Tuesday, 10 November 2015

バルト・シンポジウム

中野キャンパスでの『100歳のロラン・バルト』終了。15人の発表者のスピンぶりに圧倒される、ほんとうにおもしろい午後でした。シンポジウムの英語タイトルはSpinning Barthes、その意味を述べた「あいさつ」の一部を、以下に記しておきます。

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「Spinning Barthesというタイトルの意味を説明しましょう。英語でタイトルをつけなくてはならない理由はまったくなかったのですが、ここではspinというありふれた英語の動詞の意味を、二重化させて使ってみたいと思いました。

 まず他動詞として考えるなら、それは「バルトをスピンさせること」となります。つまり回転させること、あるいは糸をつむぐことです。DJがレコードを回すように、バルトをスピンさせ、その音楽と思考を再生してみる。蚕が繭を作るように、われわれのひとりひとりがつむぎだす糸がひとつに合わさって、バルトという言葉の存在をこの場に出現させる。

 英語の慣用句で spin a yarn 糸をつむぐというと、ほら話のような突拍子もない話をとりとめなく続けることを意味しますが、ここではわれわれが順番にバルトという物語を、あるいはバルトに触発されて多方向に芽吹いてゆく物語を、とりとめなく、連想がおもむくままに語り、その果てにまるで幻影の人のように、バルトという存在の名残が新しい生命を得ることができればいい。そんな気持ちをこめています。

 ついで自動詞として考えるなら、スピンするのは独楽であり、ダンサーであり、自動車であり、飛行機です。高速で回転し、その回転のうちに運動と静止の印象を統合し、優雅にくるくると回り、スピードをあげて悠々と走り去るかと思えば、路面で激しくスリップしてコースをはずれ、バランスを失い、きりもみ状態となって墜落する。このすべてを、文学者ロラン・バルトの身体とその運動に重ねてみることができるのではないでしょうか。

 なんらかの主題を見出してそれを連想によってまとめあげるとき、バルトの知性は恐ろしいほどの速度を見せます。けっして轟音をあげることはないのに、きらびやかな回転とスリリングな転位により、人を魅了します。しばしばスピンして、思考が断ち切られ、どこかまた別の場所に飛んでいってしまう。サイレント映画でも見ているような無音の事故が起きて、ある文章が唐突に終わり、次のページは空白のまま残される。断章につぐ断章につぐ断章、あるいはカードにつぐカードにつぐカード、そしてそのひとつひとつが不思議な独楽として、それぞれの永久運動をつづけている。