12月11日(日)、京都のセントロ(中心街)にある立誠シネマで『あたらしい野生の地ーリワイルディング』をめぐるトーク・イベントを行いました。建築・都市・領域研究者の松田法子さん、歌手の松田美緒さんの松田シスターズと(姉妹ではないけれど)。映画が扱うオランダの土地の特性、各地での人と土地の関わりにはじまり、いろいろな話題が飛び出す、きわめておもしろい展開になりました。
南相馬の土地を扱った短篇ドキュメンタリー『水の記憶、土の記憶』(古木洋平監督)の上映をはさみ、最後は美緒さんが特別にアカペラで歌ってくださって、しめくくり。
ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。 『リワイルディング』の上映は各地でつづいています。ぜひ、どこかで、ごらんください!
Thursday, 8 December 2016
連詩「見えない波α」
新しい連詩プロジェクト、開始しました。『地形と気象』とおなじく左右社のサイトにて連載。ぼく→暁方ミセイ→石田瑞穂→ゲストの順番で1巡、それをくりかえして行きます。
詩の形式は1、2、3、4、5行で計15行の構成。高まり打ち寄せる波のかたちの模倣。
ぜひ、お読みください。まずは瑞穂さんの序と、ぼくの出帆の1篇です。
http://sayusha.com/webcontents/c16
詩の形式は1、2、3、4、5行で計15行の構成。高まり打ち寄せる波のかたちの模倣。
ぜひ、お読みください。まずは瑞穂さんの序と、ぼくの出帆の1篇です。
http://sayusha.com/webcontents/c16
Tuesday, 6 December 2016
「すみか」展のために
明治大学生田図書館のギャラリー・ゼロで開催している「すみか」展のために書いた文章を、ここにご紹介します。生田付近にいらっしゃるとき、ぜひお立ち寄りください!
「すみか」について
管啓次郎
父方の故郷、大分県南部の沿岸地帯では、海にもぐることを「すむ」といっていた。すんで、さざえやおいず(とこぶし)を採る、あるいは魚を突く。だがそもそも「すむ」とは何を意味するのだろう。海の中でぱっちりと目を開け、澄んだ視線で対象物を見ること。水の中でゆったりと海洋性哺乳動物のように動き、海水という媒質と一致してただよう。心が「澄む」とは心がおちつくことで、「住む」という行為は心も体もその場におちつき、しっくりと馴染むということだと考えればいいのだろうか。
英語でdwellingといえば、それは「居住」という行為と「住居」という場所を同時に表す。つまり、「すむ」という行為によって開かれるのが「すみか」であり、「すまふ」という(現在進行を表す?)行為によって定まるのが「すまひ」だろう。「すむ」主体は人には限らない。あらゆる生物が、地表にすみ、すみかを打ち立てる。すみかでは、主体は周囲の環境とのあいだに密接な物質交換をおこない、痕跡を残し、記憶をつみ重ねる。そこに履歴が生じ、情緒の虹が発生する。
われわれの社会は、その意味でいえば、二次的な虹だ。人間の経験は、与えられた空間を「場所」として徴づける。個々のわれわれは、何らかの光源を得るたびに、その場所に自分だけの虹が立ち上るのを見る。そんな虹の群れの上に、集合的な幻想のように、巨大な社会化された虹が生じている。個としての「すみか」の開拓の上に、われわれがどれほど望んでも一望におさめることのできない、大きな地平がひろがる。
その地平はそのまま「地球」という球体に接続される。この惑星の有限性、産業革命以後の人間の活動がそれに与えてきた負荷、途方もない破壊。まともに考えれば、未来はあまり明るいものとは思えない。それでもわれわれは、一回ごとの生において、「すむ」という挑戦をやめるわけにはいかない。 “Since my baby left me, I’ve got a new place to dwell…” そう、「ハートブレイク・ホテル」でプレスリーがとっくの昔に教えてくれたように、どんな絶望もdwell という動詞を帳消しにすることはできない。きみのdwellingは、今日また新しくはじまる。
Monday, 5 December 2016
「声の氾濫」
来春からスタートする新しい大学院プログラム、建築・都市学専攻総合芸術系(PAC)のシンポジウムとして、3日(土)、明治大学アカデミーホールで、「声の氾濫」というイベントを開催しました。
ぼく、温又柔、木村友祐、姜信子。4人の作家がそれぞれ「声」を主題とする新作を朗読し、それにそれぞれが選んだ音楽家たちの音がからむという趣向。音楽家はそれぞれ、内田輝、小島敬太+伊藤豊、岡田修、渡部八太夫。
そして第2部では、中村和恵を司会として作家たちの討論会を行い、しめくくりは中村による爆笑の新作パフォーマンス。
およそ類例のない、おもしろい試みでした。文学がいかに文字中心で、声を抑圧してきたか。その声がどんなにしぶとく、裏の裏からみずからを響かせてくるか。それなりに、大きな問いを提出できたと思います。
ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました!
