12月6日、新宿のカフェ・ラバンデリアで、詩の朗読会を開催します。題して「冬の小鳥たち」。バスク語の現代文学を代表するのみならず、世界文学の最重要作家のひとりになりつつあるキルメン・ウリベとぼくが、バスク語、日本語、スペイン語で読みます。二人のミュージシャンとの即興による競演。これは相当、画期的な試みです。ぜひいらしてください!
http://cafelavanderia.blogspot.jp/
Friday, 4 December 2015
Thursday, 3 December 2015
南相馬で
11月29日(日)、南相馬市博物館で開催中の花道みささぎ流家元・片桐功敦さんの個展「Sacrifice」に合わせて、「希望としてのRe-wilding」という鼎談に参加しました。
https://www.minpo.jp/news/detail/2015113027070
片桐さん、ぼくと、民俗学者の赤坂憲雄さん。そこに写真家の赤阪友昭さんも参加してくれて、短いながらも充実した話になったと思います。
ぼくはアラスカ、ジュノー郊外の風景と、オランダの干拓地オーストヴァデルスプラッセンの話をし、それを福島県沿岸部とむすびつけることを試みました。
土地をありのままの姿に戻すこと、人間社会が自己縮小し、他の生物種に場所を譲ること、その大切さ。これからさらに考えていきたいと思います。
https://www.minpo.jp/news/detail/2015113027070
片桐さん、ぼくと、民俗学者の赤坂憲雄さん。そこに写真家の赤阪友昭さんも参加してくれて、短いながらも充実した話になったと思います。
ぼくはアラスカ、ジュノー郊外の風景と、オランダの干拓地オーストヴァデルスプラッセンの話をし、それを福島県沿岸部とむすびつけることを試みました。
土地をありのままの姿に戻すこと、人間社会が自己縮小し、他の生物種に場所を譲ること、その大切さ。これからさらに考えていきたいと思います。
Tuesday, 1 December 2015
西南学院大学「十二会」のみんなと
11月22日(日)は、初めての福岡。空港からダウンタウンまでわずか5分という距離の短さにびっくり。ここで10年にわたって開かれてきた本のイベント、ブックオカの最終行事として、西南学院大学の学生が作っている翻訳世界文学の読書会「十二会」のみなさんとぼくとのディスカッションを、書店キューブリックで行いました。
ぼくの著書『本は読めないものだから心配するな』(左右社)を読んでくれたかれらと、読書とはどういう行為か、何をどう読むか、この世界をどう想像するかなど、さまざまな主題について語り合いました。短いけれど充実した時間。
打ち上げにはキューブリックの大井さんや西南学院大の田村先生など、福岡を活気づけているみなさんと、名物の胡麻鯖をいただきました。 この読書会、選書のセンスがすごくいい。欧米中心主義にきっぱり決別し、いわゆる「第3世界」文学を丁寧に読み、さらにそれを水俣を初めとする日本の問題にむすびつけてゆきます。
知ることはおもしろい、おもしろいから読む、読んだから語り合う、語り合うからさらにその先をめざす。そんな読書の流れが、きちんとかたちをなしていきます。また、これからも、一緒に読んでいきましょう!
ぼくの著書『本は読めないものだから心配するな』(左右社)を読んでくれたかれらと、読書とはどういう行為か、何をどう読むか、この世界をどう想像するかなど、さまざまな主題について語り合いました。短いけれど充実した時間。
打ち上げにはキューブリックの大井さんや西南学院大の田村先生など、福岡を活気づけているみなさんと、名物の胡麻鯖をいただきました。 この読書会、選書のセンスがすごくいい。欧米中心主義にきっぱり決別し、いわゆる「第3世界」文学を丁寧に読み、さらにそれを水俣を初めとする日本の問題にむすびつけてゆきます。
知ることはおもしろい、おもしろいから読む、読んだから語り合う、語り合うからさらにその先をめざす。そんな読書の流れが、きちんとかたちをなしていきます。また、これからも、一緒に読んでいきましょう!
