Wednesday, 13 April 2011

昨日の言葉 13

疲労のあまり睫毛がかすかに鳴り出すまで読むこと。
(エリアス・カネッティ、岩田行一訳。注意=まねをしてはいけません)

そういえば、初めて聞いた沖縄の音楽の旋律も、なぜかフラメンコに似ていると感じました。[......]たとえば青森県の津軽地方の音楽などは、フィーリング的にソウルやブルーズに驚くほど近いものだと思います。
(ピーター・バラカン)

鰐をトーテムとする部族の間では、少年は最初に蛇、次にトカゲ、そして最後に鰐に変身して、再び人間として再生するとされる。手足を欠く蛇から、手足のあるトカゲ、そして最後に鰐と、少しずつ人間に近い動物に転生を繰り返すのだ。なぜ鰐が人間に近いかというと、鰐は理想の男の姿であるからだ。この儀礼のあとに、少年は別の村から豚を略奪し、それを調理して食べることが義務づけられる。そのさい、獲物を鰐のようにむさぼり食うことが求められるのである。
(後藤明)

「プロムナード」第11回

4月11日(月)の日本経済新聞夕刊。わが生涯の愛読書、Pidgin to da Maxをめぐって。これで全体の半分まで来ました。


4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


Agend'Ars 20

El santo de lodo de la altiplanicie dio un golpe en mi mano
Será porque he robado algo del pueblo
No tengo idea de qué es ese algo, aunque he pensado una y otra vez
El sol que parpadea, la tierra que burbujea
Y el vuelo giratorio de milano
Todo era igual que siempre
Olvídalo, dijo Marilin Romelo que cumplió 49 años
Y cantó para mí una antigua canción de cuna de vaqueros
Ella cantó (sang) la canción que trajo de la región volcánica
En el dorso de mi mano rezumaba la sangre (sang)
En esta mesa (montaña rocosa en forma de mesa) han nacido planetas particulares
Entre ellas, algunas pequeñas planetas del tamaño de bola de ping-pong
Saltan de aquí y migran en la altiplanicie
Para dormir aquí tranquilamente en el ritmo circadiano de cada una
En esta estancia tranquila de septiembre
Me arrodillé y presenté disculpas al santo de lodo

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

Sunday, 10 April 2011

You are wrong, Mr. Nakasone!

きょうの「読売新聞」1面に中曽根康弘元首相の談話をまとめた記事が掲載されている。

「大津波を伴った東日本大震災は、『太平洋国家』である日本にとって宿命的な要素を持つ大災害だった。」

これはそのとおりだと思う。ところが次の段落で、看過するわけにはいかない愚かな意見が堂々と述べられているのに唖然とした。

「文明に対する大自然の挑戦と日本人はいかに戦い、克服していったかを世界に見せる時だ。大自然の挑戦に負けてはならない。」

ちがうでしょう。「文明」(=人間世界)と「大自然」を対立の構図で捉えるこのような発想・修辞自体を、もう終わらせなければならない。そもそも自然は人間に挑戦しない。自然にとって人間世界は眼中にない。

ヒトは自然界の一部でごくつつましく、いつでも解消可能な人工物だけを使いつつ、他の動植物のみなさんの力を全面的に借りながら、ひっそりと住まわせてもらうべき存在にすぎない。

中曽根氏のここでの語法こそ、われわれが「負けてはならない」ものだ。発想は言葉に表れる。そしてヒトの行動にみずからしかるべき制限を課すのは、ヒト自身の言葉だけだ。

自然と「戦う」という発想を全面的に捨てよう。戦って勝てるわけがないでしょ。克服できる相手ではない。そもそも、ヒトにとって外在する「相手」ですらない。

20世紀を通じて列島をさんざん荒らしてきたのは、まさに「自然」を敵対視し「文明」の勝利をうたう、このような語法だった。さすがは元首相、というか。しかしあなたは根本的にまちがっています。

「原発はそういうばかげた物だ」

昨日(9日)の東京新聞から、小出裕章氏の言葉。

「被ばくはどんな微量でも危険。海に汚染水を捨て、拡散するから安心、安全だという国や専門家の見方は許せない。薄めることで危険性は減るが、逆に広まる」

「これまで電力会社からみて、原発は造れば造るほどもうかる装置だった。経費を電気料金に上乗せでき、かつ市場がほぼ独占状態だったからだ。さらに大手電機メーカー、土建業者なども原発建設に群がった」

「今回の事故は進行中で、どれだけ被害が広がるかは分からない。原発が生み出した電気の利益を全部投げ出しても足りないだろう。原発はそういうばかげた物だ」

Saturday, 9 April 2011

『<風景>のアメリカ文化学』

野田研一さんが編集した『<風景>のアメリカ文化学』(ミネルヴァ書房)に寄稿しました。

「ニューメキシコ、幻景」pp.251-276.

ぼくの個人的ニューメキシコ、プエブロ的想像力、そしてジョージア・オキーフの絵画を論じています。

2008年秋のニューメキシコ旅行が生んだ、ぼくと小池桂一の共著もいよいよ完成間近です。ご期待ください!

Friday, 8 April 2011

Agend'Ars 19

Fue un lugar específico, un sendero
Por una rendija delgada, abierta entre areniscas
Guiado por los pequeños del pueblo cubiertos de lana, subía
El aire temblaba y vibraba
Como señales benévolas se han marcado rayas en la ribera
Y cada raya brillaba de negro
Al llegar arriba ya estaba en medio del cielo
La luz llenaba todo como el agua cristalina
La altiplanicie susurraba como el mar antiguo
Pensé en la coincidencia formal del ave y un tipo de pez
Y seguí con los ojos la maleza que es otra expresión de la veta de agua
Todo esto debe leerse como expresión vacía
Ahí no se debe poner emoción o sufrimiento
El tiempo recordado es lo que nace por la implacable diferencia de temperatura
Una convección caprichosa de la atmósfera ardiente
Para recibirme un negro y delgado perro se levanta

Una traducción tentativa por Eiko Minami