというグーセンさんの質問に対して上がった大江健三郎、中上健次、村上春樹という名前に、池澤さんがさらに石牟礼道子『苦海浄土』を加え、もし一冊となったらこれ、とおっしゃったのには感動した。
柴田さんとは数年前の立教のシンポジウムで、沼野さんとは昨年の名古屋市立大学でご一緒したが、お二人ともほんとうに話し上手。そして柴田さんのユーモアは、いつも見習いたいと思いつつ、はたせない。ユーモアと即興の才は「話」の決め手だが、文学という「文」の仕事もじつは「話」の裏打ちに支えられてゆたかになることを、改めて思った。
この世界文学全集の第1回配本は青山南さんによるジャック・ケルワックの『オン・ザ・ロード』。ぼくにとっても特別な作品だ。シリーズの刊行を追いつつ、ぼくも「世界文学」との関係を新しく考え直してみたい。この土曜日には早稲田で講演する。タイトルは「翻訳=世界=文学」。構想は固まってきたが、これから準備。興味がある人は、覗いてみてください。