長い書評は、的確な引用をゆったりと組み込めるし、また他の本との「本脈」をしめすこともできるので、いい。いい書評は対象の1冊を超えて、ある問題系に対する興味を広くかきたてるものだが、朝からこういう文を読むと図書館に直行して、そのまま一日を薄暮の夢想に過ごしたくなる。今日みたいな冬の青空の日でも。
覚えておきたいことのメモ。
1)下村による「科学」のナショナルな伝統の指摘。サイエンスはベーコン的な人間論的=実践的性格。ヴィッセンシャフトはライプニッツ的な普遍学的性格。シアンスはデカルト的な知性的性格。なるほど、そうかもしれないな。トランスナショナルな「科学」の成立なんて、あるいは20世紀も後半以後のことかも。
2)ボエティウスによる音楽の3分類。ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)、ムジカ・フマーナ(人間の音楽)、ムジカ・インストゥルメンターリ(器具の音楽)だって。といっても、そのままでは理解できない。最初のものは星の運行、季節のめぐり。次のものは、人が理解し洞察したことをしめすもの。つまりは知識、そして一般詩学か。最後のものだけがいわゆる「音楽」、空気の振動により奏でられる音の塊、配列。当然、ピュタゴラス的な数の比例とも関係してくる。
「ムンダーナ」とかいわれると、つい「世界音楽?ワールド・ミュージック?」と聞き返したくなるけれど、そうではなかった。
ところで。高3の夏休みに京都で『思想のドラマトゥルギー』(林達夫+久野収)を読んで以来、大学ではヨーロッパ精神史を専攻しようかと思っていたけれど、そうはならかった。ひとつにはヨーロッパに行ったことがなくて、結局、エモーショナルな積み立てが育たなかった。林達夫(1896年生まれ)は1971年になるまでヨーロッパに行ったことがなくて、下村(1902年生まれ)も初のヨーロッパ旅行は1956年。そういう世代だった。それでよくあんなに燃えるような知的好奇心を、ヨーロッパに対して持ち続けられたものだと思う。すごいが、どこか、はかない。
林達夫は自分を歴史家と規定し「西洋二千年の歴史往来」というフレーズを使っていた。学ぶべきことは無限。道は冬の青空のように遠い。
2)ボエティウスによる音楽の3分類。ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)、ムジカ・フマーナ(人間の音楽)、ムジカ・インストゥルメンターリ(器具の音楽)だって。といっても、そのままでは理解できない。最初のものは星の運行、季節のめぐり。次のものは、人が理解し洞察したことをしめすもの。つまりは知識、そして一般詩学か。最後のものだけがいわゆる「音楽」、空気の振動により奏でられる音の塊、配列。当然、ピュタゴラス的な数の比例とも関係してくる。
「ムンダーナ」とかいわれると、つい「世界音楽?ワールド・ミュージック?」と聞き返したくなるけれど、そうではなかった。
ところで。高3の夏休みに京都で『思想のドラマトゥルギー』(林達夫+久野収)を読んで以来、大学ではヨーロッパ精神史を専攻しようかと思っていたけれど、そうはならかった。ひとつにはヨーロッパに行ったことがなくて、結局、エモーショナルな積み立てが育たなかった。林達夫(1896年生まれ)は1971年になるまでヨーロッパに行ったことがなくて、下村(1902年生まれ)も初のヨーロッパ旅行は1956年。そういう世代だった。それでよくあんなに燃えるような知的好奇心を、ヨーロッパに対して持ち続けられたものだと思う。すごいが、どこか、はかない。
林達夫は自分を歴史家と規定し「西洋二千年の歴史往来」というフレーズを使っていた。学ぶべきことは無限。道は冬の青空のように遠い。