4月1日から勤務先(明治大学)での「特別研究」期間に入りました。授業担当を免除されて、自分の研究に専念できる1年です。それとともに、シアトルのワシントン大学で、客員研究員としての滞在を始めました。
ここはぼくの母校。有名な桜並木の盛りは過ぎていましたが、いくつか新しい建物もできて、相変わらず建築的な美しさでは全米でも有数のキャンパスでしょう。
今回のホストになってくれたのは日本文学科です。デヴィンダ・ボウミックとテッド・マックという2人の友人が共同で教える大学院ゼミは、月曜と水曜、週2回2時間ずつのクラスです。ぼくの役割はこれに同席し、エクストラの情報や解説をもちこむこと。
それにしても、アメリカの大学院生たちのやる気と毎週の勉強量には、うれしくなります。日本文学専攻とはいえ、今日読んだのは柄谷行人『日本近代文学の起源』から「内面の発見」の章と、成島柳北の『柳橋新誌』! 柄谷さんのほうはまがりなりにも現代日本語ですが、柳北のこのテクスト、とても普通の日本語力で読めるものではありません。ぼくもよくわからない。英訳で読んでいいのですが(英訳でもどちらもむずかしい)、多くの学生が原文に挑戦。
それを(かれらとしてもたぶんよくわからないなりに)食いついて数十ページ読んできて、何かいうことを必ず考えてくる。この雰囲気、大切です。毎週がこの調子で、どんどん新しい日本語のスタイルと、そこで起きている地殻変動にさらされていきます。
来週はぼくの提案で、本谷有希子『嵐のピクニック』から1、2編。古川日出男の短篇もいずれ読みます。さらに5月には、リービ英雄の短篇に続き、大川景子監督のドキュメンタリー『異境の中の故郷』上映会も予定しています。
ぼくがシアトルで暮らしたのは1990年代の通算5年間。なつかしいけれど、そのころからの自分の進歩のなさに愕然とします。今回の滞在をつうじて軌道修正をし、新たな展開につなげたいと思っています。これまでとちがうスタイルの本も書きたいし。そしてアラスカへの旅も、いちどは。