きょうの午後はお茶の水。情報コミュニケーション学部3、4年対象の関口裕昭さん(ドイツ文学、パウル・ツェラン研究の第一人者)の授業「比較文学」に、清岡智比古さんとともにゲスト参加し、翻訳について話す。翻訳そのもの、というよりも、ヒトの世界認識に必然的に関わってくる操作か。ぼくが論点をあげ、説明し、それに清岡さんがコメントを加える。
70名ほどの学生の、少なくとも半分以上は熱心に聞いてくれた感触。寝てたやつらは、まあ、つねに眠るために教室に来ているのだろう。いつか目を覚ますことを願う。そんな風に寝てると人生がムダになるぞ。
終了後、ぼくの小詩集を紹介すると、興味をもって購入してくれる子が何人も現われた。7部もっていて、即時完売! 別に商売に行ったわけではないが、こうして新たな読者と出会うのも楽しいことだ。
明治はつねに詩と特別な関係をもっていた。田村隆一のようないい詩人を生み、飯島耕一、入沢康夫、渋沢孝輔、安藤元雄など、何人もの詩人が教えてきた。その伝統(?)を、少しずつ、前に進めて行きたいもの。
詩は短くて、すぐ読める。しかも、くりかえし読める。覚えてしまえば、何度でも思い出して考えることができる。楽しむことができる。詩を読む習慣を大学生のころにつければ、一生楽しむことができる。
これからもそのことを、くりかえし話してゆきたいと思っています。