Sunday 10 March 2019

ジョージタウン大学にて

ジョージタウン大学で開催中のアメリカ比較文学会、"The Achievement of Suga Keijiro"と題された2日間のセミナーが終了しました。8人の研究者がぼくの仕事についての発表をしてくれるという稀な機会。まあ、最初で最後でしょう。みなさんに心から感謝します。

和氣久明さんの発表は、2000年から日本で教えはじめたぼくの教員としてのキャリアと文筆の仕事の関係について。以前彼が教えていたメイン州ベイツ・カレッジに招いていただいたときのことも、なつかしく思い出しました。

レイ・マゴサキさんは「批評としての詩」について。特に「4」という数字がもつ意味について、彼女のおじいさんが経営していた旅館の、おもしろいエピソードが印象的でした。

上野俊哉さんは、ぼくがいろいろな本に書いた「訳者あとがき」に焦点を合わせ、リオタールのパガニズム(異教)がぼくにとってもつ意味を正確に指摘してくれました。

ダグ・スレイメイカーさんは、今回のセミナーの企画者。ぼくのおなじみのトーテム動物たち、コヨーテ、犬、こうもりが、翻訳という営みに対して果たす意味を論じてくれました。

田辺裕子さんは最年少参加者。ぼくの旅行記の細密な読みを通じて、場所の神話(とりわけハワイの場合)の使い方を明るみに出してくれました。

ジョーダン・スミスさんはぼくの詩を、人間が片隅に小さく描きこまれる中国の山水画と並べ、スケール感の変化という特徴を指摘。ジョーダンは現在の東京における、わが詩的兄弟。5月にはモロッコで一緒に詩のフェスティバルに参加します。

小田透さんは思想史研究者。「認識論としての旅/翻訳」という主題を、いまではほぼ忘れられたぼくの40代はじめごろの文章から救出してくれました。東浩紀さんの観光論との対比も、興味深くうかがいました。

ショシャナ・ガンツさんはぼくの作品のエコポエティックな面に集中して、いくつかの詩を震災=原発事故後の状況と重ね合わせて読み、さらにカナダの現代詩人ロバート・ムーアと並べる見方をしめしてくれました。

最後にぼくが自分のエッセー「詩学」を紹介し、新作の「ハバナ詩片」からの16行詩をひとつ読んで、おしまい。夜はトルコ料理店で楽しい夕食をともにして、みんなそれぞれの場所と仕事へ帰ってゆきました。

小さなお祭りみたいなものですが、ぼくにとっては大きな一区切り。1960年代、70年代、80年代、90年代生まれのみなさんからの意見を聞けたことは、何物にも替えがたい財産です。まだまだ新しい道を探れるという気分になりました。次の展開をおもしろくすることで、みなさんへのお礼としたいと思います。ありがとうございました、またどこかで、またすぐ!