ここは台湾中部、鳳凰山麓の林間キャンプ、渓頭青年活動中心。昨年度はじまった映像制作ワークショップ、ImaginAsiaの第2回が進行中です。
今年は国立政治大学、明治大学に加えて、タイのチュラロンコン大学、香港バプティスト大学、南カリフォルニア大学からも学生・教員が参加。国籍だけで13の国/地域を数える、本格的な国際ワークショップとなりました。
初日の晩、ぼくは自作の連作詩「非在の波」を黄耀進さんの中国語訳つきで朗読。倉石さんは韓国の写真家ブン・ムーンの海と雪景色を撮ったきわめて喚起力の強い写真連作について周到な発表を行いました。さらに南カリフォルニア大学と香港バプティスト大、政治大学の学生たちの作品例が上映されました。
2日目の晩には南カリフォルニア大学でアニメーションを教えるフィリピン系映像作家マール・エレパーノMar Elepanoによる感動的な基調講演。映像の本質に鋭く切り込んで行く、非常に興味深い内容でした。
ぼくはアニメーションを真剣に考えたことがなかったので、学生のひとりとして多くを学びました。
(1)アニメーションの表現言語は映画(伝統的フィルム映画)の表現言語をそのまま受け継いでいる。
(2)かつてはフレームからフレームへの移行のあいだに変化が生じたものをアニメーションと呼んでいたが、いまはピクセルからピクセルへの移行のあいだの変化がそれにあたる(したがって、デジタル映像において、実写とアニメーションのあいだに差はない、すべてはアニメーションだ=ぼくの解釈)。
(3)アニメーションにおいては、制作者が自分自身の俳優になれる。
特に(3)が大きな魅力かもしれません。すでに創立から80数年が過ぎている南カリフォルニア大学のあの伝統の映画学部、少し前までは映画・テレヴィジョン学部だったものが、いまではシネマティック・アーツ学部と呼ばれています。つまり、もはやフィルムもテレビもアニメーションもなく、すべてはディジタル技術によって展開される「動画芸術」だというわけでしょう。
南カリフォルニア大学の学生たちのアニメーション作品はいずれも驚嘆すべきレベルの高さで、息を飲みます。すぐにでもハリウッドの最前線で制作に携わることのできるかれらなのだからあたりまえかもしれません。しかしその一方で、たとえば台湾出身の学生による蘭嶼のトビウオ漁を主題にしたものなどは、ひかえめな手描きの表現によるすばらしいアニメーションで、ごくふつうの意味でのドローイングのうまさ、デッサンのうまさといった手技が生きています。
いうまでもないことですが、ディジタル技術と手のスキルは背反するものではなく、アナログ表現の洗練がその意味を失うことはありえません。ゲームばっかりやってないで、デッサンの練習とか木工とか園芸とか料理とか楽器演奏とか、全般的に手を鍛えることをぜひめざしてほしい。その上で、シネマティック・アーツの可能性は、世界的な視覚言語の創造=想像に直結します。
以上、標高1170メートルからの報告でした。