昨年の震災後にスタートしてこの4月まで、一年ちょっとのあいだ大竹昭子さんを中心にサラヴァ東京を舞台につづいてきた小さな文学運動が「ことばのポトラック」。その全貌(ほぼ)が本のかたちをとりました。春風社刊。
http://www.amazon.co.jp/ことばのポトラック-大竹昭子/dp/486110310X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1334147920&sr=8-1
大竹さんの「あとがきにかえて」から引用します。
「そもそも、なんのためのイベントかと訊かれても、うまく答えられないのが『ことばのポトラック』でした。毎回、入場料から義援金をプールしましたが、チャリティーが目的ではなかったし、声にだして朗読したと言っても、それを被災地に届かせようというつもりはありませんでした。結果として届けばいいけれど、それを目論んだわけではなく、きわめて個人的な書くという行為をそれぞれの場でおこない、収穫物を持ち寄ったに過ぎないのです。」
そう、そのとおり。それではこの運動に何かの意味があったのか?
その答えのためには、本書収録のすべての作品の中でも大竹昭子「涙と水滴」、そして保坂和志「日々と拠点、またはコンちゃんの話」を読んでみてください。どちらも主題はsympathyです。つまり、パトスの共有。
言語作品という、それ自体からっぽで無力なものが、人と生物の社会の中で少しでも意味をもつための鍵は、それ。「ポトラック」は震災を主題化したのではなく、われわれにとって突然に不可避のものとしてやってくるsympathyとそれがもたらしうる可能性について語ろう、語ってみよう、語ることができるだろうか、そのむこうに何らかの実用性、新たな関係が見えてくるだろうか、生きられるだろうか、という試みと問いの複合としてありました。
「ポトラック」と並行して、ぼくは『ろうそくの炎がささやく言葉』の企画に関わってきました。そちらも精神の大きな部分を「ポトラック」と共有しています。
ムダといえばムダ、でも文学はもともとその程度にムダなものでした。そしてそのムダによってでなければ誰にも見えてこない、別の場所、別の心があることは確実です。
この運動をつうじて知り合い、あるいは出会い直すことのできた、すべての友人たちに感謝します。そしてとりわけ、大竹昭子さんと、サラヴァ東京のアツコ・バルーさんに。ありがとうございました!