10月12日〜14日、韓国のパジュにあるパジュ・ブックシティ(本の都市)で開催された国際会議 Ecozoic 2018 に招待参加しました。会議の主題は"Ecological Transformation on the Korean Peninsula and in East Asia."
ぼくは土曜日のセッションでこの4年ほど取り組んできた "rewilding" という概念について話し、2016年に作った南相馬をめぐる短篇 "Memories of Water, Memories of Land" (古木洋平監督、赤阪友昭プロデュース、スクリプトとナレーションがぼく)を部分的に上映しました(時間がなかったので、20分の作品の約半分)。さいわい、大好評。終了後に質問が相次ぎました。
Ecozoicという言葉は、アメリカのカトリック神学者トーマス・ベリーの造語。テイヤール・ド・シャルダンに大きな影響を受けた、比較宗教学者でもありました。
会議の主催者は韓国のPeople for Earth という団体で、主宰者のカン・クムシルさんをはじめ、カトリック、プロテスタントを問わずキリスト教系のエコロジスト法学者・政治学者・哲学者が多かったのですが、それ以外に神経学者、認知学者、生物情報学者など、いろいろな分野の人の発表が聞けて、興味深い会議になりました。
もちろん、ニューヨーク在住の哲学者でぼくの古い友人であるキュー・リー(彼女はひとことでいうならデリダ派フェミニスト哲学者)やぼくのように、宗教的背景がまったくない人もたくさん。実践的運動に関わっている法律家のみなさんが、考え方の広い枠組を求めて人文・社会・自然科学・芸術のいろいろな分野の人に(韓国、中国、アメリカが多かったとはいえ)声をかけて招いてくださった、ということのようです。
エコロジー的文明への転換、という言葉が何度となく口にされましたが、立場はちがっても全員に共通しているのは、経済成長と利潤追求の社会モデルは、もうこれ以上絶対に立ち行かない、という認識(それがわかっているのに半世紀たってもまだぐずぐずと続いている)。その方向をいっそう悪化させた新自由主義的世界観の破産を、多くの人が納得してはじめて、あるとき世界全体の方向が変わるのでしょうか。
何度でもいいつづけなくてはならないことがあります。ぼくとしてはrewildingという言葉を、もう少し鍛えていきたいと思っています。