Saturday, 28 November 2015
アカデミズムとパフォーマンスのあいだで
11月21日(土)、東大文学部の集英社寄付講座として「アカデミズムとパフォーマンスのあいだで」と題する授業(?)を行いました。ホストは柴田元幸さん。
フランス文学者の岩切正一郎さんとぼくが半々で担当。しかも岩切さんにはゲストとして女優の那須佐代子さん、ぼくには小島ケイタニーラブがつき、すごく豪華なひとときになりました。
まず第1部。岩切さんとぼくがそれぞれの仕事を紹介。ついで岩切さんは自作詩の朗読。ぼくは『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)所収の「川が川に戻る最初の日」を小島くんの音楽つきで朗読し、そのまま小島くんが名曲「ベルカ」を歌ってくれました。
第2部では、岩切さんが訳した『悲しみを聴く石』上演台本を、まだ稽古中の那須さんが読んでくださいました。制作途上の舞台の迫力。女優さんの怪物的すごさを実感しました。
ついで、こっちも、秘密にしていた特別ゲストとして古川日出男登場。古川作の「『銀河鉄道の夜』の夜」を、柴田さんも加えた4人で上演。これはかなりの衝撃を、みなさんに与えたのでは。
東大文学部の大教室でこんなパフォーマンスが演じられたのは、まちがいなく空前絶後。とはいえ、また機会があれば、やってみたいことです。朗読劇『銀河鉄道の夜』の今後の展開にも、ご期待ください。
フランス文学者の岩切正一郎さんとぼくが半々で担当。しかも岩切さんにはゲストとして女優の那須佐代子さん、ぼくには小島ケイタニーラブがつき、すごく豪華なひとときになりました。
まず第1部。岩切さんとぼくがそれぞれの仕事を紹介。ついで岩切さんは自作詩の朗読。ぼくは『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)所収の「川が川に戻る最初の日」を小島くんの音楽つきで朗読し、そのまま小島くんが名曲「ベルカ」を歌ってくれました。
第2部では、岩切さんが訳した『悲しみを聴く石』上演台本を、まだ稽古中の那須さんが読んでくださいました。制作途上の舞台の迫力。女優さんの怪物的すごさを実感しました。
ついで、こっちも、秘密にしていた特別ゲストとして古川日出男登場。古川作の「『銀河鉄道の夜』の夜」を、柴田さんも加えた4人で上演。これはかなりの衝撃を、みなさんに与えたのでは。
東大文学部の大教室でこんなパフォーマンスが演じられたのは、まちがいなく空前絶後。とはいえ、また機会があれば、やってみたいことです。朗読劇『銀河鉄道の夜』の今後の展開にも、ご期待ください。
Tokyo Poetry Journal
略してToPoJoとは、まるでトッポジージョみたいなかわいい名前。東京ベースの、新しい英語詩の雑誌です。第1号が完成し、11月13日(金)
に表参道で朗読会が開催されました。ぼくは「太魯閣歌片」The Taroko
Cantos を日本語と英訳で寄稿。3人のすばらしいミュージシャンをバックに、朗読を行うことができました。
編集長のTaylor Mignonとその協力者Jeffrey Johnsonをはじめとするみなさんに、心から感謝します!
編集長のTaylor Mignonとその協力者Jeffrey Johnsonをはじめとするみなさんに、心から感謝します!
Tuesday, 10 November 2015
バルト・シンポジウム
中野キャンパスでの『100歳のロラン・バルト』終了。15人の発表者のスピンぶりに圧倒される、ほんとうにおもしろい午後でした。シンポジウムの英語タイトルはSpinning Barthes、その意味を述べた「あいさつ」の一部を、以下に記しておきます。
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ついで自動詞として考えるなら、スピンするのは独楽であり、ダンサーであり、自動車であり、飛行機です。高速で回転し、その回転のうちに運動と静止の印象を統合し、優雅にくるくると回り、スピードをあげて悠々と走り去るかと思えば、路面で激しくスリップしてコースをはずれ、バランスを失い、きりもみ状態となって墜落する。このすべてを、文学者ロラン・バルトの身体とその運動に重ねてみることができるのではないでしょうか。
なんらかの主題を見出してそれを連想によってまとめあげるとき、バルトの知性は恐ろしいほどの速度を見せます。けっして轟音をあげることはないのに、きらびやかな回転とスリリングな転位により、人を魅了します。しばしばスピンして、思考が断ち切られ、どこかまた別の場所に飛んでいってしまう。サイレント映画でも見ているような無音の事故が起きて、ある文章が唐突に終わり、次のページは空白のまま残される。断章につぐ断章につぐ断章、あるいはカードにつぐカードにつぐカード、そしてそのひとつひとつが不思議な独楽として、それぞれの永久運動をつづけている。」
*****
「Spinning Barthesというタイトルの意味を説明しましょう。英語でタイトルをつけなくてはならない理由はまったくなかったのですが、ここではspinというありふれた英語の動詞の意味を、二重化させて使ってみたいと思いました。
まず他動詞として考えるなら、それは「バルトをスピンさせること」となります。つまり回転させること、あるいは糸をつむぐことです。DJがレコードを回すように、バルトをスピンさせ、その音楽と思考を再生してみる。蚕が繭を作るように、われわれのひとりひとりがつむぎだす糸がひとつに合わさって、バルトという言葉の存在をこの場に出現させる。
英語の慣用句で spin a yarn 糸をつむぐというと、ほら話のような突拍子もない話をとりとめなく続けることを意味しますが、ここではわれわれが順番にバルトという物語を、あるいはバルトに触発されて多方向に芽吹いてゆく物語を、とりとめなく、連想がおもむくままに語り、その果てにまるで幻影の人のように、バルトという存在の名残が新しい生命を得ることができればいい。そんな気持ちをこめています。
なんらかの主題を見出してそれを連想によってまとめあげるとき、バルトの知性は恐ろしいほどの速度を見せます。けっして轟音をあげることはないのに、きらびやかな回転とスリリングな転位により、人を魅了します。しばしばスピンして、思考が断ち切られ、どこかまた別の場所に飛んでいってしまう。サイレント映画でも見ているような無音の事故が起きて、ある文章が唐突に終わり、次のページは空白のまま残される。断章につぐ断章につぐ断章、あるいはカードにつぐカードにつぐカード、そしてそのひとつひとつが不思議な独楽として、それぞれの永久運動をつづけている。」
「群像」12月号
「群像」12月号に石田千『家へ』(講談社)の書評を書きました。すでにオンラインで読めます。
http://gunzo.kodansha.co.jp/39016/42890.html
これぞ芸術家小説の王道、といえる作品です。冬空と海辺が好きなみなさんにお勧めします!
http://gunzo.kodansha.co.jp/39016/42890.html
これぞ芸術家小説の王道、といえる作品です。冬空と海辺が好きなみなさんにお勧めします!
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