大学教師はヒマだと思われることが多い。高校や大学時代の友人は、まちがいなく全員がそう思っている。別にどう思われてもいいが、こっちはこっちで結構やることが多くて、ある一続きの予定をこなすと夕方ぐったりすることがよくある。たとえば今日なんか、これからの予定を書くと。
05:30 目が覚めてしまい、そのまま起きる。メール返信。
06:00 犬の散歩(短時間コース)。
06:30 家を出る。職場にむかい、授業準備。
08:50 以後、正午まで英語の授業2コマ。
12:00 大学院DC系打ち合わせ。
12:30 「フラ語クラブ」。
13:00 来客。むりやりつきあってもらい学食でお昼。
13:30 総合文化教室の会議。15:00ごろまで。
15:30 教授会。学生部の報告。17:30ごろまで。
17:30 科研費をどうするか、同僚と相談。
18:30 郵便物などいろいろ片付けて、職場を出る。
夜、フランスのラッパーのステージを観に(聴きに)行きたいが、しめきりをすぎた原稿が2本あるので無理だろう。
で、夜になってやっと読んだり書いたりの時間。大学教師といっても、授業、学部業務、研究の3つを絶えずこなさなくてはならない。それがいわゆる「忙しい」感じのときは、このうち「研究」の時間がどんどん失われていく。読み書きはこまぎれでも少しずつは進むが、理系の研究者の同僚たちは大変だろうなあと思う。つまり、一つながりで確保しておかなくてはならない時間が必要ならば。しかも、一般に評価されるのは「研究」だけ。
いい大人が電車の中で居眠りするのは本当にみっともないけれど、本を開いて読んでいるうちに、ばくすい。このへん、どうにかしたいものだ。この週末、ぜひ山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きたいと思っていたが、そして富山の発電所美術館ではじまる内藤礼さんの新作展に行きたいと思っていたが、どちらもかなわぬ夢に終わりました。