Tuesday, 5 April 2011

「すばる」2011年5月号

「すばる」で野崎歓さんと対談をしました。題して「旅する文学」。ぜひごらんください。

以前「ユリイカ」の臨時増刊号「多和田葉子」のために、多和田さんと野崎さん、ぼくとで、散りかけの桜の下の地面にすわってのんびりと話をしたことがありました。あれは2004年の春か。いつのまにかずいぶん経ったな。われわれ3人をむすびつけてくれたのは津田新吾でした。

「旅と文学」について、また3人で、あるいはリービ英雄さんを加えて4人で、だらだらと話をしてみたいものです。

それにしても3月8日に行ったこの対談が、なんと昔のことに思えることか。そしてバカバカしくも暢気に見えることか。

「プロムナード」第10回

4月4日(月)の日本経済新聞夕刊に掲載されました。スパムとポイの話です。

4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


Monday, 4 April 2011

「カフカ・ノート」

高橋悠治さんの新作「カフカ・ノート」公演まで、いよいよあと2週間を切りました。みんなで見にいきましょう!

http://www.suigyu.com/kafka3.html

「水牛のように」4月号

「水牛のように」が更新されました。ぜひごらんください。

http://www.suigyu.com/

今号では、ぼくの2篇だけが「3月11日以前」のものだったようです。

「放射能はあらゆる生命体に対して有害であり、原子力は廃絶すべきものです。」

「三上のブログ」で知った、以下の発言。現在の福島の状況を見ると、もはや反論の余地はまったくなく、正しい。


「私は原子力を専門としていながら、原子力を廃絶したいと思います。
その理由は原子力が危険だからという前に、原子力が始めから終わりまで差別に基づかないと成り立たないからです。
六ヶ所再処理工場は享楽的な生活とは無縁な六ヶ所の住民を被曝させ、下請け労働者を被曝させます。
それを選択することになんら関与することもできない世界中の人々、そして将来の世代を被曝させます。
放射能はあらゆる生命体に対して有害であり、原子力は廃絶すべきものです。」
(小出裕章、京都大学原子炉実験所)
http://shomei.saishori-databank.org/supporter/102/



Sunday, 3 April 2011

山川草木鳥獣虫魚のために

以下、「Norah-mの日記」の最新エントリーから引用します。一読を勧めます。

http://d.hatena.ne.jp/norah-m/


そして同時に、とりあえず「人体」がよければいいのだろうかという疑問がある。

海の水、地下水、空気、土壌に本来あるはずのない放射性物質を紛れ込ませ、将来にわたり汚染してしまったことは、すでにそれじたい「大惨事」だと考える。
誰かにとっての郷土が、その土と水が、人間の生のタイムスパンでいえばほぼ永遠に汚されてしまったわけで、環境保護の意味ではもちろん、「愛国主義」(または「民族主義」)的観点からも、福島県民の、あるいは日本人の、地球人の尊厳にかかわることだ(本来、右翼は怒っていい局面だ)。
この期に及んで、保安院の役人や東電役員やテレビに出てくる学者たちが、「この程度なら問題ない」「沖へ流れれば希釈されるから大丈夫」とくり返し、今後もなお原発増設・維持を推進しようとするのはどうしてなのか。
もっとも顕著な例は、地震国・日本がその国土に原発施設を作るのは運命であり、これからも変わらず推進したいと述べた与謝野馨大臣で、この局面での発言には言葉をうしなった。」(引用終わり)

まったくその通り! 原発は日本には必要ないし、世界にも必要ありません。引用されている与謝野氏の発言の度し難い思慮のなさは、強く糾弾されてしかるべきです。日本で「政治」の名において行われているのが経済的な利害調整だけだということが、よくわかります。

技術的に完全にしろうと集団の東電の経営陣の初期段階での判断ミスも、「原子力には詳しい」と豪語した首相の無能さも、悪い冗談としか思えません。そしてその冗談のおかげで、福島県を始めとする地域の住民のどれだけが生活を完全に破壊されたことか。さらには人間世界の都合のおかげで、土地の生命のどれだけが奪われ、苦しんでいることか。

いまこそ、怒りをあらわにすべき時でしょう。

リービ英雄とともに

ホノルルで開催中のAAS(Association for Asian Studies)で、リービ英雄さんの作品をめぐるパネルに参加しました。発表のタイトルと発表者は以下のとおりです。

Crossing the Pacific: Asia and America in the Work of Ian Hideo Levy

-Faye Kleeman "Exophony and the Locations of Identity in Levy Hideo's Fiction"
-Christopher Scott "Memoir of a Gaijin: Whiteness and White Privilege in Ian Hideo Levy's Fiction"
-Keijiro Suga "Transversal, Translingual: Levy Hideo's Pursuit"

それぞれ20分のこの3人の発表につづいてリービ英雄さんご自身がコメントを返し、それから「座談会」的に自由な発言、さらに聴衆との質疑応答というかたちで、あっというまの2時間でした。

ぼくはトラヴェル・ライティング(旅の記述)としてのリービ作品を論じましたが、時間が限られているので発表としては『ヘンリーたけしレウィツキーの夏の紀行』(2002年)の分析について話しました。すばらしい、すばらしい傑作です。

日本語作家としての「リービ英雄」が学会のパネルのテーマとしてとりあげられるのはこれが初めて。かつて若くしてアメリカのもっとも優秀なジャパノロジスト(日本研究者)のひとりだったリービさんにとっては、20年ぶりのAASへの「帰郷」だったそうですが、さすがに気さくで真摯で気骨のある人柄そのままに、われわれの発言に対するコメントからはじまって、つづく議論もたいへんに充実したものになりました。

この機会に彼の著作のかなりの部分を再読して、その精神の大きさと探求の苛烈さに強く打たれました。まったく誰も到達したことがない場所から、日本語と日本を見ています。そして中国を、そして台湾を、そしてアメリカを。まちがいなく、現在日本語で書いているもっとも重要な作家のひとりです。

そのリービさんが近刊『我的日本語』の中で、こんな風に書いています。「二十一世紀、ぼくはこの紀行文学が重要なジャンルになりつつあると思う。」日本語をめぐる精神の自伝ともいえるこの本を、彼自身による紀行文学の実践である『我的中国』と合わせて、学生のみんなにまず勧めておきます。

彼の作品に対する国際的な評価も、ようやく高まってきました。今年はアメリカのみならず、台湾、中国、フランス、ドイツで翻訳が出るとか。今回のパネルを組織したクリス・スコットが、夏に刊行される『星条旗が聞こえない部屋』の英訳者です。