日曜日の最終日、またまた駆け込みで世田谷美術館に行ってきた。千歳船橋から環八沿いに歩いて25分くらい。展覧会は『パラオーーふたつの人生』と題されている。夭折した作家の中島敦と、画家で詩人の土方久功(ひじかた・ひさかつ)のパラオ滞在に焦点を充てた、非常に充実した、感動的な展覧会だった。
中島敦は、ぼくは中学生のころからのファンで、全集ももっていたが大学時代のある日、血迷って古本屋で売ってしまったのが悔やまれる。端正な文章、まっすぐ刺さる主題、その彼の本格的な作家生活がわずか8ヶ月だったとは驚きだ。この展覧会では、何よりその字のうまさが目立つ。自筆原稿をファクシミリした『弟子』を、つい買ってしまった。お習字のお手本にします。また日本に残してきた幼い息子に宛てた葉書の数々もほほえましい。息子からの手紙の誤字を叱る手紙などは、なんという教育パパかと驚く。そして、30歳で死んだ。南洋に行かなければもっと長生きしたかも、と思う人も多いだろうが、それは意味のない仮定。
土方については、学生時代から興味をもっていたが、特に追求することもなかった。著作集も手にとったことがなかった。今回、彼の絵を、彫刻を、詩を、書簡を見ると、ぐっとくる。彫刻がすばらしい。四本指でしっぽのある平行人類としかいいようのない二人が抱き合う作品など、驚くべき力強さ。猫と犬のあいのこみたいな「猫犬」の愛らしさ。そして詩がすばらしい。詩人の詩ではなく画家の詩だが、直截的な力のある、すなおな言葉が続く。そして日記では、9歳下の敦のことを弟のようにかわいがるまなざしが、なんとも温かい。
土方の詩にあった。言葉は忘れたが、自分が歩んできたこの道は結局、自分だけのためにあったもの、という内容。アーティストの道は、そのとおりだろう。自分の論理だけを追求し、他には目もくれない道。アーティストじゃなくても、ほんとうはそんなふうに生きたいのに、ついつい他人本位になってゆく。「自分本位」という、漱石がこだわった言葉を、たまには思い出したいもんだ。
武藤政彦という人の「ムットーニのからくり書物」も印象に残った。ジオラマ狂いの少年が成長し、文学作品の一部をマルチメディアの電気紙芝居的作品として構成する。楽しい、楽しい。「自動人形師」というそうだ。いままで知らなくて、バカだった!
もう少し早く見ておけば、みんなに勧めることもできたなあ。これから、できるだけ、そうする。美術館。たまには出かけてみよう、排気ガスの雲の中を歩いてでも。