まずイントロ代わりにぼくの短い文章"Poetry, Philosophy"を読む。ついでキューが自分の著書Reading Descartes Otherwise: Blind, Dreamy, Mad and Bad の一節を引きつつ書いたごく短い文章"What is Thinking in the Age of Computational Thinking? A Philopoetic Cogitography"を読みつつ、注釈。これが前半。
後半は高山明さんによるヘテロトピア・プロジェクトの解説。というのも東京、北投とつづいてきたヘテロトピアは現在アテネ近郊のピレウスを舞台に「ピレウス・ヘテロトピア」を制作中で、この作品のためのテクストを執筆する7名の作家のひとりとして、キューに参加してもらっているからです。高山さんの話のあと、ふたたびぼくの短い文章"Heterotopia as I See It"を読み、あとは参加者のみなさんとのディスカッション。
とりわけ細胞生物学者の田中庸介さん(東京大学)、コンピュータ科学者の福地健太郎さん(明治大学)の的確なコメントのおかげで、大きなひろがりが出て、刺激的な場になりました。
キューとぼくが出会ったのは2001年9月12日のロンドン。SOASでの学会ですが、アメリカからの参加者の大半が前日の事件のために渡航できなくなるという事態になり、アルフォンソ・リンギスのキーノート・スピーチもキャンセル。さびしくなった各セッションは、なぜかその分、異様な熱気が立ちこめていましたが、中でもキューの話しっぷりのおもしろさ、その内容の濃密さには強い印象を受けました。そのとき以来、文学についても哲学についてもどんな話でも 受けとめてくれる親友です。
彼女はこれから中国での講演にむかうとか。旅する哲学者、考えることを考える人とのひとときでした。
キューとぼくが出会ったのは2001年9月12日のロンドン。SOASでの学会ですが、アメリカからの参加者の大半が前日の事件のために渡航できなくなるという事態になり、アルフォンソ・リンギスのキーノート・スピーチもキャンセル。さびしくなった各セッションは、なぜかその分、異様な熱気が立ちこめていましたが、中でもキューの話しっぷりのおもしろさ、その内容の濃密さには強い印象を受けました。そのとき以来、文学についても哲学についてもどんな話でも 受けとめてくれる親友です。
彼女はこれから中国での講演にむかうとか。旅する哲学者、考えることを考える人とのひとときでした。