Monday, 17 September 2007

『路上』はフランス語ではじめられた

この9月の(ぼくにとっての)最大のニュースはこれだ。ビート世代の聖書といわれ、「アメリカ」がみずからを再発見する大きな機縁となった小説が、ジャック・ケルアックの『路上』。1957年9月5日に発売されたこの作品は、今年で半世紀の記念日をむかえた。それに合わせるかのように、現在日本語でも、青山南さんによる新訳が準備されているらしい。

先日ケベックの新聞「Le Devoir」をオンラインで読んでいると、すごいニュースにぶつかった。ケルアックのこの代表作が、もともとフランス語で書きはじめられたというのだ! ケルアックの家庭はフランス語系カナダ人がマサチューセッツ州ローウェルに作ったコミュニティの一員。両親はフランス語で話し、子供時代のケルアックももっぱらフランス語で育ったのだから、それはむしろ当然の選択だったのかもしれない。

父親からは「ティ・ジャン」(ちびジャン)と呼ばれた彼にとって、文学的血縁関係はむしろバルザック、プルースト、セリーヌにあったのかもしれない。1951年1月19日、彼は『路上』の冒頭10枚ばかりをフランス語で書きはじめた。その後は、たぶん中断の後に、英語でやり直したのだろう。それは現実の言語的困難のせいだったのかもしれないし、仮想読者や、発表の場その他の実際的問題を考えてのことだったのかもしれない。

ケルアックという変わった名前は、ブルターニュ系。彼が現実にフランス語で書き残した短編小説には、マサチューセッツ州の内陸部からニューヘイヴンに引っ越した両親のエピソードが出てくるそうだ。引退し、海辺に引っ越して、父親のレオは息子に言う。「ティ・ジャン、おれは海に戻ってくることができたよ。」レオの目には涙。フランスの大西洋岸、海の土地であるブルターニュ系の男にとって、目の前に広がる大西洋はどれほどの感情的な意味をもっていたことか。

「おれはニューイングランド生まれのフランス系カナダ人。怒っているときにはフランス語で毒づくし、夢はしばしばフランス語で見る。泣きわめくときがあれば、それはいつもフランス語」とケルアックは言っていたそうだ。この角度から見ると、あのメランコリックな表情に別の次元が加わる。そして『路上』の数々の風景にも、また別の光がさすようになる。移民文学としての『路上』が見えてくる。