台湾に来る直前の名古屋での港千尋との対談が終わったあと、声をかけてくれたのが今成くん。港くんの元学生で、多摩美術大学の卒業制作として作った作品だという。見て、うなった。おもしろい。ぜんぜん知らない世界だが、笑える。スピードがあり、力がある映像だ。そしてかれらの世界観に寄り添いつつも、必要な距離をおいてそれをきちんと対象化している。
イメージフォーラム・フェスティバルで観客賞を受賞したそうだが、それも当然。明治の学生も政治大学の学生も、おおよろこびで見ていた。以下、明治の学生たちが寄せてくれた感想を。なぜか男子ばかりが感想をくれたのも、この作品の性格を物語っているのか。
今成くん、次回作もがんばってください!
「僕のなかで最も印象的だったのは、笑うべきシーンでの感動でした。感動すべきではないような場面での感動は、自分の心の中で葛藤を起こしました。映像が終了し、周りのみんなが笑いながら会話する中で、ぼくは涙腺がゆるんで笑うことはできませんでした。その時はなぜかわからないけどただただ感動しました」(関)
「もしかしたら男にしか伝わらない場面もあったのかもしれない。でも何かに対してカラダで死ぬほどに懸命に取り組んだと言える人にとっては、彼らほど尊敬できるひとはいない」(原)
「彼らは非リア充なのか。社会では、人を評価しようする。映像に出ていた就職活動もその類。では、人に絶対的な評価があるのか。彼らは優秀なのか。優秀であり、優秀でない。評価は相対的なもの。それぞれの人生との比較。彼らは、リア充であり、リア充でない。人に絶対的な評価を与えることなんてできない 」(石田)
「とても衝撃的な映像でした。ちょっと極端な面もありましたが新鮮でした。いい単位を取って、またいいところに就職する、すなわち安定な生活に安住しようとする大多数に、彼らの姿を通じて、胸の中の深く隠しておかれた、あるいは捨てなければならなかった、熱情を呼び起こします。危険を省みず、どうして学生プロレスを選択したのか、その動機が充分によく写されたら、さらにいいドキュメンタリーにならなかっただろうかと勝手に思いました。作者は放送局に就職したと聞きましたが、今後ともいい映像を期待します」(宋)
「全編スピード感に満ちていて、『遊びに一生懸命になれないで何に一生懸命になるんだよ』などの名言もちりばめられており、忘れられない作品になりました。台湾の人たちにも大反響でした。中国語版、英語版もぜひ作ってください」(大洞)
「自身に対するコンプレックスを抱えた男がとった大胆にも見える決意が全面に出ていた。
女性からは決して伝わらない、男性ならではのコンプレックスともいえる<リア充>。
作中に出てくる青年は周囲にいる<リア充>に対して自身を<非リア充>と呼んでいた。
彼のように他人より劣っていると自分を卑下する事は珍しくない。
しかし、その心の悩みを肉体にさらけ出し、そこに快感や生きがいを見出す。
作品内で彼はこのような事を言っていた。
『ガクセイプロセスはAVと同じ』と。
意表をついた発言だが、説得力がある。
それまでガクセイプロレスを知らなかった自分は、ここでその魅力を理解し、
彼がガクセイプロレスを選んだ理由に頷いた。
自分もどちらかというと<非リア充>と感じているが、
彼のように自分を熱く語れるほどのアイデンティティは持っていない。
自分にとって彼はそこがカッコいいと思わずにはいられない。
また全裸になって恥ずかしさを全面に表へ晒す行為も中々できる事ではない。
常に躊躇い、戸惑いを身に纏っている自分には到底真似できない。
社会はどうして評価してくれないのだろうか。
そんなふうに自分自身に自信がなくなった人、自分を<非リア充>だと思い込んでいる人には
、是非この作品を見る事をすすめる。
『ギターを弾ける俺ってカッコいいって言う奴が嫌い』
と愚痴をこぼした瞬間に<ギターを担いだリア充>とすれ違うシーン。
偶然が生み出したであろう、ドキュメンタリーならではの表現だ。
これには意表を突かれた」(小久江)
若い人達のどこにぶつけていいのか分からないエネルギーが溢れているように思いました。プロレスはあまり見たことがなかったのですが、動きや魅せ方が本当によく考えられているんだなぁと感心しました。あんなに1つのことに打ち込める彼らでさえ、それを仕事にすることができないのは、非常にさびしい時代でもあるのかとも感じました。ナレーションが、アナウンサーと違って安定感がないのが、逆に作品を身近なものにしてくれたように思います。でも、台湾の人達は「日本人はみんな裸で外ではしゃいだりするんだ」とびっくりしていたので、日本を余り知らない人には多少勘違いを招く表現もあったようです。とはいえ基本的に台湾の人も楽しく見ていたようなので、向こうの方々にとってもよい刺激になったと思います。(清水)