8月4日、和歌山県新宮市での熊野大学のシンポジウム「20世紀の芸術と文学」に参加。名古屋から「南紀1号」に乗り、三重県を延々と走るとこの県が南北にすごく長いのがわかる。南端近くの尾鷲までくると山が海に迫り荒々しい。そこからすごい水量の美しい熊野川をわたれば新宮。20世紀後半の日本のもっとも偉大な小説家・中上健次のふるさとだ。
中上さんがはじめた熊野大学は、92年に彼が46歳で亡くなってからも、友人たち、彼を慕う若者たちによりずっと続いている。希有のことだが、それだけ中上さんが与えたものの比類ない大きさが偲ばれる。スピーカーとして招いていただいたのは、本当に感謝の言葉も見つからないほどの幸運だった。
まず中上さんのお墓参りに連れていってもらい、それからただちに会場へ。パネルは非常に大きなテーマだったので、話は拡散し延々と続くことになった。一応ぼく、岡崎乾二郎さん、柄谷行人さんの順に話し、司会・進行役の高澤秀次さんが介入し整理したあとで、後半はどんどん錯綜する自然成長性の響宴。どんなテーマになろうと(ラファエル前派だろうがヒトの進化史だろうが)適切な図像が飛び出してくる岡崎さんのマッキントッシュが、魔法の箱みたいだった。
結局、ぼくに貢献できたのはカリブ海の大作家エドゥアール・グリッサンの代表作『第4世紀』の紹介のみ。だが、ぼくの訳でグリッサンの作品を中上さんに読んでもらえなかったのは、本当に残念でならない。美術家で批評家の岡崎さんはまぎれもない天才。あんなに発想力のある人には会ったことがない。
そして、なぜかこれまで一度もお目にかかる機会のなかった柄谷さんは、ぼくらの世代の者がもっとも深く影響を受けた文芸批評家にして思想家。かつて柄谷さんと中上さんの対談『小林秀雄を超えて』が出たとき、ぼくの卒論の指導教官だった阿部良雄先生が「そう簡単に超えられるもんじゃありません」とおっしゃっていたのも、なつかしく思い出す。だが批評家はいまも誰よりも鋭く誰よりも元気で、きびしく、また心遣いにあふれた発言で、場を作ってくださった。
話はつきず、4時間半におよんだシンポジウム、2時間あまりの宴会ののちも、中上さんをめぐり世界史をめぐって延々とつづき、結局午前3時まで。すさまじく濃密な一日となった!
途中、午前1時ごろ、中上の伝記作者でもある高澤さんが、ホテルから歩いてすぐの中上の生家付近へとぼくを案内してくださった。ここが切り通し、ここが尾根。ここからここまでが作品に登場する「路地」。ここが。深夜の街灯に照らされた一角はなんということもない住宅地で、しかしここをすべての創作の源泉として、彼の偉大な作品群がつむがれたのだ。
ぼくはうなだれ、翌朝、日曜日、またひとりでこの一角を歩いてみた。8月の空。すでに暑い。
帰りの電車では岡崎さんにいただいたすばらしい作品集「ZERO THUMBNAIL」に見入り、また中上紀さんにいただいた長編小説『月花の旅人』を楽しく読みながら名古屋にむかった。
熊野の山にも海にも本当にふれることのなかった短い旅だったが、強烈だった! こんどはひとりでふらりと、この土地を訪れたい。そして紀州、ミシシッピ、マルチニック、すべての小さな土地をむすびつけることを、これからの自分の仕事の上で、中上さんとの小さな約束としてはたしたいと思う。