ぼく、温又柔、木村友祐、姜信子。4人の作家がそれぞれ「声」を主題とする新作を朗読し、それにそれぞれが選んだ音楽家たちの音がからむという趣向。音楽家はそれぞれ、内田輝、小島敬太+伊藤豊、岡田修、渡部八太夫。
そして第2部では、中村和恵を司会として作家たちの討論会を行い、しめくくりは中村による爆笑の新作パフォーマンス。
およそ類例のない、おもしろい試みでした。文学がいかに文字中心で、声を抑圧してきたか。その声がどんなにしぶとく、裏の裏からみずからを響かせてくるか。それなりに、大きな問いを提出できたと思います。
ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました!
「すみか」展
2008年以来、明治大学生田図書館内のギャラリー・ゼロを舞台に、毎年、大学院生たちと作品および図書の展示を行ってきました。
今年のテーマは「すみか」。さまざまな「すみか」を扱いましたが、ぼくのセクションは「けもののすみか」。赤阪友昭さんがカナダのハイダ・グアイ(ハイダ族の島)および福島で撮影した写真5点に、ぼくの文章を組み合わせました。そして関連展示として、オランダのドキュメンタリー映画『あたらしい野生の地ーリワイルディング』(マルク・フェルケルク監督)のポスターと、映画からのいくつかの場面を紹介。
12月1日開幕、19日まで。見に来てください。
今年のテーマは「すみか」。さまざまな「すみか」を扱いましたが、ぼくのセクションは「けもののすみか」。赤阪友昭さんがカナダのハイダ・グアイ(ハイダ族の島)および福島で撮影した写真5点に、ぼくの文章を組み合わせました。そして関連展示として、オランダのドキュメンタリー映画『あたらしい野生の地ーリワイルディング』(マルク・フェルケルク監督)のポスターと、映画からのいくつかの場面を紹介。
12月1日開幕、19日まで。見に来てください。
グアヤキルで
11月22〜25日、エクアドルの港町グアヤキルで行われたグアヤキル国際詩祭に招待参加しました。世界各国からの14名の詩人に地元の多数の詩人が加わり、連日各地で朗読会や討論。非常に活気のある、刺激的な数日をすごすことができました。
エクアドルから輸入されるバナナのすべてが、この港から積み出されます。ガラパゴス諸島への観光拠点でもあります。ぼくにとっては32年ぶりの南米大陸! いろいろな思いが頭をよぎり、非常に感慨深いものがありました。
ぼくは昨年メキシコで出版されたぼくの詩の選集 Agend'Arsから読みました。翻訳者のCristina Rascon さん、Eiko Minamiさん、ありがとうございました。ひさびさのスペイン語漬けで、もちろんディスカッションなどはボロボロでしたが、作品朗読に関しては好評。もっと長い、本格的な講演をスペイン語でできるよう、これからもっと勉強します。
この詩祭、日本の詩人の参加は初めてだそうですが、これを機に若い詩人たちに、ぜひラテンアメリカにも眼を向けてほしいと思っています。ぼくもまた遠からず、いくつかの国に行くことになりそうです。
エクアドルから輸入されるバナナのすべてが、この港から積み出されます。ガラパゴス諸島への観光拠点でもあります。ぼくにとっては32年ぶりの南米大陸! いろいろな思いが頭をよぎり、非常に感慨深いものがありました。
ぼくは昨年メキシコで出版されたぼくの詩の選集 Agend'Arsから読みました。翻訳者のCristina Rascon さん、Eiko Minamiさん、ありがとうございました。ひさびさのスペイン語漬けで、もちろんディスカッションなどはボロボロでしたが、作品朗読に関しては好評。もっと長い、本格的な講演をスペイン語でできるよう、これからもっと勉強します。
この詩祭、日本の詩人の参加は初めてだそうですが、これを機に若い詩人たちに、ぜひラテンアメリカにも眼を向けてほしいと思っています。ぼくもまた遠からず、いくつかの国に行くことになりそうです。
Thursday, 10 November 2016
「日本経済新聞」11月6日
6日(日)の日経新聞に、台北での北投ヘテロトピアの紹介エッセーを書きました。題して「北投異托邦!」。ぜひお読みください。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO09149240U6A101C1BC8000/
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO09149240U6A101C1BC8000/
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