Friday, 3 August 2007

音楽と交通

たまたま手にした小さな雑誌、「ぐるり」(ビレッジプレス)。300円という値段がかわいい。その6月号に、音楽家・港大尋のインタビューが載っていて、非常におもしろかった。聞き手は田川律。

港さんは1969年生まれ。ピアニストにしてサックス、ドラムスもこなし、「ソシエテ・コントル・レタ」で活動する。このバンド名はフランス語で「国家に抗する社会」。夭折したフランスの人類学者ピエール・クラストルの著書の名前だ。

ピアノをはじめた理由がおもしろい。「僕はドラムをやっていたんだけど高校生の時にジョン・コルトレーンをものすごく好きになって、サックス吹きっていいなあと思いながらも、ドラムとサックスを足して二で割るとピアノになる、という消極的な理由からピアノに進んだんです。ピアノはメロディも出るしリズムも出るし」。

この発想が、すでに常軌を逸している。それからグレン・グールドが大好きになり、「バッハの鍵盤曲は結構隅から隅まで弾き倒した」という。

現在の彼はブラームスからレゲエ、アフリカから沖縄までこなす幅の広さをもって、小中学校や聾学校でのワークショップ、日本語による自作のボサノバなど、すさまじい着想にあふれた活動をくりひろげているようだ。たとえばブラームスについて、こんな思いがけない発言が聞ける。

「ブラームスは本当にリズム的なアイデアがすごく豊かなんですよね。なんというか、バッハもモーツァルトもベートーベンもしなかったリズム・テクスチャーというのかな」。

ここで注目したいのは、ベートーベンにしてもブラームスにしても、黒人音楽的なリズム感から影響をうけているという点。ブラームス本人がそれを意識していたかどうかはともかく「バッハは間接的には受けていると思いますよ。アフリカからスペインを経由してどんどん北上していくようなリズム感の流れってあるんですよね。バッハのピアノ曲にはものすごくアフリカのパーカッション的なリズムの曲がありますからね」。

そしてもうひとつ、鍵盤楽器の特殊性について。沖縄の伝統音楽の拍節感が「譜面にならない」ことに関して、彼はこういう。「ピアノというのはある意味で本当に重力の楽器なので」「ピアノ音楽というものは解決を求めるもの、不安定なものがあって安定にむかうもの」だそうだ。ところが沖縄では「全然重力の捉え方や感じ方が違うので、だからピアノと決定的に相容れない」。

キリスト教ではなくイスラムが多かったアフリカでも鍵盤はあまり流通しなかったようなのだが、「アメリカに連れてこられた黒人だってアフリカで育ってああいう打楽器を持っていた。そして、鍵盤に出会った時に生じた『じゃあ、これをどうしたらいいんだろう』というテンションの中から多分ブルースとかジャズが生まれてきたんだと思うんですよね」。

目を開かれることの連続だ。

ブラームスのアフリカ性。それこそ、いま計画中の「世界アフリカ研究所」の、大きな課題となる種子のひとつにちがいない。

大尋さんには、彼が中学生のころ、一度だけ会ったことがある。ぼくの友人の写真家・港千尋の、九歳下の弟なのだ。あれは虎ノ門、アクシス本社での、港くんの最初の写真展のときだった。大尋さんは覚えていないと思うが、いつか彼の演奏を聴きに行きたいと思っている。